神智学協会

神智学協会の紋章
ウイリアム・クァン・ジャッジ
神智学協会設立趣意書

神智学協会(しんちがくきょうかい、英語: Theosophical Society)は、ヘレナ・P・ブラヴァツキーヘンリー・スティール・オルコットウィリアム・クアン・ジャッジ英語版らが1875年にアメリカニューヨークで結成した神秘思想団体である[† 1]神智学[† 2]を振興した。神智協会(しんちきょうかい)とも。

設立の背景には、19世紀後半のアメリカ・ヨーロッパで既存の教会を批判する一種のリベラリズムとして出現した「心霊主義」(spiritualism) の流行がある[7]。神智学協会は仏教ヒンドゥー教などの東洋の宗教思想の西洋への普及に貢献し、一方、インドの人々には普遍主義的なヒンドゥー教改革運動の一種として受け取られた[4]

神智学協会は思想面だけでなく社会的・政治的面でも一定の役割を果たし[† 3]、1920年代頃までは、洋の東西を問わず「世界をおおうバニヤン樹」といえるほどの広範な影響力を有していた[9]

協会自体の活動は1930年代には下火になったが[9]、その思想は書物などを通じて現代まで大きな影響がみられる[10]。中心人物であったブラヴァツキーの思想は近現代の主要な神秘主義者たちに直接間接に影響を与え[11]、のちのアメリカのニューエイジ運動(現在のスピリチュアル)における様々な思想・信仰、大衆的オカルティズムの起源とされる[12][13](詳細は「神智学」を参照)。

神智学協会はいくつかに分裂しており、その実態はつかみにくいが、21世紀には[† 4]、インドに本部のある神智学協会は約70ヶ国に支部があり、会員3万3千人ほどとされる[14]

神智学協会の概略[編集]

ブラヴァツキー夫人
オルコット大佐

1875年ロシア出身のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(通称ブラヴァツキー夫人、HPBと略記、1831年 – 1891年)、弁護士で名誉大佐のヘンリー・スティール・オルコット(通称オルコット大佐、1832年 - 1907年[† 5]、オルコットの同僚の若き弁護士ウィリアム・クアン・ジャッジ英語版(1851年 - 1896年)ら、一握りの人々によって「オカルティズムやカバラ等々の研究と解明のために」[15]ニューヨークで神智学協会が設立された。

当時、ブラヴァツキーの住んでいたアパートでは、オカルトに関心のある少数の人々が定期的に集会を開いており、1875年9月の会合ではジョージ・ヘンリー・フェルトという人物がカバラやエジプトの秘儀について講演を行った。そこでのフェルトの精霊に関する議論に刺激を受けて、オルコットはこの種のことを研究する会を組織することを思い立ち、ブラヴァツキーに提案した[16]

かくして同年11月17日、「神智学協会」が発足した。当初の会員は18名ほどであった。オルコットが初代会長となり、初代副会長に解剖学教授セス・パンコーストと前述のフェルト、通信書記にブラヴァツキーが選出された。草創期の主な会員には元霊媒のエマ・ハーディング・ブリテン、著名なフリーメイソンのチャールズ・サザラン、ニューヨークの心霊協会会長ヘンリー・ニュートン、ニューヨークに来ていたロンドンの弁護士チャールズ・マシィなどがいた[15]

団体名に「神智学」という言葉を使うことを提案したのはチャールズ・サザランであった[17]。他に、医学者アレクサンダー・ワイルダー[† 6]アブナー・ダブルデイトーマス・エジソンなど、さまざまな人物が初期の神智学協会に参加した[19]

1877年、ブラヴァツキーの主著『ヴェールを剥がれたイシス』(Isis Unveiled: A Master-Key to the Mysteries of Ancient and Modern Science and Theology)が出版される。

1878年、創立時からの会員である英人チャールズ・マシィが帰国して「英国神智学協会」が設立される[20]。オルコットらはヒンドゥー教改革団体アーリヤ・サマージとの提携を決め、12月、オルコット、ブラヴァツキーら数名がインドに向けて出立。

