静岡県立静岡高等学校

静岡県立静岡高等学校
静岡県立静岡高等学校(2019年9月)
地図北緯34度59分7.2秒 東経138度22分49.6秒 / 北緯34.985333度 東経138.380444度 / 34.985333; 138.380444座標: 北緯34度59分7.2秒 東経138度22分49.6秒 / 北緯34.985333度 東経138.380444度 / 34.985333; 138.380444
過去の名称 靜岡師範學校中等科
靜岡縣尋常中學校
靜岡縣靜岡中學校
靜岡縣立靜岡中學校
静岡県立静岡第一高等学校
静岡県立静岡城内高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 静岡県の旗 静岡県
校訓 卬高(高きを仰ぐ)
設立年月日 1878年9月2日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(全日制8学級/7学級 定時制2学級)
学校コード D122210000368 ウィキデータを編集
高校コード 22133D
所在地 420-8608
静岡県静岡市葵区長谷町66番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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静岡県立静岡高等学校の位置(静岡県内)
静岡県立静岡高等学校

静岡県立静岡高等学校(しずおかけんりつしずおかこうとうがっこう)は、静岡県静岡市葵区長谷町に所在する県立高等学校

概要[編集]

1878年明治11年)に静岡師範学校中等科として開校した公立高校。文武両道を掲げ、生徒による自治を重んじる。通称は「静高(しずこう)」、旧制中学時代を「静中(せいちゅう)」。生徒は「岳南健児」と呼ばれる。

昭和天皇1930年(昭和5年)と1946年(昭和21年)に2度視察(来校)。1930年(昭和5年)の行幸を記念して卬高碑が建立された。

部活動が盛んで多くの実績を残している。野球、サッカー、バスケットボール、競泳ではオリンピック代表選手を輩出。近年は卒業生による現役世代への講演・交流等の起業家教育に定評があり多くの起業家・投資家を輩出している。ベンチャー企業のIPOや大型EXITや大型VCファンド組成など若手の卒業生起業家の活躍が目覚ましい。

校地は北緯35度に位置し、構内に独立図書館を持つ。

校訓
卬高(こうこう)「高きを仰ぐ」

実践目標

  • われわれは勉強を本分とする。
  • われわれは人に迷惑をかけない。
  • われわれは自主的に行動する。
  • われわれは勤労を愛する。(定時制)

沿革[編集]

明治19年(1886年)頃の「静岡中学校」[1]
旧制静岡中学校(1930年)
静岡県立静岡高等学校 遠景
  • 1878年(明治11年) - 安倍郡静岡追手町(現・葵区駿府町)の静岡師範学校内に中等科を開設
  • 1879年(明治12年) - 静岡師範学校中等科を分離し「静岡中学校」とする
  • 1886年(明治19年) - 静岡中・浜松中・沼津中の3校を合併し「県立静岡中学校」と改称
  • 1886年(明治19年) - 「県立静岡尋常中学校」に改称
  • 1887年(明治20年) - 安倍郡静岡西草深町に校舎が完成し移転
  • 1887年(明治20年) - 「静岡県尋常中学校」に改称
  • 1898年(明治31年) - 「静岡県静岡尋常中学校」に改称
  • 1899年(明治32年) - 「静岡県静岡中学校」に改称
  • 1900年(明治33年) - 安東村北安東の新校舎に移転
  • 1901年(明治34年) - 「静岡県立静岡中学校」に改称
  • 1915年大正4年) - 大正天皇即位の御大典を記念し、寄宿舎を「仰止(ぎようし)寮」と命名[2]
  • 1928年昭和3年) - プール新設及び図書館完成
  • 1930年(昭和5年) - 昭和天皇が行幸、授業及び諸運動を観覧。「卬高碑」建立。
  • 1945年(昭和20年) - 戦災により校舎消失。工場や連隊兵舎跡地等を仮校舎として使用
  • 1946年(昭和21年) - 昭和天皇が再び行幸(昭和天皇の戦後巡幸[3]
  • 1948年(昭和23年) - 新学制実施。「静岡県立静岡第一高等学校」に改称。定時制課程設置
  • 1949年(昭和24年) - 「静岡県立静岡城内高等学校」に改称。男女共学となる
  • 1953年(昭和28年) - 静岡市長谷町に新校舎が完成し生徒、職員全員移転。「静岡県立静岡高等学校」に改称
  • 1988年(昭和63年) - 現校舎完成
  • 2004年平成16年) - 創立125周年記念資料館「卬高館」落成
  • 2005年(平成17年) - 全天候型運動場(静高ドーム)竣工
  • 2012年(平成24年) - 体育館の耐震工事完了

