阿部慶二

阿部 慶二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府岸和田市
生年月日 (1961-04-20) 1961年4月20日(63歳)
身長
体重
172 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1983年 ドラフト6位
初出場 1984年8月7日
最終出場 1988年5月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (1989 - 2010)

阿部 慶二(あべ けいじ、1961年4月20日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴[編集]

PL学園高では、1978年夏の甲子園で控え内野手ながら優勝を経験する[1]。翌1979年春の選抜遊撃手として出場。中西康智(近大)の好投もあり準決勝に進出する。エース石井毅を擁する箕島高と対戦、この試合では中西をリリーフして延長10回に甲子園初登板を果たすが、自らの暴投でサヨナラ負けを喫した[2]。しかしこの大会では3本塁打を放ち、高校同期の小早川毅彦山中潔らとともにチームを引っ張った。同年夏の甲子園府予選でも決勝に進出するが、浪商牛島和彦香川伸行のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する[1]。中西、小早川、山中以外の同期に山崎剛がいた。

卒業後は亜細亜大学に進むが中退し、社会人野球ヤマハ発動機に進む。1982年都市対抗野球にチーム初出場を果たし[3]、同年の日本選手権でも初優勝に貢献。

1983年プロ野球ドラフト会議広島東洋カープから6位指名を受け入団。

1984年8月、巨人戦で初打席初本塁打を放って鮮烈なデビューを果たす。1986年には2試合に三塁手として先発出場。

しかし、その後は伸び悩み、1988年シーズン終了後に現役を引退。

引退後もチームに残り、守備走塁コーチ補佐、その後守備走塁コーチとして後進の指導・育成にあたった。2011年からはフロント入り[4]

エピソード[編集]

2008年シーズン、FMラジオ局広島エフエム放送の番組「DO THE CARP」にてアナウンサーの中川真由美と共にDJを務めていた。番組中に身内と思われるメールが届き、帰宅するとご近所さんと家族が一緒に食事をしており、ギャグに対し駄目だしをされた。

同年、広島東洋カープと提携している中国のチームにコーチとして派遣されることが決まり、7月21日の放送をもってDJ業を三軍コーチの道原裕幸に譲り、番組を卒業した。しかし、予定より早く帰国することになり、8月25日の上記放送に電話で出演した際、道原に復帰を促され了承し、9月1日の放送から番組のDJに再び就任した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1984 広島 9 6 5 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .200 .333 .800 1.133
1986 16 14 12 0 1 0 0 0 1 1 1 0 0 0 2 0 0 5 0 .083 .214 .083 .297
1988 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:3年 27 21 18 1 2 0 0 1 5 2 1 0 0 0 3 0 0 8 0 .111 .238 .278 .516

記録[編集]

  • 初出場:1984年8月7日、対読売ジャイアンツ15回戦(後楽園球場)、9回表に二塁手として出場
  • 初打席・初安打・初本塁打・初打点:1984年8月8日、対読売ジャイアンツ16回戦(後楽園球場)、6回表に槙原寛己から右越ソロ ※史上18人目の初打席初本塁打

背番号[編集]

  • 54(1984年 - 1988年)
  • 86(1989年 - 2010年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  4. ^ 2011年度 二軍、三軍コーチングスタッフについて - 2010年11月25日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]