雪国 (小説)

雪国
訳題 Snow Country
作者 川端康成
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出夕景色の鏡」-『文藝春秋1935年1月号
白い朝の鏡」-『改造』1935年1月号
物語」-『日本評論』1935年11月号
徒労」-『日本評論』1935年12月号
萱の花」-『中央公論1936年8月号
火の枕」-『文藝春秋』1936年10月号
手毬歌」-『改造』1937年5月号
雪中火事」-『公論1940年12月号
天の河」-『文藝春秋』1941年8月号
雪国抄」-『暁鐘1946年5月号
続雪国」-『小説新潮1947年10月号
刊本情報
刊行雪国創元社 1937年6月12日
装幀:芹沢銈介
完結本『雪国』 創元社 1948年12月25日
定本雪国牧羊社 1971年8月15日 装画・挿画:岡鹿之助。題簽:川端康成
雪国抄ほるぷ出版 1972年12月1日
受賞
第3回文芸懇話会賞(1937年)
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雪国』(ゆきぐに)は、川端康成長編小説である。名作として国内外で名高い。雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語[1]。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の虚無に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている[1]

1935年(昭和10年)から各雑誌に断続的に断章が書きつがれ、初版単行本刊行時の1937年(昭和12年)7月に文芸懇話会賞を受賞した。その後も約13年の歳月が傾けられて最終的な完成に至った[2][3]

発表経過[編集]

『雪国』は、最初から起承転結を持つ長編としての構想がまとめられていたわけではなく、以下のように複数の雑誌に断続的に各章が連作として書き継がれた[3]

  • 1935年(昭和10年)
    • 夕景色の鏡」 - 『文藝春秋』1月号
    • 白い朝の鏡」 - 『改造』1月号
    • 物語」 - 『日本評論』11月号
    • 徒労」 - 『日本評論』12月号
  • 1936年(昭和11年)
    • 萱の花」 - 『中央公論』8月号
    • 火の枕」 - 『文藝春秋』10月号
  • 1937年(昭和12年)
    • 手毬歌」 - 『改造』5月号

以上の断章をまとめ、書き下ろしの新稿を加えた単行本『雪国』は、1937年(昭和12年)6月12日に創元社より刊行され、7月に第3回文芸懇話会賞を受賞した[4][注釈 1]。さらに続篇として以下の断章が各誌に掲載された。

  • 1940年(昭和15年)
    • 雪中火事」 - 『公論』12月号
  • 1941年(昭和16年)
    • 天の河」 - 『文藝春秋』8月号
  • 1946年(昭和21年)
    • 雪国抄」(「雪中火事」の改稿) - 『暁鐘』5月号
  • 1947年(昭和22年)
    • 続雪国」(「天の河」の改稿) - 『小説新潮』10月号

以上の続篇を加えて最終的な完成作となり、「続雪国」まで収録した完結本『雪国』は、「あとがき」を付して翌1948年(昭和23年)12月25日に創元社より刊行された[3][4]

その後、新潮社より1949年(昭和24年)6月刊行の『川端康成全集第6巻』(全16巻本)や、1960年(昭和35年)6月刊行の『川端康成全集第5巻』(全12巻本)に収録の際と、さらに1971年(昭和46年)8月に牧羊社より『定本雪国』刊行の際にも、川端本人による斧鉞が加えられた[3]。また川端死後の1972年(昭和47年)12月には、原稿復刻版『雪国抄』がほるぷ出版より刊行された[4]

本人の斧鉞後の定稿は、1980年(昭和55年)4月刊行の『川端康成全集第10巻』(全37巻本)に収録され、前述に並列した斧鉞前のプレ・オリジナル版は同年10月刊行の『川端康成全集第24巻』(全37巻本)に収録されている[3]

エドワード・サイデンステッカー訳(英題:Snow Country)をはじめ、ドイツ(独題:Schneeland)、イタリア(伊題:Il paese delle nevi)、中国(中題:雪国、雪郷)、フランス(仏題:Pays de neige)など、世界各国語の翻訳版が出版されている[7]

作品背景・モデル[編集]

