都倉俊一

都倉 俊一
文化庁より公表された肖像写真(2022年撮影)
基本情報
出生名 都倉 俊一
別名 シュンイチ・トクラ(Shunichi Tokura)
生誕 (1948-06-21) 1948年6月21日(75歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 学習院大学法学部卒業
ジャンル 歌謡曲、ポップス
職業 作曲家
編曲家
歌手
文化庁長官
活動期間 1969年 - 現在
事務所 シュン・トクラ・アンド・アソシエイツ STA
共同作業者 阿久悠
千家和也
和田アキ子
山本リンダ
山口百恵
ピンク・レディー
狩人 ほか
公式サイト 都倉俊一 オフィシャルホームページ
都倉 俊一

第23代 文化庁長官
在任期間 2021年4月1日 - 現職
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都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年6月21日[1][2] - )は、日本作曲家。第23代文化庁長官。元日本音楽著作権協会(JASRAC)会長。元エスワン・カンパニー経営者。シュン・トクラ名義でも活動している[2]

来歴[編集]

東京都出身[2]。4歳のころからバイオリンを習う[2]。父都倉栄二外交官であったことから、7歳の時にドイツに渡り音楽の基礎を学ぶ[2]。12歳になり帰国[2]学習院中等科の同級生には元総務大臣鳩山邦夫、元日本郵政社長の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる[3]。中学校卒業後に再びドイツに渡り、「ビートキャッツ」というバンドで活動[2]。18歳で再び帰国し、学習院大学法学部に入学[2]。1971年学習院大学法学部卒業[4]

1968年、フォーク・グループ「ザ・パニック・メン」にヴォーカリストとして参加[2]、「思い出の小径」でレコード・デビューを果たす[2]。大学2年生の時から作曲家としての活動を始め、中山千夏の「あなたの心に」で注目を集めた[5]。さらに、都倉らしくない曲調の「天使になれない」(歌:和田アキ子)も好評だった。

1974年に大信田礼子と結婚し、1978年に離婚した[6]

1970年代前半は山口百恵[注 1]フィンガー5[注 2]などを手掛けた。また70年代には阿久悠とのコンビで、ピンク・レディーの「ペッパー警部」「UFO」「カルメン77」[7]で大ヒットを連発した。この頃、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の審査員も務めた[2]

1977年日本音楽著作権協会評議員[4]

1983年から音楽活動の拠点をロサンゼルスに移し、「シュン・トクラ」の名義で作曲・プロデュース業を開始[2]

1995年日本作編曲家協会理事2001年日本音楽著作権協会理事。2005年日本作曲家協会理事[4]

2006年に再婚。2009年、日本作曲家協会常務理事事[4]

ミュージカルの制作も手がける傍ら、日本音楽著作権協会理事を務め、2010年8月12日より船村徹の後を受けて会長に就任した[8]2016年3月退任)。

2011年文部科学省文化審議会委員[4]

2012年には国立競技場の有識者会議メンバー(スポーツWG座長)、および国際デザインコンペの審査委員を務めた[9]

2014年昭和音楽大学客員教授に就任[4]

2015年3月23日横綱審議委員会の委員に就任。同年10月、国際音楽創作者評議会執行委員。

2016年、日本音楽著作権協会特別顧問アジア・太平洋音楽創作者連盟(APMA)執行委員会会長[4]

2017年12月31日放送の『第68回NHK紅白歌合戦』より、同年7月21日に逝去した平尾昌晃の後を引き継ぐ形で「蛍の光」の指揮者に就任した。

2018年文化功労者選出[10]

2021年4月1日、第23代文化庁長官に就任[11]

人物[編集]

統一教会との関係[編集]

  • 1984年9月から12月にかけて、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体である国際勝共連合の機関紙「思想新聞」でコラム「都倉俊一の世相寸評」を執筆した(全13回)。記事中で教育ニ関スル勅語を「守るべき徳目を列挙し、これを永久に変わらない道徳であるとしている」と肯定。また、スパイ防止法を「あるのは当たり前」と言い切った[12]
  • 1984年10月30日、国際勝共連合の会員3万人を集めて日本武道館で開かれた「世界の平和と安全を守る東京大会」に参加。同大会では、国際勝共連合総裁の久保木修己が講演を行った。同年11月11日付の「思想新聞」に都倉のコメントが顔写真つきで紹介された。都倉は久保木の講演を振り返り、「非常に感銘を受けましたよ。全く同感ですね。総裁のお話は実に説得力があると思う」と感想を述べた[12]
  • 1986年1月1日付の「思想新聞」は、都倉と永野茂門と国際勝共連合婦人局員の女性の座談会を掲載。都倉は「先進国の一員、日本が自由主義陣営の一員である以上、スパイ防止法は絶対必要です」と語った[13]
  • 1987年、国際勝共連合は、スパイ防止法制定運動を広く国民に理解してもらうため、映画『暗号名 黒猫を追え!』を製作した。教団幹部の江利川安栄が原作とプロデューサーを務めた映画『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』に続いて、『暗号名 黒猫を追え!』は井上梅次が監督した。都倉は井上から依頼を受け、同作品の音楽を担当した[14]

その他[編集]

