門馬尚経

門馬 尚経(もんま たかつね、1851年(嘉永4年4月[1][2]) - 1915年(大正4年)7月23日[1][2])は、明治から大正時代の政治家実業家自由民権運動家衆議院議員

経歴[編集]

陸奥国宇多郡玉野村(現相馬市)に生まれる[2][注 1]

1878年(明治11年)福島県第21区戸長兼学区取締在職中に公同社[注 2]を創立し民権運動に関わる[3]。翌年、県学務課に転任し、文部属普通学務局勤務を経て、1881年(明治14年)官職を辞した[4]

1888年(明治21年)東京専門学校卒業[1][2]。在学中の1886年(明治19年)10月、福島県会議員補欠選挙に当選した[4]

学校卒業後直ちに両潤社員(国後硫黄礦事務長[1])となり、ついで佐賀県私立中学鎔造館[注 3]教師兼幹事、同評議員を務めた[2]。のち農業を営み、中央炭鉱の創立に関与し取締役を務めた[2]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では福島県第1区から出馬し当選[1]。つづく第6回総選挙でも当選し衆議院議員を2期務めた[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『衆議院議員列伝』567頁では相馬郡中村生まれ。
  2. ^ のち第二嚶鳴社と称した。
  3. ^ 佐賀県立鹿島高等学校の前身のひとつ。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 515頁.
  2. ^ a b c d e f 福島県 1972, 494頁.
  3. ^ 山崎 1901, 567-568頁.
  4. ^ a b 山崎 1901, 568頁.

参考文献[編集]