美ヶ原

美ヶ原
美ヶ原・牛伏山展望台
標高 2034.34(王ヶ頭) m
所在地 長野県松本市上田市
小県郡長和町
位置 北緯36度13分32.8685秒 東経138度6分26.7915秒 / 北緯36.225796806度 東経138.107442083度 / 36.225796806; 138.107442083
種類 火山
美ヶ原の位置(日本内)
美ヶ原
美ヶ原の位置
プロジェクト 山
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美ヶ原(うつくしがはら)は、八ヶ岳中信高原国定公園北西部にある長野県松本市上田市小県郡長和町にまたがる高原日本百名山の一つ。

概要[編集]

美ヶ原火山の地形図

フォッサマグナ西縁近くに噴出した第四紀火山である。

松本市内からの王ヶ鼻

かつては楯状火山とその溶岩台地と考えられてきたが、現在は安山岩質の組成を持つ火山の浸食地形と解釈されるようになった。最高峰は、王ヶ頭(2,034m)。他に、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といったピークがある。山頂付近は平坦な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる放牧地となっている。美ヶ原牧場には5月から10月まで約300頭の牛が放牧されている[1]。茶臼山頂上は草原で展望良く、とくに車山、蓼科山方面が近くに見える[2]

南東の蓼科山山麓からの美ヶ原(奥)

長野県のほぼ中央に位置し、県内の広範囲を見渡すことができる。このことから各種、放送通信の要衝となっている。松本市側の山頂(松本市入山辺字美ヶ原山頂)は日本郵便から交通困難地の指定を受けているため、地外から当地宛に郵便物を送付することは出来ない[3]

開発史[編集]

「美ヶ原」という呼称について、文献上の初見は『信府統記』であるとされる[4]。定着したのは、1921年大正10年)に木暮理太郎が、日本山岳会の会報『山岳』に登山の記録を載せてからである。

山頂付近は、平安時代より放牧地として利用されてきた。江戸時代には、御嶽山が展望できることから、御嶽教山岳信仰の山ともなった。王が鼻に並ぶ神像群はいずれも御嶽山の方角を向いており、御嶽教の信仰の対象である。

  • 1909年明治42年) - 美ヶ原牧場が開かれ、本格的な牧場として利用が始まった。
  • 1930年昭和5年) - 頂上に山本小屋が開業し、多くの登山者が訪れるようになった。
  • 1954年(昭和29年) - 美ヶ原のシンボルとなっている「美しの塔」が、遭難防止のための道標および避難所として建設された。
  • 1957年(昭和32年) - 山頂までの林道が開通し、頂上付近までバスが運行されNHKとSBCのアンテナが王ヶ頭に建設された。
  • 1981年(昭和56年) - ビーナスラインが開通し美ヶ原高原美術館が開館して、車で手軽に行ける観光地となった。

観光[編集]

  • 高原散策(美ヶ原自然保護センター-王ヶ頭-塩くれ場-高原美術館)
    散策路は、高原上の牧場の中を通る未舗装の車道であるが、一般車の通行は規制されている。徒歩2時間程度のコースである。初夏のレンゲツツジ、晩夏のマツムシソウを代表として、様々な種類の花が6〜9月頃には沿道に咲きみだれる。
霧に包まれた「美しの塔」
  • 美しの塔
    美ヶ原高原にある塔。1954年(昭和29年)に霧鐘塔(霧で視界が悪い時に登山者のために鳴らす鐘の塔)として建てられた。現在の塔は1984年(昭和59年)に再建されたもので、高原のシンボルとなっている。美ヶ原産の鉄平石でできた高さ6メートルの塔で中は避難場所となっている。塔には尾崎喜八の詩集『高原詩抄』に掲載された詩「美ヶ原溶岩台地」が刻まれている。毎年4月25日に塔の前で開山祭が行われる。
  • 美ヶ原高原美術館
  • 美ヶ原温泉は、美ヶ原山麓の平地(松本市里山辺)にある温泉。

登山[編集]

主な山[編集]

王ヶ頭[編集]

美ヶ原の最高峰で標高2,034m[1]。王ヶ頭ホテルがあるほか電波塔が多数設置されている[1]

王ヶ鼻[編集]

王ヶ頭の西側の尾根の先端にある山で標高2,008m[1]。王ヶ頭から約20分のところにあり石仏がある[1]

牛伏山[編集]

美ヶ原の東側にある山で標高1,990m[1]。山麓の美ヶ原高原美術館から約10分、南側の山本小屋ふる里館から約10分のところにある[1]

周辺にある小屋[編集]

  • 王ガ山荘
  • 王ヶ頭ホテル
  • 美ヶ原桜清水コテージ
  • 山荘ピリカ
  • 美ヶ原高原三城YH
  • 美ヶ原ハイランドロッジ
  • 美ヶ原高原ホテル
  • 山本小屋

放送局送信所[編集]

