西郷隆文

西郷 隆文(さいごう たかふみ、1947年昭和22年〉 - )は、日本陶芸家。日置南洲窯代表。鹿児島県陶業協同組合、及び鹿児島県薩摩焼協同組合・初代理事長。特定非営利活動法人西郷隆盛公奉賛会理事長。維新の三傑の一人・西郷隆盛の曾孫にあたる。2011年(平成23年)度・現代の名工、及び2012年(平成24年)度・黄綬褒章受賞。

人物歴[編集]

少年時代[編集]

1947年(昭和22年)、西郷隆泰の長男として奈良市に生れる[1]。幼い頃は京都で暮らしており、父は京都大学でゼロ戦に代わる次世代航空機の研究、設計、製作などを行う技師で、ほとんど家にいなかった[2]。雄弁に語ることはせず、剣道を極め、立ち居ふるまいに武人としての誇りを感じていた父親とは、日常会話も畳一枚離れ敬語で会話していた[3]。5歳から母親の実家がある鹿児島県日置市に育つ[4]

小学校、中学校の頃は、父の仕事の関係で転校が続いたことで、なかなか友人をつくることができず、子供同士の諍いがしばしば起きた。雄弁に語ることはせず、剣道を極め、立ち居ふるまいに武人としての誇りが感じられる父を見て育った影響から、理由も無く他者の体や心を傷付けるような理不尽ないじめを甘んじて受ける気は無く、いじめほど卑怯で許せないものは無いという思いもあり、中学生になってからは転校のたびに喧嘩に明け暮れ、相手の人数が多かろうと関係なくとことん立ち向かい「どんな場合でも気迫で負けてはいけない。大切なのは、どれだけ自分が本気なのかを伝え、それを相手にわからせるかだ」と心に誓い、体の大きさもあって、ことごとく蹴散らしていた。中学3年から鹿児島市へ引っ越し、大学卒業まで暮らす。高校では、後輩から助けを頼まれたりと、それまで同様に喧嘩の日々が続いたが、年齢とともに次第に争いを収めるための喧嘩になってい[3]

鹿児島にいても、西郷隆盛の曾孫ということは意識しておらず、高校生のときもあえて考えないようにしていたが、19歳の頃、パチンコ屋でチンピラと喧嘩して殴られ顔を腫らし家に帰ると「20歳をすぎて悪さをすると新聞に名前が出ますよ」と母に諭され意識するようになった[2]。後々、30代の頃さらに、西郷隆盛を祀る鹿児島市の南洲神社で毎年開催される秋の例大祭に初出席するきっかけになった、遠縁にあたる島津修久の「西郷家を代表して毎年例大祭に出なさい」という言葉からも、より一層意識することになる[4]

下積み時代[編集]

鹿児島県の大学を卒業後、上京してアパレルメーカーに就職。半年先や1年先の流行を予測してデザインを行い、原糸メーカーから届く糸を使って製品化する仕事は楽しく充実したものだったが、中学時代の美術教師だった陶芸家の有山長佑が1970年(昭和45年)、日展に初入選した際、一緒に上野の美術館を訪れた際、これまで見たこともないサイケデリックな色使いやデザインを施されたオブジェのような斬新な陶芸作品に初めて出会い、存在感にショックを受けた体験と、「お前も長男なんだから、そろそろ帰ってきてもいいんじゃないか。焼物でもして俺を手伝わないか」と、有山から陶芸の道への誘いを受けたことで、長男だからいずれ帰郷せねばならないという日頃から抱いていた気持ちも手伝い、「材料が糸から土に変わるだけ。焼物も面白いかもしれない」という思いで25歳で辞職し、鹿児島に帰郷。帰郷の道中、瀬戸や備前など焼き物の産地を巡る[5]

1973年(昭和48年)、由緒ある実家を継ぎ窯元となっていた有山の『長太郎焼本窯』に入社して、黒薩摩の窯入れ、窯だし、土や釉薬の使い方など伝統的な製作技法を5年間学ぶ修行を経る[6]。初めて関わった作品は奇しくも、西郷隆盛の像だった[5]

独立後[編集]