雑誌『神智学徒』

1879年、ボンベイ(現ムンバイ)を拠点にインドでの活動を開始し、雑誌『神智学徒英語版』創刊。

1880年、ブラヴァツキーがインドの有力な英字紙の編集者であったアルフレッド・パーシー・シネット英語版の夏の別荘に滞在中、シネットの求めに応じて大師クートフーミから返信の手紙が届き、以後数年間に及ぶマハトマたちとの文通が開始される(A・P・シネット宛マハトマ書簡[21][† 7]

1882年、マドラス(現チェンナイ)南郊のアディヤール (Adyar;アダィヤール[† 8] [Adayar] とも) に神智学協会本部が設立される。

1883年、協会本部内に設けられた密閉されているはずの厨子の中にマハトマ書簡が頻繁に出現するようになる[24]アンナ・キングスフォードが英国神智学協会に加入、ロンドン・ロッジの長となるも、キリスト教神秘主義を志向したキングスフォードは帰国したA・P・シネットらのインド派と対立、シネットが同ロッジの会長となる[20]

レッドビータ

1884年、ブラヴァツキーとオルコットは欧州に旅行に出る。おおぜいの聴衆に迎えられ、多くの名士や知識人、新聞記者らが見に来る。これに伴いドイツでは「ゲルマン神智学協会」が設立される[25]。アンナ・キングフォードは自身の率いるヘルメス・ロッジを「ヘルメス協会」に改組して神智学協会から独立[20]。アディヤール本部の家政を任されていた元使用人エマ・クーロンは、マハトマ書簡やその他のさまざまな奇蹟は虚偽だったと暴露し、「奇跡」を起こすように指示したブラヴァツキーの手紙を公開(クーロン事件[22]。これを機にロンドンの心霊現象研究協会は会員のリチャード・ホジソンを現地に派遣し、同年末、ブラヴァツキーがヨーロッパから帰還する前に調査が開始される。チャールズ・ウェブスター・レッドビータが協会に加わる。

1885年、「マハトマ書簡」の筆跡はブラヴァツキーのそれと同じであり、ブラヴァツキーは巧妙な詐欺師だと断定するホジソンの報告書が発表され(ホジソン・レポート)、協会は決定的な打撃を受ける[† 9]。ブラヴァツキーは混乱を避けてヨーロッパに舞い戻り、オルコットはインドに残る。ホジソン・レポートの打撃を克服するため、ブラヴァツキーは隠棲先のヴュルツブルクで原稿を書き始める[26]

機関誌『ルシファー』

1887年、先の不祥事による混乱が沈静化すると、ブラヴァツキーはイギリスのロンドンに移り、小説家メイベル・コリンズ英語版の家に逗留。ロンドン・ロッジとは別にブラヴァツキー・ロッジを開設し、機関誌『ルシファー英語版』が創刊される[27]

1888年、ブラヴァツキーが2年間に書き溜めた原稿が第2の主著『シークレット・ドクトリン』(The Secret Doctrine)として出版される。ブラヴァツキーのロッジ内に「秘教部」が創設される[28]

アニー・ベサント

1889年、後に協会の中心となる社会活動家アニー・ベサントが加わる。

1891年、ブラヴァツキー死去。後継者としてアニー・ベサントを指名するが、権力闘争となる。

1895年、アメリカのジャッジと、インドのオルコット、ベサントが決別。アメリカのジャッジの組織は「アメリカ神智学協会」として分離独立(この分裂以降、オルコットとベサントの率いるインド、ヨーロッパの派閥をアディヤール派英語版と呼称する)。

キャサリン・ティングリー

1896年、米神智学協会を率いたジャッジが死去し、キャサリン・ティングリー英語版がその運営を引き継ぐ(この派は後にサンディエゴ近くのポイントロマにコミュニティーを築き[29]ポイント=ローマ派と呼ばれる[30]。)[† 10]。ティングリーが各地で自派の正統性を訴えると、これに呼応してベルリンで米神智学協会傘下の「ドイツ神智学協会」が設立され、医師フランツ・ハルトマン英語版[† 11]がその指導者となる[33]

1897年、フランツ・ハルトマン、ミュンヘンで「国際神智学同胞会」という分派を設立(翌年ライプツィヒへ移動)[34]