美ヶ原にある各種電波塔

松本市と上田市の境界に長野県内を放送範囲とする放送局の送信所が設置されている。テレビ送信所としては日本一の標高(長野放送は2,073m)に位置する[5]

当初は信越放送が日本のテレビ局としてはNHK大阪放送局の本局が生駒山に、北海道放送(HBC)の札幌本局が手稲山に設置したのに続いて山頂設置(マウンテン・トップ方式)により開局。これに他局も追従することで全社局の送信所がここに揃った。

地上デジタルテレビジョン放送送信設備[編集]

ID 放送局名 コールサイン チャンネル 空中線
電力
ERP 放送対象地域 放送区域
内世帯数
開局日
1 NHK
長野総合
JONK-DTV 17ch 1kW 7.8kW 長野県 40万0434世帯 2006年
4月1日[6]
2 NHK
長野教育
JONB-DTV 13ch 全国
4 TSB
テレビ信州
JONI-DTV 14ch 10kW 長野県 2006年
10月1日[6]
5 abn
長野朝日放送
JOGH-DTV 18ch 9.7kW 40万0453世帯
6 SBC
信越放送
JOSR-DTV 16ch 7.9kW 40万0434世帯
8 NBS
長野放送
JOLH-DTV 15ch 8.7kW
  • 送信所施設は各局とも既存のアナログ送信所を継続使用しているが、SBCデジタルテレビのみ既存のアナログ送信所を使用せず、NHKの送信所施設に相乗りしている。

地上アナログテレビジョン放送送信設備[編集]

  • 2011年7月24日の地上波アナログ放送終了をもって全局廃止となった。
ch 放送局名 コールサイン 空中線電力
(映像/音声)
ERP
(映像/音声)
放送対象地域 放送区域内世帯数 放送終了日
2 NHK
長野総合
JONK-TV 1kW/
250W
6.6kW/1.6kW 長野県 約50万世帯 2011年7月24日
9 NHK
長野教育
JONB-TV 9.8kW/2.4kW 全国
11 SBC
信越放送
JOSR-TV 12kW/3kW 長野県
20 abn
長野朝日放送
JOGH-TV 10kW/
2.5kW
100kW/26kW
30+ TSB
テレビ信州
JONI-TV 100kW/25kW
38 NBS
長野放送
JOLH-TV 92kW/23kW
  • NHKは、長野局美ヶ原送信所開局の前年に、長野市内をカバーするための善光寺平中継局を開局させた(東京JOAK-TVの中継局として)。また美ヶ原がある松本市だが、山陰になる部分も多く市内向けに別に中継局が開設されている。
  • テレビ信州は+10kHzのオフセットあり
  • 当送信所は、日本国内のテレビ送信施設としては、最も高い地点(2031m)にある。

FMラジオ放送送信設備[編集]

周波数
(MHz)
放送局名 コールサイン 空中線電力 実効輻射電力 放送対象地域 放送区域内世帯数
79.7 FM長野
長野エフエム放送
JOZU-FM 1kW 2.4kW 長野県 -
84.0 NHK
長野FM
JONK-FM 500W 2.7kW -
92.2 SBC
信越放送[7]
- 1kW[7][8][9] 2.4kw[9] -

放送局の送信施設のほか美ヶ原には、官庁、業務用無線の無線中継施設が設置されている。

アクセス[編集]

美ヶ原自然保護センターと美ヶ原高原美術館は約7km離れている。

関連画像[編集]

隣接する山[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 八ヶ岳中信高原国定公園 美ヶ原パノラマコース(遊歩道)マップ” (PDF). 道の駅 美ヶ原高原. 2020年12月15日閲覧。
  2. ^ 登山ルート・山旅スポット. “美ヶ原(うつくしがはら)の登山ルート・難易度”. 山旅旅. 2020年10月8日閲覧。
  3. ^ 別冊(内国郵便約款第79条及び第97条関係) 交通困難地・速達取扱地域外一覧” (PDF). 日本郵便 (2022年2月21日). 2022年5月1日閲覧。
  4. ^ 美ヶ原観光連盟「美ヶ原の歴史」より(2011年8月15日付、2015年3月20日閲覧)。『信府統記 巻二』に「うつくしが原」と記されている。
  5. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)66頁より。
  6. ^ a b 中継局整備状況(長野県) 総務省|信越総合通信局、2022年11月28日閲覧。
  7. ^ a b SBCラジオのワイドFMがいよいよ始まります!:SBC信越放送:SBC信越放送、2018年1月17日閲覧。
  8. ^ 総務省|信越総合通信局|信越放送株式会社のFM補完中継局に予備免許 ~長野県内の中波ラジオ放送の受信状況が改善~信越総合通信局、2018年1月17日閲覧。
  9. ^ a b 無線局免許状情報(信越放送長野FM(総務省)
  10. ^ 井出道貞著述『信濃奇勝録 巻之一』井出通、1887年4月25日。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]