松栄。駒子のモデルとなった女性

『雪国』の主な舞台は、上越国境清水トンネルを抜けた湯沢温泉であるが、この作品も『伊豆の踊子』同様に、川端の旅の出会いから生まれたもので[2]、雪中の火事も実際に起ったことだと川端は語っている[8]。川端は作品内で故意に地名を隠しているが、1934年(昭和9年)6月13日より1937年(昭和12年)まで新潟県湯沢町の高半旅館(現:雪国の宿 高半)に逗留していたことを随筆『「雪国」の旅』で述べている[9]

その時出会ったのが駒子のモデルとなる芸者・松栄(本名は丸山キクで、のちに小高キク)である[10][11]。小高キクは、1916年(大正5年)に新潟県三条市の貧しい農家の7人姉弟の長女として生まれ、1926年(大正15年)、数え年11歳で三条を離れて、長岡の芸者置屋に奉公に出された女性である[12][10]。彼女は芸者引退後、故郷に戻り結婚し、夫と和服仕立業を営み、1999年(平成11年)1月31日、三条市の病院で胆管癌のため死去した[13]。なお川端は、主人公の島村については、〈島村は私ではありません。男としての存在ですらないやうで、ただ駒子をうつす鏡のやうなもの、でせうか〉と述べている[14]

1934年(昭和9年)の晩秋の頃、高半旅館に宿泊していた川端を見かけた宿の次男・高橋有恒(当時17歳)によると、川端はよく帳場の囲炉裏端に座り、父(宿の主人)・高橋半左衛門や母・ヨキと話しこみ、芸者たちのことや、その制度、温泉、豪雪、風物、習慣、植物などのことを訊ねていたという[10]。有恒の兄・正夫は、後に旅館を継いで高橋半左衛門を襲名するが、正夫は当時、京都帝国大学から転学し東京帝国大学文学部の学生であったため、川端と親しんでいたという[10]

川端が滞在した高半旅館は建替えられているが、雪国を執筆したという「かすみの間」は保存されている[15][16][注釈 2]。また、湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にモデルの芸者が住んでいた部屋を再現した「駒子の部屋」があり、湯沢温泉には、小説の冒頭文が刻まれた文学碑が建てられている[2]。なお、村松友視の『「雪国」あそび』には、モデルの松栄について言及されている[18]

雪国』というタイトルが決定したのは、最初の単行本刊行時で、有名な冒頭文の書き出しに「雪国」という言葉が現れるのもこの時点である[2]。初出誌版の「夕景色の鏡」での冒頭文は当初、〈国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなつた〉となっており、その前段にも文章があったが単行本刊行時に削除改稿された[19]。また、続編の「雪中火事」には、鈴木牧之著『北越雪譜』からの引用や参考にした文章もある[20][11]

また、作中の時系列(3度目に島村が温泉町を訪れた年)が、作者の錯誤により統一されていない部分があることが、何人かの研究者に指摘されているが、その不統一も追憶の順不同の手法によって、多くのあいまいさが許されているしくみになっているという見方と[21]、あえて川端が実際の期間(約1年間)よりも、長い年月が経ったように作品世界を提示しているという見方もある[11]

あらすじ[編集]

12月初め、島村は雪国に向かう汽車[注釈 3]の中で、病人の男に付き添う恋人らしき若い娘(葉子)に興味を惹かれる。島村が降りた駅で、その2人も降りた。旅館に着いた島村は、芸者駒子を呼んでもらい、朝まで過ごす。

島村が駒子に出会ったのは去年の新緑の5月、山歩きをした後、初めての温泉場を訪れた時のことであった。芸者の手が足りないため、島村の部屋にお酌に来たのが、三味線踊り見習いの19歳の駒子であった。次の日、島村が女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、2人は一夜を共にしたのだった(以上、回想)。駒子はその後まもなく芸者になっていた。

昼、冬の温泉町を散歩中、島村は駒子に誘われ、彼女の住んでいる踊りの師匠の家の屋根裏部屋に行った。昨晩車内で見かけた病人は師匠の息子・行男で、付添っていた葉子は駒子と知り合いらしかった。行男は腸結核で長くない命のため帰郷したという。島村は按摩から、駒子は行男の許婚で、治療費のため芸者に出たのだと聞かされるが、駒子は否定した。

