紅葉伝説

紅葉の策に眠りこむ平維茂。(1890年月岡芳年「平維茂戸隠山に悪鬼を退治す図」『新形三十六怪撰』)

紅葉伝説(もみじでんせつ)は、長野県戸隠(とがくし)、鬼無里(きなさ・現、長野県長野市)、別所温泉などに伝わる鬼女にまつわる伝説。平維茂(たいら の これもち)が鬼女・紅葉(もみじ)と戦い、討ち取る話である。

概要[編集]

今昔百鬼拾遺』の「紅葉狩」

信濃国の戸隠山にがおり、平維茂によってそれが退治されたというのが共通する伝説の要素である。その鬼は女性であり、名前を紅葉(もみじ)であるとするものが一般に流布されている。

室町時代から江戸時代にかけて、浄瑠璃歌舞伎では「紅葉狩」(もみじがり)という題名で描かれつづけ、平維茂が戸隠山におもむき、そこで出会った紅葉見物の美しい女性たち一行に出遭うという展開を設けている。その女性たちの正体が戸隠山の鬼、鬼女・紅葉であるとする。をもとにして作られた河竹黙阿弥による歌舞伎『紅葉狩』(1887年)は、紅葉に相当する鬼の名を更科姫(さらしなひめ)としている。

明治中期に出版された『戸隠山鬼女紅葉退治之伝』では、紅葉は伴氏の子孫であるとされ、第六天の魔王の力を持つ鬼とされる。元は呉葉(くれは)と呼ばれていたが、後に紅葉に名を改めて都に上り、都で源経基(みなもと の つねもと)に寵愛され一子を宿すが、戸隠の地へ流される。里の者に尊崇されるいっぽう、徒党を組んで盗賊を働き、冷泉天皇の勅諚によって派遣された平維茂の軍勢により、退治される。紅葉の一生を詳しく描いており、紅葉の出所や戸隠以前などを示している紅葉伝説はこの本の出版以後、『大語園』[1]などその内容を典拠としたものが多い[2]

善光寺道名所図会』によれば、退治された紅葉の霊は八丈坊・九丈坊という大天狗小天狗となり、日吉権現の眷属となって北向山を守護するようになったという[3]

戸隠山の鬼[編集]

戸隠山に鬼が存在し、それを武士が退治するという内容はほぼ一致しているが、紅葉のような女の鬼であるとしない伝承も古くから見られる。

その最古の例は13世紀に記された『阿裟縛抄』である。これによれば、9世紀中頃に「学門(学問とも)」という修行者が九つの頭と龍の尾を持つ鬼を岩戸に閉じこめ、善神に転じて水神として人々を助けたとされる[4]。なお、この鬼の龍の尾は越後国の尾崎という荒磯まで伸びており、その地方では尾崎権現として信仰されたという[4]

太平記』(巻32 直冬上洛事 附鬼丸鬼切事)では多田満仲(ただ の みつなか)が戸隠山で鬼を斬り、その刀が「鬼切」と名づけられたとされ、これが戸隠山に鬼が存在したという伝説として広く影響を与え、能などにも採り入れられたと考えられている[5]

また、戸隠神社につたわる『戸隠山絵巻』という室町時代ころに作られたとされる物語では、元正天皇の時代に九生大王(きゅうしょうだいおう)という鬼が戸隠山におり、きひの大臣[6]がそれを退治する。能の『紅葉狩』やお伽草子の『酒呑童子』の影響を文章上の用語などでも受けており、手下の鬼たちが女の姿に化けて大臣一行の前に姿を現わしてもいる[5][7]

旧鬼無里村根上地区にある内裏屋敷跡地鬼女紅葉供養塔

戸隠神社の祭事と鬼女伝説 [編集]

菅江真澄の『くめじの橋』では、平維茂が鬼(名は「荒倉の紅葉」)を平定した7月7日、8日、9日にちなみ、9月の7日、8日、9日に、顕光寺(現在の戸隠神社)において、紅葉した楓を高杯や窪杯に盛り付け、3日間鬼の亡魂を弔う「紅葉会」という行事が紹介されており、紅葉会の後に岩屋に楓を奉納すれば、その楓が越後国尾崎に出現するとされる[4]

また、『善光寺道名所図会』によれば、顕光寺最大の祭事である「七月会」において、長刀を振り上げる動作があるが、これは平維茂の鬼神退治の古例に則ったものであるとされる[4]

魏石鬼八面大王の妻とする伝説[編集]

魏石鬼八面大王の妻を紅葉鬼神とする伝承も残る。

伝説の舞台[編集]

鬼無里[編集]

鬼無里での紅葉伝説は他と違い、紅葉が村人に施した事が伝えられている。以下ウィキペディア鬼無里村から引用『一般には主人公の「紅葉」は妖術を操り、討伐される「鬼女」であるが、鬼無里における伝承では医薬、手芸、文芸に秀で、村民に恵みを与える「貴女」として描かれる。』。

  • 内裏屋敷跡(だいりやしきあと)、紅葉が暮らした屋敷跡[8]
  • 月夜の陵(はか)、紅葉の侍女の墓と云われる[9]
  • やかぶし(館武士・矢形ぶし)[10]
  • 地名・西京、東京、二条、三条、四条、五条、府成、清水、吉田、高尾、東山、他[11]
  • 寺社・松巌寺[12]。鬼無里神社、白髯神社[13]
  • 強清水、維茂柳[14]

