豊川孝弘

 豊川孝弘 七段
名前 豊川孝弘
生年月日 (1967-02-20) 1967年2月20日(57歳)
プロ入り年月日 1991年10月1日(24歳)
棋士番号 200
出身地 東京都杉並区
所属 日本将棋連盟
(関東[-2015年度]
→関西[2016年度-]
師匠 関屋喜代作八段
弟子 渡辺和史
段位 七段
棋士DB 豊川孝弘
2016年3月31日現在
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豊川 孝弘(とよかわ たかひろ、1967年2月20日 - )は、将棋棋士東京都杉並区出身。棋士番号200。関屋喜代作八段門下。

棋歴[編集]

  • 将棋のルールを覚えたのは小学3~4年の頃であったが、本格的に指し始めたのは、クラスで将棋が流行った中学1年の頃であり、その後にプロとなった人物としては、かなり遅い部類に入る。友人達と一緒に将棋会館の道場に通うようになり、中学2年の夏に早くもアマ四段となる。
  • 高校1年時(1982年12月)に奨励会に入会[注 1]。高校を中退し、連盟に泊り込みのような状態で将棋の修行に励んだ。
  • 奨励会では6級から3級に上がるのに1年2ヶ月、二段から三段に上がるのに4年をそれぞれ費やすなど、大きな足踏みを経験したものの、それ以外は順調に昇級・昇段を続けた。
  • 第6回(1989年後期)より三段リーグに出場。4期目となる第9回(1991年前期)で13勝5敗(1位[注 2])の成績を挙げ、24歳でプロ入り。
  • 順位戦には第51期(1992年度)より参加。
  • 第58期順位戦(C級2組)では奨励会同期の飯塚祐紀の昇級の一番を深夜まで粘って見事に勝利、飯塚の昇級を阻止した[注 3]
  • しかし4年後の第62期順位戦(C級1組)最終局、自身の昇級の一番で今度は飯塚に敗れ昇級を逃してしまう。4年越しで借りを返される形になった。
  • 2004年6月20日放送のNHK杯テレビ将棋トーナメント(対田村康介戦)において、二歩を打ってしまい反則負け。二歩は比較的よく見られる反則負けだが、テレビ中継のあるNHK杯で打ってしまったことから「ニフティ」なる愛称が付くなど話題になった[1][2]。さらに2006年1月18日にはフジテレビ・トリビアの泉でも取り上げられ「78へぇ」を獲得[3]
  • 初参加から16年目の第66期順位戦(C級1組)において、8勝2敗の成績を挙げ、ついにB級2組への昇級を決める。
  • 第67期順位戦B級2組でも8勝2敗の成績を挙げ、2年連続昇級でB級1組に上がる。最終局を1敗のトップで迎え、自身は敗れて2敗になったものの、ライバル2名のうちの1名(先崎学)も敗れたために昇級するという展開であった。棋戦優勝の経験がなく、竜王ランキング戦でも3組が最高の豊川にとっては、A級の一歩手前のB級1組への昇級は、棋歴の中で大きな意味を持つ。
  • 2015年度の第74期順位戦B級2組では2勝8敗の成績に終わり、降級点2となりC級1組へ降級となった。

人物[編集]

  • 「ファイター」の愛称を持ち、NHK将棋講座(1999年度後期)で講師を務めたときの講座名は「ファイター豊川のパワーアップ戦法塾」であった。他に「マンモス」の愛称でも知られているが、これは『あしたのジョー』に登場するキャラクターの「マンモス西」に由来する[4]
  • 2014年後期の将棋フォーカスでも、「豊川孝弘のパワーアップ手筋塾」の講師を務めた。
  • 趣味は囲碁ウェイトトレーニングで、同じくウェイトトレーニングを趣味とする丸山忠久九段とは奨励会時代から非常に仲が良い。また、銭湯通いも趣味の一つで、都内の銭湯事情に非常に詳しいとされる。
  • 同じく順位戦でB級1組に昇級した際、同時に昇級したのは松尾歩。くしくも、NHK杯テレビ将棋トーナメントで二歩を打った経験のある二人が偶然にも同時に昇級することとなった。
  • オヤジギャグの名手」として知られ、大盤解説会などでは矢継ぎ早にギャグを飛ばすことで知られる[5]。その様子は『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系、2014年4月16日放送分)でも取り上げられ、有吉弘行マツコ・デラックスなど出演者から絶賛された[6]。将棋の解説の仕事で地方に行くと、現地の人からギャグを提案されることも多いという[4]。後述するように、2017年にはそれらのギャグをまとめた書籍も出版されている。
  • もともとは関東に所属していたが、2016年度より関西に移籍した。2018年現在は福岡市在住[7]。九州地方での将棋の普及活動に力を入れており、2016年1月より福岡市に開設された九州研修会では、同じく福岡在住の中田功と共に幹事を務めている[8]