シュタイナー

1902年、会員の一人ルドルフ・シュタイナーがベルリンに神智学協会(アディヤール派)のドイツ支部を設立、その事務総長に就任。同地でシュタイナーは雑誌『ルツィフェル』を発刊(後に『ルツィフェル=グノーシス』に改名)[35]

1907年、オルコット死去、ベサントがインドの神智学協会(現神智学協会アディヤール派英語版)のトップに就任。

クリシュナムルティ

1909年チャールズ・ウェブスター・レッドビータがインド人少年ジッドゥ・クリシュナムルティを見出し、ベサントが養子として英才教育を施す。ロバート・クロスビーが米神智学協会(ポイント=ローマ派)から分かれて「ユナイテッドロッジ」(en:United Lodge of Theosophists)を結成[36]。イギリスの会員G・R・S・ミード英語版が脱退して「クエスト協会」を設立[36]

1912年、神智学協会の第2代会長であったベサントとレッドビータがクリシュナムルティを世界教師(=キリストの再来)とする動きに反発し、ルドルフ・シュタイナーは神智学協会を脱退。

1913年、シュタイナーが分離独立、人智学協会(アントロポゾフィー協会)を設立。

アリス・ベイリー

1923年、米国の神智学協会(アディヤール派)に関わっていたアリス・ベイリー、独立して「アーケイン・スクール」(不朽の知恵、秘教占星学)を発足させる。

1925年、ベサントがクリシュナムルティをトップとする「東方の星教団英語版」設立。ディオン・フォーチュンの『コスミック・ドクトリン』が発表され、フォーチュンは神智学協会キリスト教神秘主義ロッジの会長となる(1927年まで在任)[37]

1929年、クリシュナムルティ本人が「真理は集団で追求するものではない」との考えに基づき、「東方の星教団」を解散する宣言を行い、神智学およびすべての宗教から離れる。インド、スリランカなど一部を除き、神智学協会の多くの組織が離反、協会の大部分が消滅する。

1934年、レッドビータ死去。アディヤール派はベサントとレッドビータの著作をもとに〈神智学〉を再構築(ネオ神智学)。内容はブラヴァツキーのものと幾分異なる。

神智学協会の目的[編集]

神智学協会の目的は幾度も変更された。その一部を掲載する。

創設当初
  • 宇宙を支配している法則についての知識を収集し普及させること (To collect and diffuse a knowledge of the laws which govern the universe)[38]
1881年
  1. 人類の普遍的同胞愛の追求 (To form the nucleus of a Universal Brotherhood of Humanity)。
  2. (これを実現するための)アーリヤ文献、宗教、科学の研究 (To study Aryan literature, religion and science)。
  3. To vintage the importance of this enquiry and correct misrepresentations with which it has been clouded.
  4. To explore the hidden mysteries of nature and the latent powers of Man, on which the Founders believe that Oriental Philosophy is in a position to throw light.[39]
1887年[40]
  1. 人種、信条、肌の色で差別されない、人類の普遍的同朋愛の核を構成すること
  2. アーリヤ人種その他の東洋の文学、宗教、科学の研究を促進すること
  3. 自然の謎の法則と人間の心霊能力を探求すること
1896年(現行)[† 12]
  1. 人種、信条、性別、階級、皮膚の色にとらわれることなく、人類の普遍的同砲団の核となること。/ 人種、信条、性別、階級、皮膚の色の相違にとらわれることなく、人類の普遍的同胞愛の中核となること。/ To form a nucleus of the Universal Brotherhood of Humanity without distinction of race, creed, sex, caste or colour.
  2. 比較科学、比較哲学、比較科学の研究を促進すること。/ 比較宗教、哲学、科学の研究を促進すること。[† 13]/ To encourage the study of comparative religion, philosophy and science.
  3. 未だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を開発すること。/ 未だ解明されない自然の法則と人間に潜在する能力を調査研究すること。/ To investigate unexplained laws of Nature and the powers latent in man.[41]

歴代会長[編集]

歴代会長(分派後はアディヤールに本部を置く神智学協会の会長)