  • Jリーガーの都倉賢は甥、女優の都倉伶奈は姪。
  • パイロットの資格を持っている。
  • 鈴木雄大南野陽子BaBeを擁した芸能プロダクション「株式会社エスワン・カンパニー」を経営していたが、1989年に南野が独立、翌年の1990年にはBaBeの二階堂ゆかりの妊娠・結婚で急遽グループは解散。コンサートツアーが決まっていたが全て中止になる等もあり会社の経営状況が悪くなり倒産。南野とは独立時に確執があったと一部で報道された。また南野は新人時代月給3万円で寮費3万円、ドラマ「スケバン刑事II」やヒット曲連発の時期でも、6万円など月給が10万円に満たなかったと証言した[15]。また、BaBeに支払っていた給料は”月7万円程度”と、報酬面で相当な冷遇を強いていたこともBaBe本人達から暴露された[16]

作曲作品[編集]

あ行[編集]

か行[編集]

さ行[編集]

た行[編集]

な行[編集]

は行[編集]

ま行[編集]

や行[編集]

ら行以降[編集]

広東語版[編集]

  • 陳秀雯
    • 天河 1983(原曲:狩人「回想」)
  • 徐小鳳
    • 莫忘記 1982(原曲:ペドロ&カプリシャス「メリーゴーラウンド」)

その他[編集]

ミュージカル[編集]

  • 黒い服の女(1991年、東京・パルコ劇場、プロデュース)
  • AN INSPECTOR CALLS(1994年、ロンドン・アートスフィア劇場、総合監修)
  • OUT OF THE BLUE(1994年、ロンドン・シャフツベリー劇場、制作総指揮)
  • GALAXY EXPRESS 999 The Musical(1997年、東京・アートスフィア、アースティスティック・スーパーバイザー、作曲)

歌手としての作品[編集]

シングル[編集]

  • 想い出の小径(ザ・パニック・メン)1968年9月 A面はザ・ロック・キャンディーズ「どこかに幸せが」
  • 雨あがり c/w 古い椅子と少女(ジュリアンズ)1969年5月
  • 停車場で… c/w 目の中の海(ジュリアンズ)1970年2月
  • 希望という名のこの道 c/w 希望という名のこの道(英語)
  • この部屋 c/w アンド・ラブ・ウィル・グロウ
  • 砂時計 c/w ソネット 1976年
  • メッセージ c/w 感情旅行 1976年

アルバム[編集]

  • 『This is my song 都倉俊一の世界』13曲中11曲は英語詞。
  • 『都倉俊一 青春の世界』非売品
  • 『抱擁』1976年

プロデューサーとしての仕事[編集]

出演番組[編集]

テレビ

ラジオ

  • ビューティフルサウンズ・都倉俊一グランドオーケストラ(文化放送)[1]
  • MAZDA ミュージックタウン(文化放送)[1]
  • 都倉俊一のゴルフパートナー(文化放送)
  • ネスカフェ·ミュージック·ウエイブ(エフエム東京
  • 都倉俊一 マイ・ミュージック・フォーラム(エフエム東京)

著書[編集]

  • 『わんぱくサムの二都物語』講談社 1982
  • 『暮らしに生きる音楽』富山県教育委員会 精神開発叢書 1985
  • 『都倉俊一 私の日本人論』曜曜社出版 1987
  • 『あの時、マイソングユアソング』新潮社 2008

編共[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「青い果実」「ひと夏の経験」がヒットした。
  2. ^ 代表的な曲「個人授業」を作曲した。

出典[編集]

  1. ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、110頁。NDLJP:12276264/56 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l ガモウユウイチ 著「都倉俊一」、馬飼野元宏(監修/編集)・真鍋新一(編集) 編『昭和歌謡 職業作曲家ガイド』(初版)シンコーミュージック・エンタテイメント、2018年4月15日、172-173頁。ISBN 978-4-401-64371-4 
  3. ^ 「同級生交歓 > 学習院中等科」文芸春秋2013.05.01
  4. ^ a b c d e f g 文化庁長官文化庁
  5. ^ "作曲家・都倉俊一が明かす…「人間として全くタイプが違う」のに、阿久悠と永遠の名コンビになれた理由". 現代ビジネス. 講談社. 8 September 2022. 2022年9月8日閲覧
  6. ^ ドロ沼から一転、都倉俊一とアッサリ離婚した大信田礼子|日刊ゲンダイDIGITAL
  7. ^ 「作家で聴く音楽」第十四回 都倉 俊一
  8. ^ 都倉俊一正会員が新会長に就任 JASRAC Press Release 2010年8月12日付
  9. ^ 新国立競技場を考える 「施設建築ワーキンググループ」議事録検証 東京新聞 文化 2014年10月5日
  10. ^ 平成30年度 文化功労者”. 文部科学省 (2018年11月3日). 2018年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月27日閲覧。
  11. ^ "文化庁長官に都倉俊一氏 「UFO」「狙いうち」ヒット曲多数の作曲家". 産経ニュース. 産経デジタル. 5 March 2021. 2021年3月5日閲覧
  12. ^ a b 文化庁長官 集会参加 84年勝共連合主催・機関紙連載も 講演に「感銘」 教育勅語を肯定”. しんぶん赤旗 (2023年9月6日). 2023年9月20日閲覧。
  13. ^ 『思想新聞』1986年1月1日、「新春座談会 '86年ホンネの時代」。
  14. ^ 『しんぶん赤旗』2023年9月18日、「勝共系映画 現文化庁長官 音楽を担当」。
  15. ^ 【二十歳のころ 南野陽子(2)】月給3万円極貧生活…お腹すいても我慢サンケイスポーツ2017年6月14日
  16. ^ 元BaBe二階堂ゆかりさん、27年ぶりテレビ出演日刊スポーツ2017年7月11日
  17. ^ 明日を信じて走り出せ ~たちあがれ日本イメージソング~

関連項目[編集]

外部リンク[編集]