超大型住居

青森県三内丸山遺跡の復元超大型建物。長さ32メートル×幅10メートルの規模を持つ。

超大型住居(ちょうおおがたじゅうきょ)または超大型建物(ちょうおおがたたてもの)は、東日本縄文時代集落遺跡などにみられる長さが20メートルを越すような大型建造物である。明確な基準はないが、10メートル前後のものは大型住居大型建物)と呼称する。竪穴建物(大型竪穴建物[1])のものと平地建物掘立柱建物)のものがある。

概要[編集]

縄文時代早期に現れ、前期および中期前葉に特に発展し、後期にも散見される。東北地方を中心に33遺跡で90棟以上が知られている。東北から北陸まで分布している。長方形・隅丸長方形および長楕円形を呈することが多く、その形状からロングハウスと称することもある。

呼称の変化[編集]

後述するように集落における共同の作業場や集会場のような機能が考えられており、「住居」という名称は不正確であるが、「竪穴住居」という語にひきずられる形で今日も広く使用されている。ただし「竪穴住居」と呼ばれてきた建築遺構についても、これまでの発掘調査結果の蓄積から工房など居住以外の用途に使われた事例が増加し、必ずしも「住居」ではないことが判明しており、文化庁は『発掘調査のてびき』(2013年発行)において「竪穴建物」と呼称していく方針を示している[1]。これに伴い「超大型住居・大型住居」についても、同書では「大型竪穴建物(竪穴構造の場合)」の表記を用いている[1][注釈 1]

特に巨大な例[編集]

  1. 三内丸山遺跡…前期、竪穴建物、青森県青森市、長さ32メートル×幅10メートル
  2. 杉沢台遺跡…前期、竪穴建物、秋田県能代市、長さ31メートル×幅8メートル
  3. 一ノ坂遺跡…前期、竪穴建物、山形県米沢市、長さ44メートル×幅4メートル

いずれも、縄文時代の建物のイメージを一新する驚くべき規模を有する建造物である。北日本の豪雪地帯に所在することから、冬期の作業小屋説もあるが、祖先を共通にする近隣の集落の成員が、定期的に集まったときの宿泊設備とする考えもある。一ノ坂遺跡の場合は、石器の未製品・半製品も出土したことから石器工房址説もある。

注目される検出例[編集]

  1. 美沢2遺跡(中期前葉、竪穴建物、北海道苫小牧市)…同様の建物跡はその後北海道内では早期から後期にかけて多数存在することが確かめられている。
  2. 近野遺跡(前期、竪穴建物、青森県青森市)…三内丸山遺跡に南接し、それとの関連が考慮される遺跡。
  3. 鳩岡台遺跡(前期、竪穴建物、岩手県北上市)…複数の地床炉が一線に並ぶ超大型建物跡。
  4. 上ノ山II遺跡(前期、竪穴建物、秋田県大仙市協和)…中央に広場があり、その周りにロングハウス系の超大型建物だけが環状に多数並ぶというきわめて特異な構造をもつ環状集落である。炉は地床炉である。
  5. 池内遺跡(前期、竪穴建物・平地建物、秋田県大館市)…多数の竪穴建物とロングハウス系の掘立柱建物とが同時存在し、台地上を北より、東西方向に長軸をもつ竪穴建物、東西方向に長軸をもつ掘立柱建物、南北方向に長軸をもつ掘立柱建物、南北方向に長軸をもつ竪穴建物が整然と並び、集落構造の計画性が指摘できる貴重な調査事例。
  6. 不動堂遺跡(中期、竪穴建物、富山県朝日町)…1973年(昭和48年)に発掘された19棟の竪穴建物のうち第2号建物跡は、超大型建造物発見の最初。長径17メートル、短径8メートル、広さ約120平方メートルで畳70枚ほど敷ける。当時の竪穴建物が直径5メートル程度のものであるのに比べればまさに大規模建物といえる。このような大規模竪穴建物は県西部でも見つかっている。埋甕を併設する炉(石組土器埋設炉)が2基あり、その中間に小柱穴が3本並び、さらに炉の形態が一方は円形石組、一方は方形石組になっていることで注目された。建物内部が二分されているだけでなく、異なる2つの集団の共存が指摘できる貴重な発見である。この遺跡が、現在では大型建物の南端になる。
  7. 加賀原遺跡(中期、神奈川県横浜市都筑区)…1970年(昭和45年)の調査で、長径10メートル以上の平面小判形の大型建物1棟を検出[2]
  8. 小丸遺跡(別称「池辺14遺跡」、後期、平地建物、神奈川県横浜市都筑区)…1975年(昭和50年)~1976年(昭和51年)の調査で、全国で初めて縄文の掘立柱建物の存在が確認された遺跡[3]。また「超大型」とは呼べないが、「核家屋」と呼ばれる集落内の(オサ)の住居の可能性が指摘される大型平地建物が検出されたことで注目される[4][5][6]。1つの集落で建物の形態の多様性がみられることも特徴的な遺跡である。