30歳になり独立しようと考え、場所探しを母方の祖母に相談したところ、鹿児島県日置市日吉町にある母方の出自『日置島津家』の墓所があり、廃仏毀釈により破壊された菩提寺『大乗寺』跡が、墓守をしていた人物が亡くなり空き家があるということで勧められ悩んだ結果、墓守や掃除をするという条件を受けて、1978年(昭和53年)、弟と共に『日置南洲窯』を開設[5]

1984年(昭和59年)、鹿児島市新人賞を受賞。40歳を過ぎてから、1点、2点とやっとポツポツと売れ始める。薩摩焼の認知度を高めようと、1997年(平成9年)に鹿児島県内65窯元の参加を得て『鹿児島県陶業協同組合』を結成して初代理事長に就任し、春の窯元まつり、薩摩焼フェスタの運営、窯元と地元鹿児島の飲食店がペアを組み、飲食店の雰囲気や料理を参考に、組合員である窯元が試作品を制作して納品した薩摩焼の器で料理を提供してもらうという焼物の地産地消イベント[6]、仏壇のふすま戸や、お茶を置く部分に薩摩焼で作った焼き物を入れ込んだ、薩摩焼とコラボレーションした商品の川辺仏壇[7]など、薩摩焼の普及に貢献。2002年(平成14年)に薩摩焼が国の伝統工芸品に指定されるに至る礎を築く。

鹿児島市の南洲神社敷地内にあった『西郷庵』の庵主になり、2004年(平成16年)11月、西郷隆盛を慕う者たちと共に特定非営利活動法人『西郷隆盛公奉賛会』を設立し、理事長に就任。『西郷菊次郎奉賛会』の会長も務める[8]。薩摩焼が、2002年(平成14年)1月に伝統的工芸品としての国の指定を受け、同年7月には、伝統的工芸品としての振興計画について経済産業大臣の認定を受けたこともあり、2007年(平成19年)1月、鹿児島県陶業協同組合によって『薩摩焼』は商標登録され、2013年(平成25年)7月9日、鹿児島県陶業協同組合は『鹿児島県薩摩焼協同組合』へ名称変更となり、引き続き理事長に就任。2018年(平成30年)5月9日に70歳で勇退するまで、約21年間理事長を務めた。

2011年(平成23年)、現代の名工に選ばれ、2012年(平成24年)に黄綬褒章を受章。西郷の精神を次世代に伝えるため、講演活動や執筆活動も行っており、2013年(平成25年)には日置市ふるさと大使に任命された[9]。日置市文化財保護審議会委員、及び保護司も務め[5]、日置島津家に所縁のある赤山靭負桂久武に関する活動を目的として、2018年(平成30年)3月に発足した『日置西郷どん会』の名誉会長にも就任している[10]

地元・鹿児島県の選挙区選出の自由民主党衆議院議員宮路拓馬の後援会会長も務めている。

作風[編集]

薩摩焼の良さを広めようと考えているが、地域に根差した伝統工芸品は、なかなか変えることが難しいこともあり、自身は伝統的な『黒薩摩』作品を制作しつつも、流行は追わず他人と同じものは作らないという信念や、伝統的な窯元には無い新しい薩摩焼に挑戦したいという思いを持つ[2]

ブロックを使ってゴミを焼いていた際、ゴミのナイロンがブロックに焼き付き入っていくのを目にして、顕微鏡で見ると表面に穴がたくさん開いている薩摩焼に漆を付けて焼けば漆が入るのではないかと試みたところ成功したため、焼いた上からさらに漆を塗り磨きをかけた焼き物「陶胎漆器」や[7]、意匠に進取の気風を取り入れた「蛇蝎釉」[2]、細かくしたシラスを約千度で熱して中を膨らませたものを薩摩焼の土に混ぜ、その分軽くなるもパサパサになるため制作が難しい『シラスバルーン』の研究、焼酎を楽しむ薩摩焼の器をテーマに、焼酎の原料サツマイモをかたどったカップ[11]など、伝統的な技法に新たな技法を加えることで新しい作品作りに挑戦している

