谷塩手

 
谷塩手
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天武天皇元年7月23日672年8月21日
主君 大友皇子
氏族
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谷 塩手(たに の しおて[1])は、飛鳥時代の人物。672年壬申の乱での大友皇子(弘文天皇)側の将。

経歴[編集]

谷氏倭漢氏に属する渡来系氏族である。壬申の乱で谷氏は敵味方に分かれ、塩手は大友皇子側の将であった。7月22日に瀬田で起こった両軍最後の会戦に、塩手も参加したと思われる。大友皇子を破って粟津岡に陣を敷いた村国男依らは、翌日に粟津市で犬養五十君と塩手を斬った。同じ日に大友皇子が自殺したことで壬申の乱は終結した。

脚注[編集]

  1. ^ 旧仮名遣いでの読みは「たにのしほて」