浜村美智子

浜村 美智子
1957年
基本情報
出生名 浜村 美知子
生誕 (1937-10-03) 1937年10月3日(86歳)
出身地 鹿児島県鹿児島市
ジャンル ポップス歌謡ラテンシャンソン
職業 歌手
活動期間 1957年 - 現在
レーベル ビクターエンタテインメント
事務所 ミュージック・オフィス合田
公式サイト jvcmusic.co.jp

浜村 美智子(はまむら みちこ 1937年10月3日[1] - )は日本歌手鹿児島市出身[1]

来歴・人物[編集]

大阪市玉造育ち。実家は町工場を経営していた。中学校卒業後、上京。高校生モデルとして活動していた時、ビクターエンタテインメントハリー・ベラフォンテの楽曲『バナナ・ボート』をカバーさせるタレント「カリプソの娘」として抜擢される。浜村は歌手経験はなかったが「雰囲気が楽曲にあう」という理由で選ばれ、いわゆるキャンペーンガールのはしりであった。1957年、同曲でレコードデビュー。同曲は江利チエミらも競作として発売していたが、浜村盤は大きくリードする形で発売1ヶ月余りで18万枚を売り上げ、最終的に30万枚、現在までのトータルセールスではミリオンセラーを記録したとされる[2]

ヒットに伴い浜村はメディアに引っ張りだこになるが、インタビューで「カリプソはあまり好きでなく、自分はジャズが好みだ」などと放言を連発、浜村の傍若無人、逸脱的なキャラクターがさらけ出される。しかし、カリプソはカリブ諸国の民謡であったことから、浜村の「いいかげんさ」が逆にマッチしていると解釈され、結果的に江利らを抑えてヒットしたと思われる[3][注釈 1]。同年の第8回NHK紅白歌合戦にも出場している。

その後も『バナナ・ボート』に続き『カリプソ娘』などを発表した。また、当時の日本の歌手としては異例だったアメリカでの録音も行っていた。1960年7月10日に、ハリー・ベラフォンテがアジアツアーの一環で初来日した際、空港には多くのメディアと共に浜村も駆けつけた。

デビュー直後はあまりの人気ぶりに、美空ひばり江利チエミ雪村いづみの三人娘の後継と評されていたが、あまりにもキャラクターと楽曲の印象が強すぎたため、カリプソブームが去ると浜村の人気も途絶えてしまった[4]

1963年プロボクシング東洋ライト級チャンピオンだった小坂照男との結婚をきっかけに引退したが、1965年にTVドラマ『忍者部隊月光』(フジテレビ系)に悪の組織の女幹部役で出演し、女優活動を再開する。1972年NHKの『思い出のメロディー』で歌手として復帰[5]。それがきっかけで出した『黄色いシャツ』が久しぶりに注目を集め、オリコンシングルチャートにも登場し、同年だけで30万枚[6]を売り上げるヒットとなった。この歌は韓国人歌手の孫夕友朝鮮語版の歌『黄色いシャツの男』(노란 샤쓰의 사나이)のカヴァー(1961年韓明淑朝鮮語版が歌いヒットした)だったことから、韓国大韓放送協会に招かれ、同国で初めて生放送番組に出演した外国人となった[5]

現在もラテン・シャンソンを中心にダンスパーティー、ディナーショー等のステージに出演している。

音楽[編集]

自己名義[編集]

シングル (SP)[編集]

  • バナナ・ボート/恋のヴェネズエラ(1957年3月。日本ビクター A-5219。コーラスはブライト・リズム・ボーイズ)
  • ダーク・ムーン/カリプソ娘(1957年7月。日本ビクター A-5221。コーラスはブライト・リズム・ボーイズ)
  • 島の女/ママはブーブー(1957年7月。日本ビクター A-5222。B面のコーラスはブライト・リズム・ボーイズ)
  • パラダイス/これが恋かしら(1957年10月。日本ビクター S-320。アメリカ録音)
  • ジングル・ベル(1957年11月。日本ビクター A-5225)(B面は雪村いづみ「ブルー・クリスマス」)
  • 監獄ロック/悲しみよこんにちは(1958年2月。日本ビクター A-5226。バックはグラマシィ・ファイブ)
  • 素肌の女/明日は女の風が吹く(1958年5月。日本ビクター V-41805)
  • 東京の隅っこ/アリゾナ色の靴下(1958年8月。日本ビクター V-41826)
  • トンテンカン・ロック/駐車場の女(1958年11月。日本ビクター V-41875)
  • 三人吉三(1959年1月。日本ビクター V-41898。三浦洸一・フランク永井との共演。B面は野村雪子・神楽坂浮子「お若けえのお待ちなせえ」)

シングル (7インチ)[編集]

