輝く都市

パリ万国博覧会 (1925年)のエスプリ・ヌーヴォー館で展示された「ヴォアザン計画」(1925年)

輝く都市(かがやくとし La Ville Radieuse)は、モダニズムの建築家、ル・コルビュジエが提唱した理想都市の構想である。

ル・コルビュジエは、人口過密で環境の悪化する近代都市を批判し、300万人の現代都市(1922年)、パリヴォアザン計画(1925年)、輝く都市(1930年)などの計画案を発表した。1933年にCIAM(近代建築国際会議)で採択された「アテネ憲章」は、輝く都市の理念に沿ったものであった。

高層ビルを建設して空地オープン・スペース)を確保し、街路整備して自動車道歩道を分離し(歩車分離)。それに基づき都市問題の解決を図ろうと提唱している。

ル・コルビュジエの思想は、当時のフランスにおいて異端的なものであり、ほとんど受け入れられなかったが、マルセイユをはじめとする各地に建設されたユニテ・ダビタシオン(1952年)は、「輝く都市」論の実践の一つであった。また、ブラジリアなど各国の都市計画の理念に大きな影響を与えた。

日本語訳[編集]

ル・コルビュジエの都市計画に関する著書 "Manière de penser l'urbanisme"(1946年刊。直訳すれば「都市化の思考方法」)は、坂倉準三訳で、『輝く都市』のタイトルで刊行され(丸善、1956年)、その後、SD選書33として再刊された(鹿島出版会、1968年)。 なおSD選書では、ル・コルビュジエの著作を十数冊刊行している。 

他にも日本語訳が公刊されていない著作で、"La Ville radieuse"(1935年刊、フランス語で「輝く都市」の意味)がある。

その他[編集]

森稔森ビル社長)は邦訳の「輝く都市」に衝撃を受け、アークヒルズ六本木ヒルズなど、森ビルが手がけた「都市開発のコンセプトの原点」になったと語っている。(日本経済新聞2011.1.18夕刊)

関連項目[編集]