島村は温泉宿に滞在中、毎晩駒子と過ごし、独習したという三味線の音に感動を覚えた。島村が帰る日、行男が危篤だと葉子が報せに来るが、駒子は死ぬところを見たくないと言い、そのまま島村を駅まで見送った。

翌々年の秋、島村は再び温泉宿を訪れた。去年の2月に来る約束を破ったと駒子は島村をなじる。あの後、行男は亡くなり、師匠も亡くなったと聞き、島村は嫌がる駒子と墓参りに行った。墓地には葉子がいた。

駒子はお座敷の合い間、毎日島村の部屋に通ってきた。忙しいある晩、駒子は葉子に伝言を持って来させた。島村は葉子と言葉を交わし、魅力を覚えた。東京に行くつもりの葉子は、島村が帰るときに連れて行ってくれと頼み、「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と言った。葉子は死んだ行男をまだ愛しているようだった。「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と葉子は泣きながら言った。葉子が帰った後、島村はお座敷の終った駒子を置屋(駄菓子屋の2階に間借り)まで送ったが、駒子は再び島村と旅館に戻り、酒を飲む。島村が「いい女だ」と言うと、その言葉を誤解し怒った駒子は激しく泣いた。

島村は東京の妻子を忘れたように、その冬も温泉場に逗留を続けた。天の河のよく見える夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になり、島村と駒子は駆けつけた。人垣が見守る中、一人の女が繭倉の2階から落ちた。落ちた女が葉子だと判った瞬間にはもう、地上でかすかに痙攣し動かなくなった。駒子は駆け寄り葉子を抱きしめた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように島村には見えた。駒子は「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」と叫んだ。

登場人物[編集]

島村
東京の下町出身。親の遺産で無為徒食の生活を送り、フランス文学ヴァレリイアラン)や舞踊論の翻訳などをしている「文筆家の端くれ」。子供の頃から歌舞伎になじみ、以前は日本舞踊研究に携わっていたが、ふいに西洋舞踊研究に鞍替えした。旅・登山が趣味。東京に妻子あり。小肥りで色白。
駒子
19 - 21歳。の輪のようになめらかに伸び縮みする美しい唇。清潔な印象の女。東京に売られ、お酌をしていて旦那に落籍されたが、まもなく旦那が亡くなり、17歳で故郷の港町に戻った。島村と初めて会った直後の19歳の6月に芸者に出た。病気の許婚のために芸者になったらしい。17歳から続いている旦那が港町にいるが別れたいと思っている。
葉子
哀しいほど美しい声の娘。駒子の住む温泉町出身の娘で、駒子の許婚という噂の行男を帰郷の列車で甲斐甲斐しく看病する。行男と恋人同士らしい。東京で看護婦を目指していたことがある。肉親は、国鉄に勤めはじめた弟が一人。地元に伝わる手鞠歌などを美しい声で歌う。
行男
26歳。病人。駒子が習っている踊の師匠の息子。駒子と幼馴染。港町で生まれ、東京の夜学に通っていたが、腸結核を患い帰郷する。駒子の許婚という噂だが、駒子は否定。親の師匠は50歳前に中風になり、港町から故郷の温泉町へ戻った。
佐一郎
葉子の弟。鉄道信号所で働いている少年。貨物列車から姉を見つけて、帽子を振って呼ぶ。
温泉町の人々、他
宿屋の番頭、主人、おかみ、女中。芸者たち。宿の幼女。按摩の女。鉄道信号所の駅長。列車の乗客。ロシア女の物売り。置屋の駄菓子屋の家族。運転手。「の産地」の町のうどん屋の女。

作品評価・研究[編集]

『雪国』は川端文学を代表する名作と呼ばれている。海外でも評価は高く、川端が受賞したノーベル文学賞の審査対象となった作品でもある[19]。また書かれた当時は、日本国外にいる日本人が故国の郷愁を誘う作品として愛されていたという[22][20]。川端はそのことについて以下のように語っている。

