荊楚歳時記

荊楚歳時記』(けいそさいじき)は、中国南方の荊楚地方(長江中流域)の年中行事を記した月令の一種で、南朝梁宗懍(そうりん)によって書かれ、の杜公瞻(とこうせん)によって注釈が加えられた。

成立[編集]

『荊楚歳時記』の本来の題は『荊楚記』といったらしい[1]。著者の宗懍は南朝梁の普通6年(525年)の秀才だったが、554年に西魏江陵を陥落させたときに北へ連行され、北周武帝保定年間に64歳で没した。

正確な成書年は不明だが、杜台卿玉燭宝典』が『荊楚記』を引用しているため、それ以前の成立である。一方、注を書いた杜公瞻は杜台卿の甥で、注の中で『玉燭宝典』を引用している。

内容[編集]

正月一日からはじめて、順番に年中行事を記す。守屋美都雄によれば、それ以前の書籍にくらべて、『荊楚歳時記』には以下のような特徴がある[2]

  1. 生活の実相をそのまま描写しており、儒教色や五行思想の影響が薄い。
  2. 宗族結合のことが記されていない。
  3. 辟邪、辟病のことが大半を占める。

一方、杜公瞻の注は多数の書籍を引用し、独自の風俗の記述もなされているため、本文に劣らず重要である。たとえば端午屈原の関係は本文になく、注にのみ見える。北方と南方の習慣の違いをしばしば比較しているのも特徴である。

テクスト[編集]

『荊楚歳時記』は以降の叢書である『説郛』『宝顔堂秘笈』『広漢魏叢書』などに収録されている。『広漢魏叢書』本がもっとも普及しているが、『宝顔堂秘笈』本は『広漢魏叢書』本に載せない文章を含む。

これらの現行本は本来の形とはかなり異なっているらしく、他の書物に引用されている『荊楚歳時記』の文が現行本に見えないことが多い(佚文)。

日本では元文2年(1737年)刊の和刻本がある[3]

日本語訳[編集]

守屋美都雄による訳注がある(帝国書院1950)。1978年に補訂を加えて平凡社東洋文庫に収められた。

脚注[編集]

  1. ^ 守屋(1950) p.2
  2. ^ 守屋(1950) pp.4-5
  3. ^ 和刻本漢籍随筆集』 11巻、汲古書院、1986年。ISBN 9784762920943http://www.kyuko.asia/book/b9389.html 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]