この他に、ベサントとともに協会を主導しブラヴァツキーの教義に多くの修正を加えたが、児童虐待疑惑(少年たちに自慰強制[42])で一線を逐われたチャールズ・ウェブスター・レッドビータ(1858?‒1934年、霊視能力を身につけたとされる)、ジョージ・アルンデールの妻で、バレエに範をとってインド古典舞踊の改革に力を注いだルクミニー・デーヴィー・アルンデール英語版(1904‒86)などの有力者がいた[14]

日本における神智学協会[編集]

ジェームズ・カズンズ

類似宗教学者(自称)の吉永進一は、日本の霊性文化における〈神智学〉の重要度はアメリカに比べると1960年代までは低く、明治期から紹介されたにもかかわらず、当初は常に忘却されていたと述べている[43]。〈神智学〉が一般に広まったのは、「精神世界」の流行や「第三次宗教ブーム」が見られた「1970年代から80年代」以降で[44]、「精神世界ブーム」(現在の「スピリチュアル」)の重要な一角を占めている[45]

日本の「神智学協会」の活動としては、明治22年にはオルコットが来日し、文献が翻訳され神智学ロッジが作られたが、評価は一部の仏教青年に限られ、仏教復興運動が軌道に乗ると、〈神智学〉は忘れられた[46]。明治40年代には、海軍機関学校の講師であったE・S・スティーブンソンというポイント・ローマ派の人物が逗子にロッジを開き、ブラヴァツキーの書籍を翻訳している[46]

大正期には、詩人・慶應義塾大学英語教員のジェイムズ・カズンスが中心となり、アディヤール派のロッジ活動が行われ、大正9年に東京国際ロッジが開設された[46]。その後鈴木大拙夫妻が京都にうつると、このロッジは閉鎖された。大正13年には、大拙の妻鈴木ビアトリス大谷大学龍谷大学の教員を中心に大乗ロッジを発足させた。これにはアメリカのハリウッドにあるクロトナ神智学学院に滞在した宇津木二秀も参加し、京都での活動は宇津木と鈴木大拙夫妻が中心となって行われた[46]。ロッジ活動は低迷していたが、〈神智学〉の思想は大正時代以降、ある程度広まった[46]

昭和期には、教育者・牧師・翻訳者であった三浦関造[47](1883年 - 1960年)が〈神智学〉に興味を持ち、精神療法兼子尚積との出会いや見神体験を経て霊的な実践家として活動するようになった[48]。昭和5年にはアメリカに滞在し、サンディエゴのポイントロマの神智学協会で講演を行い、〈神智学〉の影響を受けたメタフィジカル教師たち[† 14]と交流した[49]。神智学的なメシア論を展開し[49]、戦中はファシスト的オカルティストと提携していた[50]。昭和28年にスワーミー・ヨーガーナンダヨーガ技法を集めた『幸福への招待』(東光書房、1953年)を著し、最晩年の7年間は神智学・ヨーガ教師として活動し、神智学ヨガ団体「竜王会」(綜合ヨガ団体竜王会[51])を結成した[52](ただし、竜王会発足後に三浦が紹介したのはヨーガーナンダのヨーガではなく、インドのヨーガは堕落しており、アリス・ベイリーポール・ブラントンモーリス・ドーリルなどを学ぶことが重要であると主張する[53]一方、「いかがわしい誤謬だらけの西洋模倣ヨガの本を悉く捨ててしまいなさい」とも述べている)。

三浦によって「竜王文庫」が設立され、機関誌『至上我の光』(昭和29年創刊)を刊行し、三浦の生前には自著や〈神智学〉、ヨガの書籍が10冊ほど出版された。当時は冷戦時代であり、三浦は終末思想を展開したドーリルの教説に特に傾倒し、ブラヴァツキーの霊的進化論、新時代の到来と終末思想、マスター(マハトマ)と彼らが住むシャンバラの存在、救世主の待望、地球空洞説ユダヤ人陰謀説などを背景に、自身の神格化を強め、竜王会は一種の宗教団体に近くなっていった[54]。昭和35年に三浦が死去したため、竜王会の終末思想は激化することはなかった[55]。会長職は娘の田中恵美子が継いだ[56]。竜王文庫は三浦の著作などを刊行し続け、1970年代まで〈神智学〉思想の数少ない供給源であった[50]

