滋賀県民の歌

滋賀県民の歌

県民歌の対象
滋賀県

作詞 蓼沢猟
西條八十(補作)
作曲 古関裕而
採用時期 1954年6月15日
言語 日本語
テンプレートを表示

滋賀県民の歌」(しがけんみんのうた)は日本都道府県の一つ、滋賀県1954年昭和29年)に制定した県民歌である。作詞・蓼沢猟(五味道茂)、補作・西條八十、作曲・古関裕而

日本コロムビアより岡本敦郎奈良光枝コロムビア合唱団の歌唱によりSPレコードが発売された。B面収録曲は「『行進曲』滋賀県民の歌」(インストゥルメンタル)。

解説[編集]

滋賀県民の歌
岡本敦郎奈良光枝コロムビア合唱団シングル
B面 『行進曲』滋賀県民の歌(器楽曲
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 都道府県民歌
レーベル 日本コロムビア(PR1411)
作詞・作曲 作詞:蓼沢猟
補作:西條八十
作曲:古関裕而
テンプレートを表示

1954年昭和29年)、大津市京町の滋賀会館竣工を記念して歌詞の公募を実施した。471編の応募作から朝日新聞長浜通信部勤務の蓼沢猟(本名・五味道茂)の応募作が入選し[1][2]、西條八十による補作を経て古関裕而が作曲を手掛け6月15日付で制定された[3]。制定意義は「県勢の発展と県民の意識高揚」[3]、また「理想的な住みよい郷土をつくり、県民一人ひとりが郷土を愛し、明るい生活を打ち立てる意欲を盛り上げること」とされているが[4]、制定から30年余りを経た1999年平成11年)に県が実施したアンケートでは「知らない」とする回答が63%にのぼっている[5][6]。ただし、アンケートでは少数派の「知っている」という回答者から「いい歌である」「あまり歌われなくなって残念である」と楽曲自体については好意的な評価が多く見られた[5]

そうした状況のため、2016年(平成28年)には県議会で「県民に広く親しまれている『琵琶湖周航の歌』を県民歌とすべきではないか」との意見も出されている[5]。県が毎年発行している県民手帳には「滋賀県民の歌」と「琵琶湖周航の歌」の両方が掲載されており、県では2017年(平成29年)が「琵琶湖周航の歌」発表100周年に当たることから、同年に開催される県の事業で「周航の歌」と合わせて「県民の歌」のPRを実施し、認知度の向上を目指す方針を検討している[5]

歌碑[編集]

大津市の滋賀県庁舎前にある服部岩吉顕彰碑兼「滋賀県民の歌」歌碑

旧滋賀会館の敷地内には制定時の知事であった服部岩吉の顕彰碑を兼ねた「滋賀県民の歌の碑」が建立されていたが[7]、会館の廃止・解体に伴い2016年(平成28年)に滋賀県庁舎前へ移設された[5]。県庁舎前に県民歌の歌碑を設置する事例は、長野県庁舎前の「信濃の国」に続き2例目となる。

参考文献[編集]

出典[編集]

  1. ^ 滋賀県百科事典(1984), p346
  2. ^ 朝日新聞社『朝日人』1990年1月号, p172 高松弥生「追悼 鷲は飛び去った」。
  3. ^ a b 国民文化協会(1968年), p199
  4. ^ 中山(2012), p266
  5. ^ a b c d e “滋賀県民の歌「知らない」6割超 歌碑移設、ホームページ掲載…浸透いまひとつ”. 産経新聞 (産経新聞大阪本社). (2016年12月14日). https://www.sankei.com/article/20161214-5T6VGXBZKFLXNGSLVVGVNIO63U/ 2017年1月1日閲覧。 
  6. ^ “滋賀県民の歌、6割「知らない」 「周航の歌」に押され気味…”. 京都新聞. (2016年12月30日). http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20161230000039 2017年1月1日閲覧。 
  7. ^ 滋賀県民の歌の碑(大津のかんきょう宝箱)

外部リンク[編集]