第1次西成暴動

第1次西成暴動

第1次西成暴動(だいいちじにしなりぼうどう)とは、1961年(昭和36年)8月大阪府大阪市西成区あいりん地区(通称釜ヶ崎)で発生した日雇い労働者による暴動事件。「第1次釜ヶ崎暴動」ともいう。

事件の発端[編集]

1961年8月1日午後9時5分頃、西成区の路上でタクシーが人をはねて死亡させる交通事故が発生した。西成警察署被害者は既に死亡しているとし、遺体をそのままにして現場検証を行い、終了後に遺体を収容した。

これを見ていた日雇い労働者は、即座に遺体を収容しなかった警察に抗議し、暴動へと発展した。

事件の概要[編集]

交通事故直後から日雇い労働者が集まり始め、翌日未明までに東田町派出所を打ち壊した。その後西成署に移動して署の窓ガラスを割り、そして駐車していたパトカーを破壊炎上させた。

8月2日夜は、昨夜よりも多い4,000人が集結し、警察関係施設のみならず、電車やタクシーにも投石をして被害を与えた。

8月3日、大阪府警察は近隣の京都府警察兵庫県警察にも応援を依頼し、約6,300人の警官隊を投入したことで、暴動はようやく鎮圧した。 8月1日から4日にかけて労働者と警官合わせて1人が死亡、約600人が負傷した[1]。1954年の大阪府警察発足以来、最大の暴動事件であった。

脚注[編集]

  1. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、154頁。ISBN 9784816922749 

参考文献[編集]

  • 大阪府警察史編集委員会編『大阪府警察40年の記録』大阪府警察本部、1998年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]