西野綱三

西野 綱三(にしの こうぞう、1901年10月6日 - 1984年6月15日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。

プロフィール[編集]

来歴[編集]

旧制天王寺中学(現・大阪府立天王寺高等学校)を経て早稲田大学に進学し、早大ラグビー部に所属した。その後、朝日新聞社に入社。1948年度シーズンより、早大監督に就任。堀博俊を主将に擁して、同年度の東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦で優勝をもたらした。以後2シーズン歴任。また、早大監督は1955年度から1957年度の間も務めた。さらに、1958年3月に行われたニュージーランド・コルツの来日試合に日本代表監督として指揮を執った。

その後、日本ラグビーフットボール協会の専務理事等を歴任。

関連項目[編集]

参考文献[編集]