私の作品のうちでこの「雪国」は多くの愛読者を持つた方だが、日本の国の外で日本人に読まれた時に懐郷の情を一入(ひとしお)そそるらしいといふことを戦争中に知つた。これは私の自覚を深めた。 — 川端康成「あとがき」(完本『雪国』)、「独影自命――作品自解」に再録[22]

小林秀雄は、「火の枕」の章が発表された時点で、作品の主調を形成しているものを川端の「抒情性」として、その本質を以下のように解説している[23]

こゝに描かれた芸者等の姿態も、主人公の虚無的な気持に交渉して、思ひも掛けぬ光をあげるといふ仕組みに描かれてゐて、この仕組みは、氏の作品のほとんどどれにも見られるもので、これはまた氏の実生活の仕組みであるのだ。
川端氏の胸底は、実につめたく、がらんどうなのであつて、実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも思つてゐる。氏はほとんど自分では生きてゐない。他人の生命が、このがらんどうの中を、一種のをあげて通過する。だから氏は生きてゐる。これが氏の生ま生ましい抒情の生れるゆゑんなのである。作家の虚無感といふものは、こゝまで来ないうちは、本物とはいへないので、やがてさめねばならぬに過ぎないのである。 — 小林秀雄「作家の虚無感―川端康成の『火の枕』―」[23]

伊藤整は、『雪国』の「抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、心理のきびしさのをつかむという道」という「美の精神」は、『枕草子』や俳諧などの脈に通じているとし、その日本の抒情の古典は、川端の『雪国』において「新しい現代人の中に、のように完成して中空にかかった」と評している[24]。そして『雪国』の随所や終結部に見られる微妙な描写の特徴的な手法は、「現象から省略という手法によって、美の頂上を抽出する」という仕方をとっているため、「初歩の読者はそこに特有の難解さを感じ、進んだ読者は自己の人間観の汚れを残酷に突きつけられる。そういう点からは、大変音楽的な美しさと厳しさを持っている」と解説している[24]

福田和也は、『雪国』を「20世紀10大小説の一作」[25]、「ヨーロッパの世紀末文学の理想、ボードレールワイルドリラダンが求めて果たさなかったデカダンの理想を実現してしまった作品」だと評し、以下のように解説している[26]

デカダンスにはいろいろな見方があると思いますが、近代的人間性を徹底的に否定するインヒューマニティ、その残酷さが持っている美を極限まで押し進めるとあの小説の世界になるのだと思いますね。主人公の設定もそうですし、それから自然の描写ですね。人間性をはっきり拒絶したところから出てくる自然を描いていて、メタリックといってもいいような突き抜けた力があって、ニヒリズムすら必要としない無情さが溢れている、これは本当におそろしい作家がいるという感覚を持ちました。 — 福田和也「本人もコレクションもおそろしい」[26]

三島由紀夫は、『雪国』の冒頭の汽車の窓ガラスの反映描写を、「川端文学の反現実的なあやしさが、一つの象徴としてかがやいてゐる」とし、それはあたかも「哲学書の序論」で、「各種の哲学用語」が定義されているように「全篇の序曲」となり、この作品の中における「人物」「風景」「自然」「事件」が何であるかが、「あらかじめ提示され、ひそかに答へ尽くされてゐる」と説明している[1]

そして全篇を読了した後に気づく、その序曲の意味について三島は、作中の人物たち(駒子や葉子)が〈不思議なのなか〉で、〈夢のからくり〉のように眺められる存在で、読者や島村に〈悲しみを見てゐるといふつらさ〉を与えず、作中の風景は〈夕景色の鏡の非現実な力〉の支配下にあり、作中の事件も、火事で葉子が2階から転落しても、汽車の窓に反映した葉子の顔に火が点ったのと同様の、「人間と自然とが継ぎ目なく入りまじる静かな奇蹟の瞬間」に他ならないことだと解説している[1]

さらに、その葉子の失心した姿を見る島村が、〈島村はやはりなぜか死は感じなかつたが、葉子の内生命が変形する、その移り目のやうなものを感じた〉と表現されていることに三島は触れ、以下のように解説している[1]

