第1次坂下門乱入事件

事件の舞台となった坂下門

第1次坂下門乱入事件(だいいちじさかしたもんらんにゅうじけん)とは、1971年(昭和46年)9月25日東京都千代田区で発生したテロ事件。

事件の発端[編集]

1971年9月27日より昭和天皇ヨーロッパ諸国7ヶ国を歴訪することになった。日本の新左翼は「天皇制イデオロギー利用による反動攻勢」と捉え、「天皇訪欧阻止」を呼号し、皇室に対するテロ攻撃、いわゆる「反皇室闘争」を激化させていた。

皇宮警察本部は、訪欧直前まで「護衛警備本部」を設置して、組織挙げての厳戒態勢で取り組んだ。

事件の概要[編集]

宮内庁庁舎(犯人はこの玄関から侵入した)

1971年9月25日午前11時55分頃、白の乗用車が皇居坂下門前に乗り付け、警視庁丸の内警察署坂下門見張所に発煙筒を投げつけ、そのまま坂下門に突進してきた。警視庁の警戒線が突破されたため、皇宮護衛官は直ちに車両阻止柵を門に置き、不審車を停車させた。

車の中からは犯人4人が飛び出し、発煙筒を投げつけたり、ヌンチャクを振り回して、皇宮護衛官に襲い掛かった。そして皇居内に侵入し、200m先の宮内庁庁舎に向かった。皇宮警察坂下護衛署の皇宮護衛官24人と追跡してきた警視庁警察官2人は宮内庁中央玄関で4人を取り押さえた。

犯人は拘束後も黙秘していたが、「中核」「沖青委」「天皇訪欧糾弾」と書かれた白のヘルメットを被っていたことから、中核派の構成員と見られた。

犯人[編集]

その後の調べで犯人は、沖縄出身者で中核派系組織「沖縄青年委員会」構成員[1]の成人3名と少年1人と判明した。

犯人グループに未成年がいたことから、裁判は少年とその他3人に分離して行われた。

1972年3月、東京地方裁判所は少年に懲役2年6月(執行猶予3年)を言い渡した。その他の3人については1975年3月に懲役3年(執行猶予4年)が言い渡された。

脚注[編集]

  1. ^ 「皇居乱入 4人は沖縄出身者」『中國新聞』昭和46年9月26日.15面

参考文献[編集]

  • 皇宮警察史編さん委員会編『皇宮警察史』皇宮警察本部、1976年

関連項目[編集]