1971年(昭和47年)に、竜王会の内部部門として神智学協会日本支部である「神智学協会ニッポン・ロッジ」が作られ、田中恵美子が初代会長となった。田中恵美子が1995年に没した後、1996年から2003年まではジェフ・クラークが第2代会長を務めた。神智学ニッポン・ロッジは、2003年に竜王会と分かれ、インドのアディヤールに国際本部がある神智学協会(神智学協会アディヤール)直属となった。杉本良男は、近年はあまりめだった活動は行っていないようであると述べている[14]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 宗教団体と言われることもある[1]。神智学協会は「真理に勝る宗教はない」という超宗教的なスローガンを掲げるなど、自らを宗教団体とみなしていないふしがあり[2]、協会にはいかなるドグマ(教条)もないとして[3]、会員に特定の教義を押し付けることはないと主張している[4]
  2. ^ ここではブラヴァツキーら神智学協会に始まる思想を指し、それ以前からあるキリスト教神智学とは異なる。秘教史家グドリック=クラークは、ヤーコプ・ベーメらのキリスト教神智学 (Christian theosophy) と区別して、頭大文字の〈神智学〉 (Theosophy) あるいは〈近代神智学〉 (Modern Theosophy) という用語を使用している[5]。とはいえ、アントワーヌ・フェーヴルはキリスト教神智学の影響を受けた20世紀の思想家たちの名を挙げており[6]、近現代にキリスト教神智学の命脈が絶たれていたとは必ずしも言えない。
  3. ^ 特に、第2代会長アニー・ベサントは1910-20年代に民族主義勢力と連携してインド独立運動に尽力した[8]
  4. ^ 出典は2010年に発表された論文であるが、この情報がいつの時点のものかは明記されていない。
  5. ^ オルコットの興味はのちに神智学から仏教に移った。
  6. ^ 医学校の教授や編集者をしながら、イアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』の翻訳や、『新プラトン主義と錬金術』など多くの哲学論文を物した。ブラヴァツキーの主著『ヴェールを剥がれたイシス』の序文「ヴェールの前で」の多くの部分はかれに負っている[18]
  7. ^ 後にA・P・シネットはブラヴァツキーとは距離を置くようになるが、霊媒を使ってマハトマとの通信を継続しようとした[22]
  8. ^ インド思想史家の山下博司による表記[23]
  9. ^ 後にこれは心霊現象研究協会手続上の瑕疵により、心霊現象研究協会としての行動ではなかったと表明。
  10. ^ ティングリーが作った華やかな神智学コミュニティにより、カリフォルニアはオカルトの地として知られ、世界中のオカルティストが集まるようになり、ニューエイジにおいて重要な場所となった[31]。ポイントロマのコミュニティは1907年頃が最盛期だったが、第一次世界大戦までに財政状況が悪化し、1923年に寄附に関わるスキャンダルによりティングリーはポイントロマを去り[31]、彼女の没後はパサデナに移転した[29]神智学協会パサディナ)。
  11. ^ 先のリチャード・ホジソンによる調査の折、アディヤール本部の責任者を務めていた[32]
  12. ^ 神智学協会ニッポン・ロッジの日本語訳2種類。タイトル・ページにかかげられている翻訳、入会案内のページの翻訳の順で記す。
  13. ^ 文化人類学者の杉本良夫は次のように指摘している。「『比較 comparative』が、この訳のように哲学、科学までかかるのか、宗教だけにかかるのかについては大きな問題をはらんでいる。科学史的には、1896年時点で比較哲学、比較科学という概念はありえないようであるが、協会自体も明確ではないようである。」[41]
  14. ^ 吉永によれば、メタフィジカル宗教とは、アメリカ西海岸の書店で使用されている社会的にも通用している用語で、〈神智学〉を思想的柱とする大衆的オカルティズムを意味する。

出典[編集]