定めない人間のいのちの各瞬間の純粋持続にのみ賭けられたやうなこの小説に、もし主題があるとすれば、この一句の中にある。(中略)それはの「内生命の変形」の微妙な記録であり、がすつと穂を伸ばすやうなその「移り目」の瞬間のデッサンの集成である。駒子も葉子も、ほとんど一貫した人物ですらない。一性格ですらない。彼女たちは潔癖に、生命の諸相、そのゆらめき、そのときめき、その変容のきはどい瞬間を通してしか、描かれないのである。作中に何度かあらはれる「徒労」といふ言葉は、かうして無目的に浪費される生のすがたの、危険な美しさに対する反語である。 — 三島由紀夫「解説 雪国」(『日本の文学38 川端康成集』)[1]

また、「放り出すやうに」突然と川端が〈空と山とは調和などしてゐない〉と書いているように、川端の描く自然描写は単なる美しい描写ではないことを三島は指摘しながら、ディテールの「純粋な持続」が、読者自らがそれを綜合してしまうような作用をもたらす『雪国』を「ユニークな小説」とし、「同時に又、もつとも普遍的な小説なのである」と評している[1]

梅澤亜由美は、川端が『浅草紅団』で都市を描いた直後に『雪国』が書かれた視点から考察し、「あきらめの世界である都市」から逃避してきた島村は、「非現実的な雪国の世界」を求めたが、そこにも「東京に散った男を巡る三角関係と東京を背負いながら雪国に埋もれていこうとする女」を見ることになり、「美しい非現実の世界」だけでなく、島村が逃げてきた「東京の影」がそこに付きまとっていると解説している[27]

そして雪国を立ち去らなければならない島村が、美しい天の河を見た直後に、雪国で最後に見た火事の虚しい光景は、絶望や失意を秘めているが、ラストにおいて島村の中へ天の河が音を立てて流れ落ちるように感じたのは、そういったもの全てを超越したものを感じたとし[27]、「そこには全てを圧倒し、包み込んでしまうような“自然の力”がある」と梅澤は考察している[27]

冒頭文の「国境」の読み方[編集]

本作の冒頭文、〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた〉という文の中の、この「国境」の読み方には、「くにざかい」か「こっきょう」か、という議論があるが、長谷川泉は、「くにざかい」が正しいとし、「このことでは、川端康成とも話をしたことがあった」と述べている(川端の発言は不明)[19]

「国境」を「くにざかい」と読むことを主張する人々は、この「国境」とは、かつての令制国である上野国群馬県)と越後国新潟県)の境という意味であり、日本国内における旧令制国の境界の読み方は一般に「くにざかい」である、と主張する。

一方、「こっきょう」と読むことを主張する人々は、上越国境は「じょうえつこっきょう」と読むことが一般的であるとし[注釈 4]、川端自身も、「こっきょう」と読むことを認める発言をしていた[28]と主張する。川端と武田勝彦との対談では、川端が「上越国境とか信越国境とかいいますけどね。国境(こっきょう)と読んでいるでしょうね、みんな」と発言、武田が「いや、でもあれは国境(くにざかい)のほうが……読む方も多いと思います」と応じ、川端は「そうですかしら」とのみ返している[29]

なお、日本国語大辞典第2版(小学館)の記述は、「こっ‐きょう[コクキャウ] 【国境】 国と国との境界線。日本においては、近世まで行政上の一区画をなした地(「くに(国)」)の境界をもいった。(中略)くにざかい。」としている。同初版では「こっきょう」の例文としてこの箇所がとられている。

鉄道にまつわる豆知識[編集]

小説冒頭の「長いトンネル」というのは、小説発表時には開通後まだ年数の浅かった清水トンネル上越線)で、はじめに列車が止まった「信号所」は土樽信号場(現、土樽駅)と解されている[30]。川端自身は、1948年の創元社版の『雪国』のあとがきでは明記せず必ずしも特定の場所に比定されるのを好まなかったようだが、結局、1952年の岩波書店の文庫版のあとがきでは、「雪国の場所は越後の湯沢温泉である」としている[31]。なお『雪国』本文には〈汽車〉とあり、テレビなどで紹介される際にも蒸気機関車に牽引された列車の映像が一緒に出されることがあるが、上越線の該当区間は長大トンネルの煙害対策のために初めから直流電化で開業し、列車は電気機関車牽引だった(なお、新潟県の方言では、煙が出ない「電車」であっても「汽車」と言うのが一般的である(特に高齢者))。

