石原寅次郎

石原 寅次郎(いしはら とらじろう、1889年明治22年)1月3日 - 1977年昭和52年)3月9日)は、日本金属工学者(冶金学者)である[1][2]

経歴・人物[編集]

岡山県の生まれ[1][2]。東京帝国大学(現在の東京大学)卒業後[1][2]、東北帝国大学(現在の東北大学)附属理科大学臨時理化学研究所に勤務する[2]。1919年(大正8年)には同大学の講師となり[2]、冶金学の教鞭を執った。その後は助教授を経て1923年(大正12年)には教授に昇格した[1][2]1924年(大正13年)から翌1925年(大正14年)まで冶金学の研究により[2]イギリスフランス[2]ドイツ等ヨーロッパの津々浦々に留学した[2]。留学中は蒸留マンガンの製造法や、鉄-マンガン及び鉄-ニッケル-マンガン合金の規則格子の研究に携わり[1][2]理学博士を取得する[2]

帰国後は東北大学に復職し[2]、同大学の金属材料研究所専任教授となった[2]1933年(昭和8年)には同研究所の所長を務め[1][2]、その後は高岡工業専門学校長(後に富山大学工学部長昇格後も続役)や富山大学学長[1][2]、学会及び産業界の評議員を務めた[2]1947年(昭和27年)には再度研究所の所長を務め[2]、同年から1950年(昭和25年)まで電磁材料研究所の理事長も務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 石原寅次郎”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 石原 寅次郎”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2023年8月15日閲覧。
先代
鳥山喜一
富山大学学長
第2代:1953年 - 1957年
次代
梅原真隆
先代
本多光太郎
電磁材料研究所理事長
第2代:1947年 - 1950年
次代
増本量