戸隠(旧柵村・しがらみむら)[編集]

柵村、荒倉山(戸隠山ではない)が平維茂との決戦の舞台。実際に紅葉と平維茂が戦ったという場所や縁の場所が各地にある。

  • 鬼(紅葉)の岩屋[15]鬼(紅葉)の塚[16]
  • ゆかりの地・化粧水、屏風岩、舞台岩、釜壇岩(かまだん)、釜背負岩(かましょい)、駒爪岩。奥の岩屋[17]
  • 地名・安堵ヶ峰、竜虎ヶ原、毒(ぶす)の平、木戸、朝(あした)ヶ原、幕の入り、志垣(しがき)、柵(しがらみ)、渡土(わたど)、追通(おっかよう)[18]
  • 寺社・大昌寺(だいしょうじ)[19]。紅葉稲荷、山の神、矢先神社、矢本神社、十二神社[20]
  • 足神様[21]

別所温泉、長野市、木島平[編集]

鬼女紅葉まつり[編集]

  • 鬼無里の「鬼女紅葉まつり」・毎年10月第4日曜日。平成24年で13回目、当初は内裏屋敷跡で行われたが現在は松巌寺で行われる。松巌寺住職による法要、アトラクション(信州鬼無里鬼女紅葉太鼓など)。
  • 戸隠の「鬼女紅葉まつり」・毎年10月第4日曜日。平成24年で54回目、荒倉キャンプ場。出店や能舞台で素謡(囃子、舞なしの謡)などがおこなわれる。

紅葉伝説の文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 巖谷小波『大語園』第3巻平凡社1935年、93-95頁
  2. ^ 小松和彦『日本妖怪異聞録』小学館、1992年、ISBN 4-09-207302-X、136-137頁
  3. ^ NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 善光寺道名所図会 巻之五
  4. ^ a b c d 『宗教と文化 : 斎藤昭俊教授還暦記念論文集』斎藤昭俊教授還暦記念論文集刊行会編 1990年 こびあん書房[要ページ番号]
  5. ^ a b 島津久基『国民伝説類聚』 大岡山書店 1933年 273-288頁
  6. ^ 吉備大臣(きびのおとど)あるいは紀大臣(きいのおとど)であると考えられる。 島津久基『国民伝説類聚』 大岡山書店 1933年 288頁
  7. ^ 小松和彦『日本妖怪異聞録』 小学館 1992年 ISBN 4-09-207302-X、156-158頁
  8. ^ 紅葉が流罪となり最初に暮らした。「源氏伝説のふるさと」
  9. ^ 遷都伝説の頃(863年天武12年)頃との説もある。「源氏伝説のふるさと」
  10. ^ 内裏屋敷の搦め手の守りとも弓矢の練習をしたとも云われる。「源氏伝説のふるさと」
  11. ^ 紅葉が都を偲び京の地名を付けたと云われる。「源氏伝説のふるさと」
  12. ^ 紅葉の菩提を弔う寺で紅葉と家来の墓があり、紅葉が持っていたと云う地蔵菩薩像がある。「松巌寺縁起」
  13. ^ 平維茂が戦勝を祈願した。「源氏伝説のふるさと」
  14. ^ 平維茂が峠で疲れ沢で水を飲み「こわい、こわい」(方言)と言った。維茂が楊枝を刺すと芽が出て木になった。「源氏伝説のふるさと」
  15. ^ 紅葉が暮らしたと云う洞窟。「鬼女紅葉伝説の里」
  16. ^ 紅葉と家来の墓と云われる。「鬼女紅葉伝説の里」
  17. ^ 伝説にちなんだ岩や沢などに名前が付く。「鬼女紅葉伝説の里」
  18. ^ 紅葉と維茂の戦いの舞台となった各地に地名が残る。「鬼女紅葉伝説の里」
  19. ^ 別名紅葉峰(もみじほう)、紅葉と維茂の名が同じ位牌にある。戦いの場面を時系列に沿って描かれた大きな掛け軸がある。「鬼女紅葉伝説の里」
  20. ^ 紅葉や維茂が祈願した社「鬼女紅葉伝説の里」
  21. ^ 戸隠神社中社脇には紅葉の手下と云われる「おまん」を祀った足神様がある。「鬼女紅葉伝説の里」
  22. ^ 長野県上田市別所には紅葉との戦いで傷つき死んだという平維茂の墓と云われる塚がある。「源氏伝説のふるさと」
  23. ^ 別所温泉の北向観音は平維茂が改修したと云われる。紅葉と維茂の戦いを描いた絵馬がある。「源氏伝説のふるさと」
  24. ^ 長野市内の西厳寺、宝昌寺、木島平村の宣勝寺には紅葉と維茂の戦いを描いた掛軸がある。この三寺は平維茂の子孫が開いたとの伝承がある。また宝昌寺には維茂作という甲冑薬師如来像がある。「源氏伝説のふるさと」

参考文献[編集]

  • 小松和彦『日本妖怪異聞録』 小学館 1992年 ISBN 4-09-207302-X、136-160頁
  • 「源氏伝説のふるさと」ふるさと草子刊行会
  • 「鬼女紅葉伝説の里」鬼女紅葉を偲ぶ会
  • 「松巌寺縁起」松巌寺

関連作品[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]