  • バナナ・ボート(作詞:L.Burgess・W,Attaway・井田誠一、作曲:L.Burgess・W,Attaway)/恋のヴェネズエラ(1957年3月。日本ビクター AS-6007。コーラスはブライト・リズム・ボーイズ)
  • ダーク・ムーン/カリプソ娘(1957年7月。日本ビクター AS-6008。コーラスはブライト・リズム・ボーイズ)
  • 島の女/ママはブーブー(1957年7月。日本ビクター AS-6009。コーラスはブライト・リズム・ボーイズ)
  • ジングル・ベル(1957年11月。日本ビクター AS-6010。コーラスはブライト・リズム・ボーイズ。B面は雪村いづみの「ブルー・クリスマス」)
  • 監獄ロック/悲しみよこんにちは(1958年2月。日本ビクター AS-6011。バックはグラマシィ・ファイブ)
  • パラダイス/これが恋かしら(1958年。日本ビクター SS-1044。アメリカ録音)
  • 東京の隅っこ/アリゾナ色の靴下(1958年8月。日本ビクター VS-120)
  • トンテンカン・ロック/駐車場の女(1958年11月。日本ビクター VS-154)
  • 三人吉三(1959年1月。日本ビクター VS-164。三浦洸一・フランク永井との共演。B面は野村雪子・神楽坂浮子「お若けえのお待ちなせえ」)
  • 恋しいスーちゃん/一、三リッター、四リッター(1959年10月。日本ビクター VS-257)
  • 恋の鳥(1959年11月。日本ビクター VS-265。B面は朝倉ユリ「恋の終り」)
  • 死ぬほど愛して(1960年10月。日本ビクター VS-404。B面は藤田功「テキサス平原児」)
  • アフリカの星のボレロ(1961年1月。日本ビクター VS-434。A面は朝比奈愛子「君へのブルース」)
  • 黄色いシャツ/スキャンダル(1972年3月。日本ビクター E-1048)
  • 男のためなら/たいくつなのさ~トランペットの子守唄(1972年10月。日本ビクター GAM-4)
  • バナナ・ボート/酒(1973年6月。日本ビクター SV-2342)*「バナナ・ボート」の再録

EP[編集]

  • ジャパンズ・ティーン・クイン(1957年10月。日本ビクター EP-1262。アメリカ録音。バックはデヴィッド・テリー楽団。パラダイス/ザッツ・ラヴ/これが恋かしら/ハッピネス)
  • Japan's Teen Queen(1957年。RCA Victor EPA-4095。Banana Boat Song~Calypso Joe~Dark Moon~Venezuela)
  • Japan's Teen Queen with a Beat(1958年。RCA Victor EPA-4190。アメリカ録音。Paradise~That's Love~What is This Thing Called Love~Happiness)

アルバム[編集]

  • Waray Waray(1958年?。香港Diamond LPS-1002)
  • 夜のラテン(1961年1月。日本ビクター LV-169)
  • バナナボート(1973年6月。日本ビクター SJX-128)
  • 帰って来た想い出/バナナボート(1974年7月。日本ビクター SJX-177)

オムニバス[編集]

アルバム[編集]

  • V.A. / 宮城秀雄作品集(1960年5月。日本ビクター LV-127)*「真っ赤な花」
  • V.A. / 花のステージ第6集(1960年7月。日本ビクター LV-141)*「東京タウン」
  • V.A. / 花のステージ第9集(1961年5月。日本ビクター LV-188)*「破れかぶれ」
  • V.A. / 魅惑のオールスターズ第7集(1963年1月。日本ビクター LV-302)*「サヨナラの口笛」
  • V.A. / 花のステージ第18集(1963年2月。日本ビクター LV-293)*「カーナバルの夜」
  • V.A. / 花のステージ第23集(1963年12月。日本ビクター LV-360)*「東京夜曲」

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 対戦相手
1957年(昭和32年)/第8回 監獄ロック[注釈 2] 小坂一也
  • ラジオ中継の音声と歌唱している様子を撮影した写真[7]が現存する。

主な出演[編集]

映画[編集]

テレビ[編集]

歌番組[編集]

ドラマ[編集]

バラエティー[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中村とうようが音楽評論家に転職するきっかけが、浜村のキャラクターに依拠した日本のカリプソ解釈であった。中村は『ミュージック・ライフ』1957年5月号で論壇デビューしている。
  2. ^ 『バナナ・ボート』には全体的に男性コーラス(ブライト・リズム・ボーイズ)が使われており、当時はコーラスも含めて男女が厳格に分けられていたため披露できず、エルヴィス・プレスリーのカバーを披露した。

出典[編集]

  1. ^ a b 浜村美智子 - ミュージック・オフィス合田
  2. ^ 輪島, pp. 98–99.
  3. ^ 輪島, pp. 100–103.
  4. ^ 輪島, pp. 100, 103.
  5. ^ a b 中村俊夫 (2015年8月7日). “クール&ビューティーな魅力で日本人歌手の海外進出のパイオニアとなった元祖「カリプソ娘」浜村美智子。”. 大人のミュージックカレンダー. 2023年11月14日閲覧。
  6. ^ KOREAN CULTURE No.2 K-POP A New Force in Pop Music海外文化広報院英語版、2011年、53頁。
  7. ^ 『紅白歌合戦アルバム NHK20回放送のあゆみ』(デイリースポーツ社、1970年)

参考文献[編集]

  • 輪島裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』NHK出版新書、2015年2月10日。ISBN 978-4-14-088454-6 

外部リンク[編集]