竹山洋

竹山 洋
脚本家 竹山 洋
脚本家 竹山 洋
プロフィール
本名 武田 淳一
誕生日 (1946-07-28) 1946年7月28日
出身地 日本の旗 日本
埼玉県の旗 埼玉県所沢市
死没日 (2023-04-12) 2023年4月12日(76歳没)
出身校 早稲田大学文学部
主な作品
テレビドラマ NHK金曜時代劇
■『清左衛門残日録
(1993年)
NHK大河ドラマ
■『秀吉
(1996年)
毎日放送
■『夫の宿題』
(1999年)
NHKBSハイビジョン
■『菜の花の沖
(2000年)
NHK大河ドラマ
■『利家とまつ
~加賀百万石物語~
(2002年)
TV朝日 松本清張ドラマスペシャル
■『点と線
(2007年)
映画 ■『四十七人の刺客
(1994年東宝
■『ホタル
(「ホタル」製作委員会)
(2001年東映
■『かあちゃん
映像京都|日活|イマジカ|シナノ企画
(2001年東宝
■『SABU 〜さぶ〜
名古屋テレビ|電通|セディックインターナショナル)  
 (2002年キネマ旬報社
受賞
旭日小綬章 受章
(2017年)
紫綬褒章 受章
(2007年)
■第25回日本アカデミー賞
脚本賞優秀賞 受賞
(2002年)
■第51回平成12年度芸術選奨
文部科学大臣賞 受賞
(2001年)
■第18回日本アカデミー賞
脚本賞優秀賞 受賞
(1995年)
■第2回橋田賞 受賞
(1994年)
その他
小説・著作
■長編小説『青い石』
(2000年 幻冬舎
■『「利家とまつ」に学ぶ
ビジネスマンの為の49の知恵』
(2002年 幻冬舎
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竹山 洋(たけやま よう、1946年7月28日[1] - 2023年4月12日[2][3])は、日本脚本家小説家。株式会社Ami Filmの中心作家。本名:武田 淳一(たけだ じゅんいち)[3][4]

経歴・人物[編集]

略歴[編集]

埼玉県所沢市生まれ。埼玉県立所沢高等学校卒業。大学時代はジャズ・ベース奏者として活動し、早稲田大学文学部演劇科を卒業。

旅行代理店[5](広告代理店とも)、制作会社、構成作家、雑誌記者を経て、1973年頃から脚本を書きはじめる。師匠は高岡尚平[6]。妻帯者[7]

主な作品に、テレビ朝日特捜最前線』(1977年)、テレビ朝日『鉄道公安官』(1979年)のほか、根岸吉太郎監督の『朝はダメよ!』(1980年)[8]東陽一監督『うれしはずかし物語』(1988年)といった日活ロマンポルノ映画などでも脚本を執筆。TBS俺たちの時代』(1989年)、NHK連続テレビ小説京、ふたり』(1990年)、NHK金曜時代劇清左衛門残日録』(1993年)、市川崑監督の映画『四十七人の刺客』(1994年)の脚本を担当。

NHK大河ドラマ秀吉』(1996年)で注目を浴び、毎日放送『夫の宿題』(1999年)、NHK『菜の花の沖』(2000年)で、平成12年度第51回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2002年にはNHK大河ドラマ『利家とまつ~加賀百万石物語~』を手がけ、『秀吉』と共に高視聴率を獲得する。

他の作品に、一倉治雄監督『義務と演技』(1997年)、降旗康男監督『ホタル』(2001年)、三池崇史監督『SABU 〜さぶ〜』(2002年)、テレビではTBS『秘められた心中』(1986年)、『恋人たちのいた場所』(1986年)、フジテレビ男と女のミステリー』(1988年)など。また2000年には初の長編小説『青い石』を刊行し、他にも『坊さんがゆく』(1999年)、『火神』(2005年)などの著書がある。

執筆は手書きで筆記用具は万年筆。趣味はジャズ演奏(ベース)、散歩、映画、読書、麻雀、手打ちうどん。日本放送作家協会[9]理事(2015年12月時点)。

演出家・プロデューサー・映画監督である堀川とんこうの後輩にあたる。堀川に乞われて、同人誌『随筆春秋』(一般社団法人随筆春秋)が毎年主催する随筆春秋賞(公募)の審査員を務めていた[10]。『随筆春秋』に毎回寄稿し[11]純文学の裾野を広げることにも尽力している。