  1. ^ 野崎 2005, p. 78.
  2. ^ 杉本 2010, pp. 182, 187.
  3. ^ ストーム, 高橋・小杉訳 1993, p. 21.
  4. ^ a b パートリッジ編, 井上監訳 2009, pp. 445-447, Kevin Tingay 「神智学協会」(宮坂清訳).
  5. ^ Goodrick-Clarke 2008, p. 211.
  6. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, pp. 122–123.
  7. ^ 杉本 2010, p. 185.
  8. ^ 山下 2004, pp. 226–227.
  9. ^ a b 杉本 2010, p. 188.
  10. ^ 深澤 2012, pp. 772–773.
  11. ^ 杉本 2010, pp. 187–188.
  12. ^ 杉本 2015, p. 201.
  13. ^ 大田 2013, p. 106.
  14. ^ a b c 杉本 2010, p. 186.
  15. ^ a b Goodrick-Clarke 2008, p. 217.
  16. ^ 稲生 2013, p. 174.
  17. ^ 稲生 2013, p. 175.
  18. ^ ワイルダー, 堀江訳 2014.
  19. ^ 稲生 2013, pp. 174–175.
  20. ^ a b c 吉村 2013, p. 57.
  21. ^ Goodrick-Clarke 2008, pp. 219–220.
  22. ^ a b 稲生 2013, p. 181.
  23. ^ 山下 2004, pp. 224, 227.
  24. ^ 山本 2006, pp. 406–407.
  25. ^ 横山 1990, p. 109.
  26. ^ 吉村 2010, p. 105.
  27. ^ 吉村 2013, pp. 58–59.
  28. ^ 稲生 2013, p. 184.
  29. ^ a b 吉永 2005, p. 279.
  30. ^ 横山 1990, pp. 58, 111.
  31. ^ a b 海野 2001, pp. 18–24.
  32. ^ 横山 1990, p. 110.
  33. ^ 横山 1990, p. 111.
  34. ^ 横山 1990, p. 112.
  35. ^ 横山 1990, pp. 113, 115.
  36. ^ a b Greer 2003, p. 480.
  37. ^ Goodrick-Clarke 2008, pp. 206–207.
  38. ^ 杉本 2010, p. 174.
  39. ^ 杉本 2010, pp. 174, 222.
  40. ^ 「オルコット去りし後――世紀の変わり目における神智学と“新仏教徒”」吉永進一『近代と仏教』末木文美士編、国際日本文化研究センター, 2012.3.16
  41. ^ a b 杉本 2010, p. 223.
  42. ^ 大田 2013, p. 62.
  43. ^ 吉永 2010, pp. 382–383.
  44. ^ 大田 2013, p. 180.
  45. ^ 大田 2013, ch. 3.
  46. ^ a b c d e 吉永 2010, p. 383.
  47. ^ 小田光雄古本夜話148 三浦関造『革命の前』、ブラヴァツキー、竜王文庫
  48. ^ 吉永 2010, pp. 387–388.
  49. ^ a b 吉永 2010, p. 388.
  50. ^ a b 吉永 2010, p. 392.
  51. ^ (株)竜王文庫の沿革
  52. ^ 吉永 2010, p. 389.
  53. ^ 吉永 2010, pp. 389–390.
  54. ^ 吉永 2010, p. 391.
  55. ^ 吉永 2010, pp. 391–392.
  56. ^ 大田 2013, p. 183.

参考文献[編集]

