籠尾良雄

籠尾良雄(かごおよしお、1934年3月10日2002年11月23日)は、日本の高校野球指導者高知県出身。

来歴[編集]

現在の土佐市(旧宇佐町)生まれ。土佐中学校・高等学校に進学。高校では野球部に入らず、溝淵峯夫監督からコーチ術を学び、休日に帰郷して宇佐中学校で教えていた。早稲田大学教育学部でも野球部に入らず森茂雄監督にコーチ術を学び、宇佐中学校野球部監督として指導していた。当時の教え子に片田謙二横山小次郎有藤通世浜村孝山下司井本隆がいる。卒業後は帰郷して中学校教師となり、1963年高知市立高知商業高等学校教諭に転じたが、野球部の部長しか空きがないため1学期で退職、母校の土佐高校教諭に転じた。同年秋、部員12人で四国大会を制し、2人の新規部員を含めて14人で翌年の第36回選抜高等学校野球大会に出場。1966年にも部員12人で第38回選抜高等学校野球大会に出場し、準優勝を果たし、純白のユニフォームと攻守交代時の全力疾走で強烈なインパクトを残した。進学校のために部員も少ないが、野球部のグラウンド隣に寮を建設、寮では英語の補習を行っていた。1993年8月限りで監督を勇退。翌年に同校教頭となり、1996年に退職。2002年11月23日、肺炎のため68歳で死去した[1][2]

出典[編集]

  1. ^ 籠尾良雄さん死去
  2. ^ 甲子園高校野球人名事典75-76ページ、森岡浩、東京堂出版、2004年、ISBN 978-4490106503