清水トンネルがある湯檜曽駅―土樽駅間を複線にする際、新清水トンネルが切削され、1967年(昭和42年)より下り線用として供用を開始したため、旧来の清水トンネルは上り線用となった。そのため現在、川端が執筆した当時の清水トンネルを抜けて「雪国」を訪れることはできない。

かつて上越線には、この小説から愛称をとった急行列車「ゆきぐに」が運行されていた(1959年 - 1965年、とき (列車)の項を参照)。

雪国抄[編集]

川端の死後、書斎から『雪国抄 一、二』と題された自筆のノート2冊が見つかった。末尾には「昭和47年1月2月書く」と記されており、最晩年に書かれたものである。雪国の前半部分を短縮した内容となっており、駒子が登場するものの、その名はただ「女」に書き換えられている。『雪国抄』は後に遺稿として出版されている。

おもな刊行本・音声資料など[編集]

単行本[編集]

  • 『雪国』(創元社、1937年6月12日)
  • 完結版『雪国』(創元社、1948年12月25日)
    • 付録:川端康成「あとがき」
  • 『雪国・千羽鶴』(角川書店、1955年1月15日)
    • 装幀・挿画:小倉遊亀
    • 収録作品:「雪国」「千羽鶴」(千羽鶴、森の夕日、絵志野、母の口紅、二重星)
    • ※ 同年3月5日には、限定版著名入が刊行。
  • 『雪国』(筑摩書房、1956年2月10日)
  • 『雪国』(講談社ロマンブックス、1964年5月10日)
  • 豪華限定版『定本雪国』(牧羊社、1971年8月15日) 1200部限定
    • 装画・挿画:岡鹿之助(4葉綴込)。題簽:川端康成。著者毛筆署名付き。革装幀。
    • 付録:川端康成「あとがき」
    • ※ 別に著者用の非売本30部限定あり。
  • 原稿復刻版『雪国抄』(ほるぷ出版日本現代文学館、1947年12月1日)
    • 和綴本。二帖帙入。本文57葉(一:29葉、二:27葉)
    • 別冊『雪国抄』解説:藤田圭雄「毛筆本『雪国抄』について」
    • 収録作品:「雪国抄(一)(二)」
  • 文庫版『雪国』(新潮文庫、1947年7月16日。改版1987年、2006年。)
    • カバー装画:芥川政子。解説:伊藤整「『雪国』について」。竹西寛子「川端康成 人と作品」(1973年以降添付)。年譜付。
  • 文庫版『雪国』(角川文庫、1956年。改版2013年)
  • 文庫版『雪国』(岩波文庫、1952年12月。改版1968年、2003年。)
    • 付録:川端康成「あとがき」
  • 文庫版『雪国』(旺文社文庫、1966年)
  • 英文版『Snow country』(訳:エドワード・G・サイデンステッカー)(クノップ社、1956年、ほかTuttleなど多数)
  • ドイツ語版『Die Tänzerin von Izu ; Tausend Kraniche ; Schneeland ; Kyoto : ausgewählte Werke』(訳:オスカー・ベンル)(Carl Hanser, c1968)[32]

全集[編集]

音声資料[編集]

  • 朗読CD『雪国』(上・下)(新潮社、2001年10月25日)
    • (上)CD2枚(136分)。(下)CD2枚(142分)。
    • 朗読:加藤剛

漫画[編集]

派生作品・オマージュ作品[編集]

※出典は[33]