そのため、鹿児島県陶業協同組合の設立当初は流行を追いかける体質があった多くの若い組合員の窯元にも、「流行を追うのではなく、オリジナルにこだわりなさい」と言ってきた[6]。また、自身は隆盛の座右の銘「敬天愛人」や、父が話して聞かせてくれ隆盛の「迷ったときは、損するか得するかではなく善いか悪いかで決めろ。そうすれば、おのずと答えは出る」という言葉を支えにしている[2]

親族・一族[編集]

系図[編集]

西郷九兵衛━吉兵衛・・・小兵衛┳覚左衞門━吉左衞門                ┃                ┃        糸子                ┃       ┃┃                ┃       ┃┣┳寅太郎━━━┳隆幸                ┗隆充┳吉兵衛┳隆盛┣午次郎┳隆一┣隆輝                   ┃   ┃┃┃┗酉三 ┣隆次┣吉之助━吉太郎━隆太郎━隆公                   ┃   ┃┃┃    ┣正二┣隆永                   ┃   ┃┃┃    ┗芳子┣隆國                   ┃   ┃┃┣━菊次郎┳隆吉┣隆明┳隆晄                   ┃   ┃愛子    ┣隆治┣隆正┗隆廣                   ┃   ┃      ┣隆秀┗隆徳                   ┃   ┣吉二郎━隆準┣隆泰┳隆文                   ┃   ┃      ┣隆清┗等                   ┃   ┃      ┗準                   ┃   ┣従道━┳従理┳従吾━従節┳従洋                                ┃   ┣小兵衛┣政子┣従純   ┗従英                   ┃   ┣琴  ┣豊彦┣従竜                                      ┃   ┣鷹  ┣従徳┣従宏                   ┃   ┗安  ┣従義┣従靖                                     ┃       ┣従親┗従達                   ┃       ┣豊二                   ┃       ┣従志                   ┃       ┣栄子                   ┃       ┣櫻子                   ┃       ┗不二子                   ┗小兵衛(大山綱昌)┳成美                             ┣国子                             ┗巌                              ┃┃                               ┃┣┳高                              ┃┃┗柏                               捨松 ┃┃                                           ┃┣┳梓                                  ┃┃┗桂                                武子 

著作[編集]

単著[編集]

  • 『西郷隆盛 十の「訓え」』(三笠書房、2017年〈平成29年〉9月、ISBN 978-4837927006

共著[編集]

番組出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『講演「薩摩の郷中教育と薩摩焼」』ロータリー文庫、2008年8月1日、39頁。 
  2. ^ a b c d e 西郷隆盛の曾孫「まだ『島津さん』とは呼べません」”. 週刊朝日 (2013年8月30日). 2018年5月20日閲覧。
  3. ^ a b 西郷隆盛の「ぶれない生き方」を十の訓えで学ぶ”. 週刊ダイヤモンド (2017年10月1日). 2018年5月20日閲覧。
  4. ^ a b 産経新聞文化部『「日本」を探す』産経新聞出版、2008年6月、140頁。ISBN 978-4819110105 
  5. ^ a b c d INTERVIEW 陶芸家 西郷隆文さん」(PDF)『広報ひおき 2018年1月号』第153号、日置市、2018年1月12日、7頁、2023年9月9日閲覧 
  6. ^ a b c 伝統と現代の融合~薩摩焼ブランドの確立を目指して”. 鹿児島県中小企業団体中央会 (2010年5月). 2023年9月9日閲覧。
  7. ^ a b 『講演「薩摩の郷中教育と薩摩焼」』ロータリー文庫、2008年8月1日、44-45頁。 
  8. ^ 西郷菊次郎の生涯”. 地元人が見つけた面白い鹿児島 ミナミノクニ (2017年12月1日). 2018年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月20日閲覧。
  9. ^ INTERVIEW 陶芸家 西郷隆文さん」(PDF)『広報ひおき 2013年9月号』第101号、日置市、2013年9月13日、7頁、2023年9月9日閲覧 
  10. ^ 「赤山靭負ら地元の先人顕彰/「日置西郷どん会」発足=日置市日吉」『南日本新聞』2018年3月9日、17面。
  11. ^ 薩摩焼の新時代へ 日々続く挑戦~西郷隆文さん”. たんぽぽ倶楽部. MBC南日本放送 (2017年11月28日). 2023年9月9日閲覧。

外部リンク[編集]