遠山荘

遠山荘(遠山庄)(とおやましょう)とは、平安時代から安土桃山時代にかけて美濃国恵那郡木曽川以南に存在した荘園

概要[編集]

遠山とは古くは美濃信濃三河遠江にまたがる山岳地域の総称で、とくに美濃国恵那郡のことを指した。遠山荘は吾妻鏡文治元年の条に記載がある。

範囲[編集]

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  • 淡氣郷(手向郷) 明知(恵那市明智町)、上村(恵那市上矢作町)、下村(恵那市上矢作町下)、荒木村(恵那市山岡町下手向荒木)、窪原(恵那市山岡町久保原)、佐々良木(恵那市三郷町佐々良木)、安主(恵那市明智町横通安主)
  • 竹折郷(恵那市武並町竹折)
  • 安岐郷(中津川市阿木)
  • 繪下郷(中津川市中津川恵下)
  • 坂本郷(中津川市坂本)

起源[編集]

平安時代中期

領主[編集]

  • 当初は摂関家領(後に近衛家領)。近衛家所領目録に遠山荘の記載がある。
  • 元暦2年(1185年)5月1日に源義仲の娘の菊姫が美濃国遠山荘の一村を賜るとある。(吾妻鏡)
  • 文治元年(1185年)に源頼朝の重臣の加藤景廉が功績により拝領。(美濃国諸旧記)
  • 建久6年(1196年)に源頼朝の重臣の加藤景廉が功績により拝領。(遠山譜)

「美濃国恵那郡遠山庄事 右為勲功之賞遠山加藤次景廉所充行也者 早令領知可被専所務之状如件 建久六乙卯年三月三日頼朝判」

  • その後、長男が遠山景朝と称し遠山氏の初代となり、子孫が遠山荘内に分かれて繁栄した。

参考文献[編集]

  • 『中津川市史 上巻』 第四編 中世 第二章 鎌倉時代 ニ 遠山荘と加藤景廉  p518~p522 1968年
  • 『図説・木曽の歴史 (長野県の歴史シリーズ ; 19)』 (3) 遠山庄 p38  生駒勘七著 郷土出版社 1982年

関連項目[編集]