  • 死の島(福永武彦、1966年1月 – 1971年8月)
  • ダイヤモンドの針(中里恒子、1976年1月 – 1977年1月)
  • ブランコ(莫言、1985年8月)
    • のちに「白い犬とブランコ」に改題。
  • スノー・カントリー(清水義範、1989年8月)
  • 雪国の踊子(荻野アンナ、1991年3月)
  • 「雪国」殺人事件(西村京太郎、1998年2月)
  • 新・雪国(笹倉明、1999年8月)
  • 所有者のパスワード(多和田葉子、2000年1月)
  • 「雪国」あそび(村松友視、2001年4月)
  • わたくし率 イン 歯ー、または世界(川上未映子、2007年5月)
  • 世界の果て、彼女(金衍洙、2009年9月)
  • 川端康成――雪国にかける橋(鯨統一郎、2021年11月)
    • 『金閣寺は燃えているか? 文豪たちの怪しい宴』の第一話

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

TBS 月曜22時台前半枠
前番組 番組名 次番組
雪国
【当番組よりドラマ枠
関西テレビ制作・フジテレビ系列 白雪劇場
雪国
関西テレビ制作・フジテレビ系列 川端康成名作シリーズ
(なし)
雪国
伊豆の踊り子

ラジオドラマ[編集]

舞台劇[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この時の賞金で、川端は1937年(昭和12年)7月に軽井沢に別荘を購入した[5][6]
  2. ^ 高半旅館が建替えられた「雪国の宿 高半」の文学資料室には、川端の書で「雪国」と記された色紙が所蔵されている[17]
  3. ^ 乗っている列車について、本文でこのように書かれている。詳細は#鉄道にまつわる豆知識を参照。
  4. ^ 森鷗外渋江抽斎』に「若し丹後、南部等の生のものが紛れ入ってゐるなら、厳重に取り糺(ただ)して国境(「コクキャウ」とルビ)の外に逐へと云ふのである」という例がある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 「解説」(『日本の文学38 川端康成集』中央公論社、1964年3月)。作家論 1974, pp. 84–102、三島32巻 2003, pp. 658–674
  2. ^ a b c d 「『雪国』へ」(アルバム川端 1984, pp. 32–64)
  3. ^ a b c d e 田村充正「雪国」(事典 1998, pp. 364–367)
  4. ^ a b c 「著書目録――単行本」(雑纂2 1983, pp. 593–616)
  5. ^ 「秋風高原――落花流水」(風景 1962年11月-1964年12月号に断続連載)。『落花流水』(新潮社、1966年5月)、随筆3 1982, pp. 224–265、随筆集 2013, pp. 129–187に所収
  6. ^ 「第三章 千客万来の日々――満州行」(秀子 1983, pp. 75–156)
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  8. ^ 「川端康成氏に聞く(三島由紀夫中村光夫との座談会)」(三島由紀夫編『文芸読本 川端康成〈河出ペーパーバックス16〉』河出書房新社、1962年12月)。三島39巻 2004, pp. 379–400に所収
  9. ^ 「『雪国』の旅」(世界の旅・日本の旅 1959年10月・第3号)。評論5 1982, pp. 170–174、随筆集 2013, pp. 424–429に所収
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参考文献[編集]

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  • 進藤純孝『伝記 川端康成』六興出版、1976年8月。NCID BN00959203 
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  • 羽鳥徹哉; 原善 編『川端康成全作品研究事典』勉誠出版、1998年6月。ISBN 978-4-585-06008-6 
  • 日高靖一ポスター提供『なつかしの日本映画ポスターコレクション――昭和黄金期日本映画のすべて』近代映画社〈デラックス近代映画〉、1989年5月。ISBN 978-4764870550 
  • 日高靖一ポスター提供・監修『なつかしの日本映画ポスターコレクション PART2』(永久保存)近代映画社、1990年2月。ISBN 978-4764816404 
  • 保昌正夫 編『新潮日本文学アルバム16 川端康成』新潮社、1984年3月。ISBN 978-4-10-620616-0 
  • 森本穫『魔界の住人 川端康成――その生涯と文学 上巻』勉誠出版、2014年9月。ISBN 978-4585290759 
  • 三島由紀夫『作家論』中央公論社中公文庫〉、1974年6月。ISBN 978-4-12-200108-4  ハードカバー版は1970年10月 NCID BN0507664X、新装版は2016年5月
  • 三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集第32巻 評論7』新潮社、2003年7月。ISBN 978-4-10-642572-1 
  • 三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集第39巻 対談1』新潮社、2004年5月。ISBN 978-4-10-642579-0 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]