2023年4月12日午後11時31分、東京都新宿区の病院で敗血症性ショックのため死去[2][3]。76歳没。

2023年6月30日、NHKBSプレミアムで再放送された『菜の花の沖』第1回「果てしなき夢」の最後の画面に「4月12日に逝去された竹山洋さんに謹んで哀悼の意を表します」と表示された。

子供時代[編集]

埼玉県の所沢の米軍基地の外の銀杏(イチョウ)並木に沿って、オンリー(米兵の恋人)と呼ばれる女性たちの住む貧民街があった。殆(ほとん)どの家がトタン屋根のバラックだった。子供のころ、私はそこで暮らしていた。父は海軍上等兵だったが、終戦後に結核に罹(かか)り、家計は母が支えていた。

太陽のような笑顔の明るい人で、女優の原節子に似ていた。建設作業員宿舎の賄いをやったり、農家の茶摘み、草取り、稲刈りなど休む間もなく働いていた。それでも金はない。「一・六銀行に行ってくる」。一と六で七(しち)――つまり質屋のことである。よく質屋に行っていた。[12]

(竹山洋「母の形見の指輪」より抜粋)

大学時代[編集]

早稲田大学時代はニューオーリンズジャズクラブで演奏していた。モダンジャズ研究会に所属しているタモリとは親しかった。タモリが初めてテレビに出演した時、「どこかで見たな」と思った。その後、タモリが週刊誌に載っているのを発見し、「あの森田だ」と思った。あれぐらいびっくりしたことはない、と振り返る。[13]

受賞歴[編集]

代表作[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

著作[編集]

  • ボクの就職(竹山洋:原作/岩本道子:ノベライズ、二見書房、1994年6月)
  • 彼(竹山洋:脚本・中村みなみ:ノベライズ、関西テレビ放送、1997年3月)
  • メロディ(竹山洋:原作/浅野美和子:ノベライズ、双葉社、1997年4月)
  • 坊さんがゆく(日本放送出版協会、1999年4月)
  • 青い石(幻冬舎、2000年4月)
  • ホタル(「ホタル」製作委員会:編、角川書店、2001年6月)
  • 利家とまつ 上(日本放送出版協会、2001年11月)
  • 利家とまつ 下(日本放送出版協会、2001年11月)
  • ホタル(角川書店 、2002年3月)
  • 「利家とまつ」に学ぶビジネスマンのための49の知恵(幻冬舎、2002年)
  • 利家とまつ 1(竹山洋:原作/立木美和:漫画、講談社、2002年9月)
  • 利家とまつ 2(竹山洋:原作/立木美和:漫画、講談社、2002年12月)
  • 利家とまつ 上巻(新潮社、2003年10月)
  • 利家とまつ 下巻(新潮社、2003年10月)

脚注[編集]