  • 稲生平太郎『定本 何かが空を飛んでいる』国書刊行会、2013年。 
  • 海野弘『癒しとカルトの大地 - 神秘のカリフォルニア』グリーンアロー出版社〈カリフォルニア・オデッセイ4〉、2001年。 
  • 大田俊寛『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年。ISBN 978-4-480-06725-8 (第一章「神智学の展開」他 参照)
  • 杉本良男「比較による真理の追求 : マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」『国立民族学博物館調査報告』第90号、国立民族学博物館、2010年3月31日、173-226頁、NAID 120003755699 
  • 杉本良男「マダム・ブラヴァツキーのチベット」『国立民族学博物館研究報告 40(2)』、国立民族学博物館、2015年、199-214頁、NAID 120005727188 
  • 野崎晃市「平井金三とフェノロサ : ナショナリズム・ジャポニズム・オリエンタリズム」『宗教研究 79巻1輯』、日本宗教学会、2005年6月30日、73-96頁、NAID 110002826642 
  • 深澤英隆「神智学」『世界宗教百科事典』丸善出版、2012年、772-773頁。 
  • 山下博司『インドゥー教 - インドという〈謎〉』講談社〈講談社選書メチエ〉、2004年。 
  • 山本弘「空中から手紙が降ってくる!? 神智学の大家ブラヴァツキー夫人!」『トンデモ超常現象99の真相』と学会[山本弘+志水一夫+皆神龍太郎]著、洋泉社、2006年。 
  • 横山茂雄「影の水脈」『聖別された肉体 - オカルト人種論とナチズム』書肆風の薔薇、1990年。 
  • 吉永進一「2.オカルトとニューエイジ : 一種の思想史として(II「精神世界」のありさまをとらえる,ワークショップ(1)「精神世界」の構図-現代社会と現代人の意識を理解する手がかりとして-)」『宗教と社会. 別冊, ワークショップ報告書 1997』、「宗教と社会」学会、1998年3月1日、16-22頁、NAID 110007653781 
  • 吉永進一 執筆「神智学」『現代宗教事典』井上順孝 編、弘文堂、2005年、279-280頁。 
  • 吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史(<特集>スピリチュアリティ)」『日本宗教学会宗教研究 84巻2輯』、日本宗教学会、2010年9月30日、579-601頁、NAID 110007701175 
  • 吉村正和『心霊の文化史 — スピリチュアルな英国近代』河出書房新社〈河出ブックス〉、2010年。 
  • 吉村正和『図説 近代魔術』河出書房新社〈ふくろうの本〉、2013年。 
  • レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在 - 地上の楽園を求めて』高橋巖・小杉英了 訳、角川書店〈角川選書〉、1993年。 
  • クリストファー・パートリッジ 編著『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』井上順孝 監訳、悠書館、2009年。 
  • アントワーヌ・フェーブル『エゾテリスム - 西洋隠秘学の系譜』田中義廣 訳、白水社文庫クセジュ〉、1995年。 
  • アレクサンダー・ワイルダー『新プラトン主義と錬金術 - 神智学の起源をたずねて』堀江聡訳(電子書籍版)、宇宙パプリッシング、2014年。 
  • Goodrick-Clarke, Nicholas (2008). The Western Esoteric Traditions. New York: Oxford University Press 
  • Greer, John Michael (2003). The New Encyclopedia of the Occult. Woodbury, MN: Llewellyn Publications 

関連文献[編集]

  • H.P.ブラヴァツキー 著、田中恵美子、ジェフ・クラーク 訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論 上』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989年。ISBN 4-89741-317-6 
  • H.P.ブラヴァツキー 著、田中恵美子 訳『神智学の鍵』神智学協会ニッポンロッジ〈神智学叢書〉、1987年。OCLC 144086366全国書誌番号:87023321 
  • 三浦関造 訳『聖典沈黙の声』(改訂版)竜王文庫、1962年。OCLC 674383420全国書誌番号:63010536 
  • H.P.ブラヴァツキー 著、老松克博 訳、ボリス・デ・ジルコフ 編『ベールをとったイシス 第1巻』竜王文庫〈神智学叢書〉、2010年。ISBN 978-4-89741-600-7 
  • H.P.ブラヴァッキー 著、田中恵美子 訳『実践的オカルティズム』(改訂2版)竜王文庫、1988年。ISBN 4-89741-318-4 
  • H.P.ブラヴァツキー『夢魔物語』竜王文庫。 
  • H.P.ブラヴァツキー 著、加藤大典 訳『インド幻想紀行 上』筑摩書房ちくま学芸文庫〉、2003年。ISBN 4-480-08754-0 
  • H.P.ブラヴァツキー 著、加藤大典 訳『インド幻想紀行 下』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2003年。ISBN 4-480-08755-9 
  • ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー 著、山口多一 訳、ウィニーフレッド・パーレィ 編『ブラヴァツキーのことば365日』アルテ/星雲社、2009年。ISBN 978-4-434-13599-6 
  • ハワード・マーフェット 著、田中恵美子 訳『近代オカルティズムの母H・P・ブラヴァツキー夫人』神智学協会ニッポンロッジ〈神智学叢書〉、1981年。ISBN 4-89741-308-7 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]