第二次マーリボル包囲戦

マーリボル包囲戦
小戦争
オスマン・ハプスブルク戦争
1532年9月12日 – 9月21日
場所マーリボル, シュタイアーマルク公国オーストリア大公国神聖ローマ帝国 (現スロヴェニア)
結果 マーリボルの防衛成功
衝突した勢力

神聖ローマ帝国

オスマン帝国
指揮官
クリストフ・ヴィルデンライナー スレイマン1世
パルガル・イブラヒム・パシャ
戦力
城守備兵・市民(数不明)[要出典] 100,000人[要出典]
被害者数
不明 不明

1532年マーリボル包囲戦 英語Siege of Maribor) またはマールブルク包囲戦 ドイツ語: Belagerung von Marburg)は、同年9月12日から9月21日にかけてマーリボル(現スロベニア)のハプスブルク帝国シュタイアーマルク公国の城塞を、スレイマン1世大宰相パルガル・イブラヒム・パシャ率いるオスマン帝国軍が包囲した戦い。クーセグ包囲戦に敗れウィーン遠征を諦めたオスマン軍が南方へ引き返す帰路にあったマーリボルを攻めたが、立てこもった現地の守備兵と市民が9日にわたる攻撃を耐え抜きオスマン軍を撤退させた。