  1. ^ 辞書オンライン人物事典
  2. ^ a b "脚本家の竹山洋さん死去 76歳 数多くのドラマや映画を手がける". NHK. 17 April 2023. 2023年4月17日閲覧
  3. ^ a b c "脚本家・竹山洋さん死去、76歳…大河ドラマ「秀吉」「利家とまつ」など手がける". 読売新聞. 17 April 2023. 2023年4月17日閲覧
  4. ^ 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス
  5. ^ @niftyの有料人物情報(G-Search)[1]を利用し「日外アソシエーツ現代人物情報」にて竹山の情報を引き出すと「――卒業後は旅行代理店に入社」とある。有料サイトのため当該URLを示すことはできない。
  6. ^ 高岡尚平(たかおかしょうへい)2002/01/21没。作品は、裸の大将 清のさよなら鞆ノ浦1989年TV脚本、裸の大将 清と伊豆の踊り子たち1988年TV脚本、裸の大将放浪記 帰って来た裸の大将放浪記1983年TV脚本、武田信玄1966年TV脚本、東京おにぎり娘1961年脚本、熱い砂1960年脚本、ふり袖捕物帖 ちりめん駕篭1957年脚本。
  7. ^ 脚本家竹山洋さん死去、76歳 関係者「奥さんはぼうぜん自失」入院後も複数仕事抱えるも体調急変”. 日刊スポーツ (2023年4月17日). 2023年4月17日閲覧。
  8. ^ 日活株式会社
  9. ^ 日本放送作家協会
  10. ^ 同人誌随筆春秋
  11. ^ Amazonの『随筆春秋』の販売ページで「6点のすべてのイメージを見る」をクリックして、同誌の目次を見ると竹山の名がある。
  12. ^ https://www.nikkei.com/article/DGKKZO29420720W8A410C1BE0P00/ 左記は、日本経済新聞の電子版。タイトルは、「脚本家 竹山洋(1)母の形見の指輪 こころの玉手箱」2018年4月16日 15:30 。当該文章は、ここから抜粋したものである。
  13. ^ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201911260000842.html 左記は、日刊スポーツウェブ版。ここに当該事実が記述されている。タイトルは「タモリとの交流秘話「あの森田だ」脚本家の竹山洋氏」 [2019年11月26日21時22分]以下に抜粋した。――NHK大河ドラマ「秀吉」「利家とまつ」を手がけた脚本家の竹山洋氏(73)が26日、大阪市内で、吉本興業がシナリオライターを養成する「よしもとライターズアカデミーウエスト」の特別講師を務めた。 竹山氏は96年の「秀吉」で注目を浴びた。大河ドラマの実現に至った経緯は、「NHKでお茶を飲んでいるときに『そろそろ長いものはどうですか』と大河ドラマの話がきた」と明かした。「脚本家になって目指すのは大河ですから。テレビライターで大河を目指していないなんてのはいない」といい「『大河はどう?』って言われた瞬間、このために生きてきたと思い、血管が切れそうになった」と振り返った。竹山氏の母は泣いていたという。 主演で豊臣秀吉を演じた竹中直人(63)について「あのときの竹中直人には秀吉の魂、怨霊が宿っていた」と話した。 竹山氏は早大の演劇科出身。学生時代はニューオーリンズジャズクラブで演奏活動をしていた。モダンジャズ研究会に所属していたタモリ(74)とは親しく交流していた。 タモリが初めてテレビに出演したとき「どこかで見たな」と思ったという。その後、週刊誌にタモリが載っているのを発見し「あれぐらいびっくりしたことはない。あの森田だ」と驚いたという。竹山氏がTBSに勤務していたときに、九州にいたタモリから電話があり「東京に行きたいんだけど、仕事ない?」と聞かれ「やめろよ」と断ったことがあったと明かした。「あのとき受けていたらな」と振り返った。――以上
  14. ^ 日本経済新聞
  15. ^ 旭日大綬章に坂本剛二氏ら=俳優の大村崑さん小綬章-秋の叙勲”. 時事ドットコム (2017年11月3日). 2017年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月25日閲覧。
  16. ^ 演劇ニュース
  17. ^ https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=25 左記は、日本アカデミー賞の公式ウェブの第25回(2002年)の詳細ページ。ここに、脚本賞 優秀賞として、降籏康男の名と併記された、竹山洋、の名を確認できる。対象作品は、「ホタル」。
  18. ^ https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsuka/sensho/pdf/rekidai_jushosha.pdf 左記には、文化庁>芸術選奨>芸術選奨歴代受賞者一覧(昭和25年度~)が、PDF形式で、掲載されている。この第51回に、竹山洋、の名が確認される。
  19. ^ https://www.japan-academy-prize.jp/prizes/?t=18 左記は、日本アカデミー賞の公式ウェブの第18回(1995年)の詳細ページ。ここに、脚本賞 優秀賞として、池上金男、市川崑の名と併記された、竹山洋、の名を確認できる。対象作品は、「四十七人の刺客」。
  20. ^ https://hashida.or.jp/award/list.shtml 左記は、一般財団法人 橋田文化財団のウェブページ。ここに、〔受賞者リスト〕が掲載されている。第2回 橋田賞のところに、竹山洋、の名が確認できる。
  21. ^ 水曜シリーズドラマ 棘・おんなの遺言状 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス

関連項目[編集]

外部リンク[編集]