花房正幸

 
花房 正幸
時代 戦国時代から江戸時代前期
生誕 大永4年(1524年
※大永6年(1526年)とも
死没 慶長10年6月22日1605年8月6日
別名 又七郎、又左衛門(通称)
諡号 道悦
官位 越後守
主君 赤松晴政宇喜多直家宇喜多秀家
氏族 花房氏
父母 父:花房正定?
花房正成花房正長
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花房 正幸(はなぶさ まさよし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将宇喜多氏の家臣。

家系は常陸国久慈郡花房郷を領した足利氏の一門、上野氏の庶流・花房氏という。

当初は赤松氏に仕えたが、天文年間には、宇喜多氏に属し、宇喜多直家の家臣としてその創業を支え、虫明城主となり1万8,000石を領した。智勇兼備の名将と言われ、弓の名手として、海賊の頭領を射抜いて撃退した逸話や、和歌に堪能で、細川幽斎から古今の伝をうけた程であったという話が伝わる。

晩年は嫡子・正成の領地、備中高松に隠棲した。慶長10年(1605年)に高松城で死去。享年82。

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