若林豪

わかばやし ごう
若林 豪
本名 森武 久明
(もりたけ ひさあき)[1]
生年月日 (1939-09-05) 1939年9月5日(84歳)
出生地 日本の旗 日本 長崎県長崎市
民族 日本人
身長 177cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1965年
配偶者 あり
著名な家族 若林久弥(三男)
事務所 エ・ネスト
主な作品
テレビドラマ
Gメン'75
Gメン'82
赤い霊柩車シリーズ
ランチの女王
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若林 豪(わかばやし ごう、1939年昭和14年)9月5日[2] - )は、日本俳優身長177cm。血液型A型長崎県長崎市茂木町出身[2]海星高等学校専修大学経済学部中退[3]

妻は司葉子のいとこ[4]で、三男は俳優の若林久弥がいる。

来歴・人物[編集]

専修大学中退後の1965年、劇団新国劇に入団[2]。その後フリーになり、若林プロモーションから2006年11月に東宝芸能へ移籍した。のち、2015年ごろから、エ・ネストに所属。

島田正吾の直弟子としてデビュー[2][5]。芸名は、新国劇に入るより前に仲間内で演じていた三島由紀夫の『近代能楽集』から「源氏葵若林光(げんじのあおいのわかばやしひかる)」というくだりを気に入って「若林」を是非にと決め、豪の名前は新国劇に入った後、「若く猛々しい」というイメージから劇作家の榎本滋民に名付けられた[6]

1968年、TBSの時代劇『顎十郎捕物帳』の主役に抜擢され、テレビ俳優として活動する[2]1971年、映画『暁の挑戦』で映画デビューを果たし[7]、『人間標的』では初主演を務めた。

1977年、『Gメン』シリーズにレギュラーとして出演開始[2]、以降5年間出演した。

  • 若林は出演について、この番組はすごく好きだったし、視聴率も高かったから、入っていくのは誇らしい気持ちだったと振り返っている。またGメン'75シリーズのGメン'82の終焉については、「それでもまだ後ろ髪を引かれる気持ちがあったね。やり遂げたという思いと、まだ別の形でやればよかったかという思いと、それが「Gメン」という重みだったんだろうね。」とコメントしている[8]
  • レギュラーとして初出演した回の撮影では、妻子を殺されるという設定に思わず涙が溢れ台詞が出てこなくなり、台詞までに長い間が有ったが、そのシーンはそのまま使用された[9]
  • 同じ三つ揃えのスーツが衣装として30着近く用意されていたため、衣装を他のものに変えることはなかった[10]
  • 第114話「極秘捜査 赤ちゃん誘拐!」では長崎県平戸市でロケが行われ、若林も参加した。「役者になったなんて親が知ったら、心配かけるだけだと思った」との事で、この撮影の帰りに、デビュー以来初めての帰郷を果たした[11]

1976年の映画『忍術 猿飛佐助』で真田幸村を演じ、NHKの大河ドラマでも、1983年の『徳川家康』、1987年の『独眼竜政宗』でそれぞれ真田幸村を演じた。

1989年より山村美紗が「この役は絶対若林に」との願いで[10]、山村原作のサスペンスドラマシリーズ『赤い霊柩車』(フジテレビ系)などで狩矢警部を局をまたいで演じて、当たり役となった。1990年代にはテレビショッピング番組に司会者として出演していた。

2006年4月、舞台『同期の桜-君にめぐり逢いたい-』 で主演を務めた。2008年3月5日、慢性硬膜下血腫のため名古屋市中区の病院にて手術を受ける[12][13]。このため同市で出演中の舞台からは降板することとなった。術後の経過は良好で、仕事に復帰した。

2009年にはNHK大河ドラマ・『天地人』島左近役で出演した。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • 新・首領の一族(2012年) - 田沼

舞台[編集]

吹き替え[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本タレント名鑑(2015年版)』VIPタイムズ社、2015年1月28日、413頁。ISBN 978-4-904674-06-2 
  2. ^ a b c d e f 若林豪の人生を変えた三島由紀夫との出会い「芝居は下手だけど脚のきれいな男の子がいる」驚きの理由”. インタビューサイト 双葉社 THE CHANGE. 双葉社 (2024年1月26日). 2024年2月16日閲覧。
  3. ^ “《永遠の刑事役》ドラマ『赤い霊柩車』で83歳まで警部を務めた若林豪が告白「ずっと現役でやれたのは欲を出さなかったから」”. NEWSポストセブン. (2023年7月4日). オリジナルの2023年7月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230704112527/https://www.news-postseven.com/archives/20230704_1884515.html/3 
  4. ^ “3ページ「夫人は女優・司葉子のいとこで子どもは5人」 - 《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」”. NEWSポストセブン. (2023年7月4日). オリジナルの2023年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230915145246/https://www.news-postseven.com/archives/20230704_1884513.html/3 
  5. ^ 若林豪 - エ・ネスト
  6. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1984年8月17日号「芸名由来記」54頁
  7. ^ 若林豪 略歴”. 映画DB. 2022年7月3日閲覧。
  8. ^ 名作ドラマ“至高の最終回”の謎を総直撃!1982年4月3日・Gメン’75 若林豪- アサ芸プラス 2016年
  9. ^ 刑事マガジン2004 vol.2 P.77
  10. ^ a b 刑事マガジン2004 vol.2 P.79
  11. ^ 「男たちよー50過ぎたら、いい枯れ方をしたい 若林豪」『週刊平凡』23(12)、1981年3月26日号、平凡出版株式会社、1981年3月。 
  12. ^ 林豪、次男は住職…バラエティに富んだ3男2女の今 - 2016年11月8日13時28分 スポーツ報知
  13. ^ “《体重20キロ減の俳優・若林豪》本人が初めて明かす“激やせ”理由と人生の終活「台本は全部燃やしました」”. NEWSポストセブン. (2023年7月4日). オリジナルの2023年7月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230718104416/https://www.news-postseven.com/archives/20230704_1884513.html?DETAIL 
  14. ^ “『赤い霊柩車』ついにファイナル 30周年のメモリアル作品で“明子”片平なぎさが挑むのは史上最悪の事件”. ORICON NEWS (oricon ME). (2023年2月21日). https://www.oricon.co.jp/news/2268610/full/ 2023年2月21日閲覧。 
  15. ^ 渡辺えりが25歳の芸者役に!「おばこ / 渡辺えり愛唱歌」開幕”. ステージナタリー (2016年2月5日). 2016年2月5日閲覧。

外部リンク[編集]