細川護晃

細川 護晃
ほそかわ もりあき
男爵

出生 1882年8月10日
死去 (1898-08-27) 1898年8月27日(16歳没)
子女 細川護立(養子・弟)
父親 細川護久
母親 鍋島宏子
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細川 護晃(ほそかわ もりあき、1882年明治15年)8月10日 - 1898年(明治31年)8月27日)は、日本華族。細川男爵家の当主。

生涯[編集]

熊本藩知事などを務めた細川護久の三男。母は鍋島宏子(鍋島直正女)で、兄に細川護成(異母兄)、長岡護全、弟に細川護立がいる。

男爵となり、細川侯爵家から分家して細川男爵家を立てるが、16歳で早世した。このため、兄の跡目を同母弟の護立が継ぐこととなった。

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4031号「叙任及辞令」1896年12月4日。

参考文献[編集]

  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』霞会館、1996年。
爵位
先代
叙爵
男爵
肥後細川家(分家)初代
1896年 - 1898年
次代
細川護立