大型建物(ロングハウス)の用途[編集]

大型建物の用途については、渡辺誠、小林達雄、小川望をはじめとして多くの人がさまざまな見解を寄せている。主要なものを以下に紹介する。

  • 共同作業小屋的活用(渡辺誠)…縄文時代の食糧事情を考慮した場合、豪雪地帯において加工食品などをつくる冬期の共同作業小屋的空間、あるいは作業・貯蔵・居住兼用の家屋。
  • 共同宴会場的活用(小川望・小林達雄)…共同宴会場的機能を含む公共的行事、儀礼、祭り執行の場、催事場、集会場、公会堂、ときには集落外からの訪問者の宿泊所的空間。

欧州・帯文土器文化圏におけるロングハウス[編集]

帯状土器文化のロングハウス(復元模型)

紀元前5500年から紀元前4500年にかけて、ライン川流域を中心とする中欧から西欧にかけての一帯では帯文土器文化Linear Pottery culture)と称される独特の土器文化が成立している[7][注釈 2]。この文化にかかわることとして、集落を構成する家屋が細長い長方形平面を呈するロングハウスをともなうことが特筆され、幅6〜7メートルに対して長さが20メートルほどの超大型建物であり、場合によっては40メートルを超す場合もあった[7]。そして、こうしたロングハウスは、いずれも長軸を北西—南東方向にもつという共通点を有する[7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお同書では大型建物の規模に関わらず「超」をつける表現は無い[1]
  2. ^ 帯文土器とは、壺や鉢の表面に2列の平行刻線を単位とする曲線模様を描き、その線のなかに刺突文を何か所かほどこすという特徴をもつ土器である[7]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 横浜市埋蔵文化財センター「小丸遺跡」『全遺跡調査概要』公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告10〉、1990年3月、210-212頁。 NCID BN05701176 
  • 石井, 寛「縄文時代後期集落の構成に関する一試論-関東地方西部域を中心に-」『縄文時代』第5巻、縄文文化研究会、1994年、77-110頁、ISSN 09177329 
  • 谷口, 康浩『環状集落と縄文社会構造』学生社、2005年3月25日。ISBN 4-311-30062-XNCID BA71509293 
  • 横浜市歴史博物館『縄文文化円熟-華蔵台遺跡と後・晩期社会-』公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター、2008年10月。 NCID BA88820170 
  • 大貫良夫渡辺和子尾形禎亮ほか『世界の歴史1 人類の起源とオリエント』中央公論新社中公文庫〉、2009年4月。ISBN 978-4-12-205145-4 
    • 大貫良夫「第1部 人類文明の誕生」『世界の歴史1 人類の起源とオリエント』中央公論新社〈中公文庫〉、2009年。 
  • 埋蔵文化財センター加賀原遺跡・佐江戸8遺跡』 45巻〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告〉、2012年12月28日。 NCID BB11897974https://sitereports.nabunken.go.jp/27479 
  • 文化庁文化財部記念物課「第Ⅴ章・遺構の発掘 第3節・竪穴建物」『発掘調査のてびき』同成社〈集落遺跡調査編第2版〉、2013年7月26日、131-157頁。ISBN 9784886215253NCID BB01778935 

関連文献[編集]

一般書[編集]

専門書[編集]

  • 『縄文時代集落研究の現段階』(縄文時代文化研究会 編、2001)
  • 『縄文時代の集落と環状列石 シンポジウムI・資料集』(日本考古学協会1997年度秋田大会実行委員会 編、1997)

図録・図説[編集]

  • 『別冊歴史読本 立体復原日本の歴史・上』(坂井秀弥・増淵徹 編、新人物往来社、1997)
  • 『別冊歴史読本 野外復元日本の歴史』(坂井秀弥・本中眞 編、新人物往来社、1998)
  • 『縄文まほろば博公式ガイドブック 縄文の扉』(「縄文まほろば博」実行委員会、1996)
  • 『もうすぐ歴史が見えてくる』(秋田県埋蔵文化財センター、1994)
  • 『縄文文化の扉を開く-三内丸山から縄文列島へ-』(国立歴史民俗博物館、2001)

関連項目[編集]