弟子[編集]

棋士となった弟子[編集]

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
渡辺和史 2019年10月1日 六段

(2023年3月7日現在)

昇段履歴[編集]

昇段規定は将棋の段級 を参照

  • 1982年00月00日 : 6級 = 奨励会入会
  • 1985年00月00日 : 初段
  • 1989年06月00日 : 三段(第6回奨励会三段リーグ<1989年度後期>からリーグ参加)
  • 1991年10月01日 : 四段(第9回奨励会三段リーグ成績1位) = プロ入り
  • 1996年02月27日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝、通算100勝66敗)
  • 2002年05月22日 : 六段(勝数規定 /四段昇段後公式戦120勝、通算220勝154敗)
  • 2009年03月19日 : 七段(順位戦B級1組昇級、通算356勝250敗)[9]

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1991 50 四段昇段前 5 6組 --
1992 51 C252 8-2 6 5組 --
1993 52 C204 6-4 7 4組 --
1994 53 C216 6-4 8 3組 --
1995 54 C213 5-5 9 3組 --
1996 55 C220 3-7 10 3組 --
1997 56 C237 8-2 11 3組 --
1998 57 C204 5-5 12 3組 --
1999 58 C221 6-4 13 4組 --
2000 59 C215 7-3 14 3組 --
2001 60 C205 10-0 15 3組 --
2002 61 C125 6-4 16 4組 --
2003 62 C110 8-2 17 4組 --
2004 63 C104 5-5 18 4組 --
2005 64 C113 5-5 19 4組 --
2006 65 C117 6-4 20 4組 --
2007 66 C112 8-2 21 4組 --
2008 67 B220 8-2 22 4組 --
2009 68 B113 5-7 23 4組 --
2010 69 B109 4-8 24 4組 --
2011 70 B201 3-7 25 4組 --
2012 71 B219 4-6 26 5組 --
2013 72 B218 6-4 27 5組 --
2014 73 B210x 3-7 28 5組 --
2015 74 B224*x 2-8 29 5組 --
2016 75 C104 3-7 30 6組 --
2017 76 C127 5-5 31 6組 --
2018 77 C118 6-4 32 6組 --
2019 78 C112x 2-8 33 6組 --
2020 79 C134* 4-6 34 6組 --
2021 80 C128*x 2-8 35 6組 --
2022 81 C203x 2-8 36 6組 --
2023 82 C246*x 2-8 37 6組 --
2024 83 F宣 38 (開始前)
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

棋戦[編集]

著書[編集]

  • パワーアップ戦法塾(2004年3月、日本放送出版協会ISBN 4-14-016122-1
  • 豊川孝弘の将棋オヤジギャグ大全集(2017年10月、主婦の友社ISBN 978-4074275205
  • スリル&ロマン 対振り飛車右玉(2019年9月13日、マイナビ出版、ISBN 978-4-8399-6950-9

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同期入会は、羽生善治森内俊之佐藤康光郷田真隆など。
  2. ^ 最終2局を残した時点で、1番手が深浦康市・2番手が真田圭一・3番手豊川という状態だったが、深浦及び真田がそれぞれ1敗を喫し、豊川は2局とも勝った為、順位が逆転し、1位の豊川・2位の深浦が四段に昇段した。
  3. ^ 飯塚は次期、豊川は次々期に昇級した。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]