甘粛省 (中華民国)

中華民国 甘粛省
1912年 - 1949年
甘粛省の位置
甘粛省の位置
甘粛省の位置
簡体字 甘肃
繁体字 甘肅
拼音 Gānsù
カタカナ転記 ガンスー
国家 中華民国
行政級別
政府所在地 皋蘭県1912-1931
蘭州市1931-1949
建置 1912年
消滅 1949年 
面積
- 総面積 391,506 km²
人口
- 総人口() 7091000 万人

甘粛省(かんしゅくしょう)は、かつて中華民国に存在した省。現在の中華人民共和国甘粛省全域及び寧夏回族自治区の一部に相当する。

地理[編集]

清代甘粛省の管轄地域を継承して成立した。1928年民国17年)10月、寧夏行政区に寧夏省が、西寧行政区に青海省が新設されその管轄区域は大幅に縮小した。

東は陝西省、北は寧夏省及び蒙古地方、南は青海省及び四川省、西は新疆省に接していた。

歴史[編集]

1911年宣統3年)、辛亥革命が勃発すると11月21日に寧夏軍政府が設立されるが、この軍事政府は同月に瓦解している。

1912年(民国元年)3月11日、甘粛臨時軍政府が甘水に設置、甘粛都督を設置し軍政長官と定め、同時に清代の官制である布政使提学使提法使がそのまま使用された。1913年(民国2年)、軍政と民政の分割を目的に布政使を民政長と改称、民政長官と定め、1914年(民国3年)に民政長は巡按使、1916年(民国5年)に省長と改称された。

1927年(民国16年)6月、国民党鄭州会議は甘粛省政府の設置を決定、武漢国民政府に帰属した。1931年(民国20年)8月、南京国民政府は甘粛省政務委員会を設置している、以降は南京国民政府の管轄に置かれた。

1949年(民国38年)8月26日、共産党勢力により蘭州市が「解放」されると、中華民国は実効支配権を喪失している。

省会[編集]

省会は当初皋蘭県に設置されたが、1941年(民国30年)以降は蘭州市に移された。

歴代省長[編集]

氏名 就任日 退任日 備注
1 趙惟熙 1912年3月 -
2 張広建 1914年3月 -
3 蔡成勲 1920年12月 -
4 陸洪濤 1922年5月 -
5 馮玉祥 1925年8月 -
6 李鳴鐘 1926年1月 -
7 劉郁芬 1927年6月 -
8 馬鴻賓 1930年11月 -
9 邵力子 1931年12月 -
10 朱紹良 1933年5月 1935年11月
11 于学忠 1935年11月 1937年3月
12 朱紹良 1937年3月 1940年11月 就任前に賀耀組代理
13 谷正倫 1940年11月 1946年5月
14 郭寄嶠 1946年10月 1949年7月
15 馬鴻逵 1949年7月 - 未就任
丁宜中 1949年7月 1949年9月 代理
16 王治岐 1949年11月 1949年12月

行政区画[編集]

道制[編集]

民国建国当初は清代の西寧道寧夏道鞏秦階道平慶涇固化道甘涼道安粛道が沿襲されていたが、1913年(民国2年)4月、北京政府は甘粛都督の趙惟熙が提出した道制計画を承認、蘭山、隴南、隴東、朔方、海東、河西、辺関の7道を設置、1914年5月には蘭山、渭川、涇源、寧夏、西寧、甘涼、安粛と改称している。1927年(民国16年)6月、道制が廃止となり蘭山、渭川、涇源、寧夏、西寧、安粛の6行政区に改編されている。1928年(民国17年)、行政区制度は廃止され、省県の二級地方行政制度が確立した[1]

県級行政区画[編集]

中華人民共和国成立直前の管轄行政区画は下記の1市69県2設治局。(50音順)

行政督察区[編集]

1932年(民国21年)4月、全省を14区に分割した行政督察区制度が施行された。1938年(民国27年)8月には全省を12区、11月に13区、1942年(民国31年)3月に再び12区に改編され、中国共産党による「解放」まで沿襲された。

脚注[編集]

  1. ^ 『甘粛省志』第37期 1928年3月

関連項目[編集]


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