部活動など[編集]

運動部[編集]

大正15年夏の甲子園で優勝した静岡中学野球部

文化部[編集]

囲碁部が1980年(昭和55年)全国高校囲碁選手権大会において全国3位の実績があるほか、2012年(平成24年)にはマンドリン部が全国ギターマンドリンフェスティバルと全国高等学校総合文化祭に出場した。これまで写真部や新聞部、郷土研究部などが数々の賞を受賞している。

その他の活動[編集]

1988年(昭和63年)第8回全国高等学校クイズ選手権において優勝。

校歌[編集]

現在、公式行事等では一番のみを歌う。 ただし、旧制中学時代の出身者を中心に2番以降も歌われている。

学校行事[編集]

  • 4月 - ホームルームデー (クラスごとに目的地を決めて、親睦を深めるべく遠足する。)
  • 5月 - 教育講演会 (OBの著名人による公演。5月上旬。)
  • 6月 - 卬高祭 (文化祭、卬高展、仮装というイベントを6月初旬、3日間にわたって繰り広げる。)
    • 文化祭は、市民文化会館にて、音楽系文化部や演劇部などの発表が行われる。
    • 卬高展は文化部の展示発表のほか、綱引き大会、有志バンドの発表が行われる。
    • 仮装は本校最大のイベントであり、50年以上の歴史がある。かつてはクラスごとに静岡駅前を仮装して行進することもあった。現在では、校内駐車場の一部を作業場とし、また体育館などの施設を演技の練習場として利用して準備を進め、本校グラウンドにて、各クラス8分間の持ち時間の中、各クラスの独創性をこらした無声劇を行う形式となっている。
  • 7月 - 球技大会 (クラス対抗形式で行う。一学期期末テスト後(夏休み直前)に実施。)
  • 9月 - 体育大会 (いわゆる運動会とは異なり、個人陸上競技が中心。9月末に実施。)
  • 10月 - 球技大会 (クラス対抗形式で行う。二学期中間テスト後(10月中旬)に実施。)
  • 12月 - 修学旅行
    • 2年生の12月に3泊4日で実施。平成20年度入学の生徒から、奈良京都、台北の2ヶ所から行き先を選択できるようになった。各人の「研修」との位置づけである。
  • 1月
    • 冬の祭典 (音楽系文化部による発表会。1月中旬から下旬に実施。)
    • マラソン大会 (1、2年生のみ。月末に静岡市郊外で実施。男子は約8,5キロ、女子は約6キロを走る。)

教育[編集]

  • 定期試験、学力テスト、校外模擬試験など試験は多く、長期休業明けを含め、ほぼ一ヶ月に一回試験が行われる。
  • 65分授業(×5時限)を行っている。また、隔週で土曜に正規の授業を行い、並行してオープンスクールを実施している。

服装[編集]

  • 男女とも制服着用。
  • 男子生徒は黒色・金ボタンの学生服(学ラン)、女子生徒はチャコールグレーのブレザースカート(全日制・1967年制定。定時制は紺色)。略装(夏服)は男子がワイシャツスラックス、女子がブラウスとチャコールグレーのスカートである。
  • 校舎内は土足で出入りできるが、床の傷つきを抑えるため下駄の着用は禁止。

著名な出身者[編集]

 学術 [編集]

 (日本学士院賞) [編集]

 (物理学・工学) [編集]

 (情報学) [編集]

 (建築学) [編集]

 (化学・薬学) [編集]

 (医学) [編集]

 (歯学) [編集]

 (獣医学・動物学・農学) [編集]

 (地学・地理学) [編集]

 (気象学) [編集]

 (法学) [編集]

 (政治学) [編集]

 (経済学) [編集]

 (会計学・経営学) [編集]

 (教育学・国語学) [編集]

 (文学) [編集]

 (歴史学) [編集]

 (哲学・宗教学) [編集]

 (キリスト教学・西洋古典学) [編集]

 (仏教学・チベット学) [編集]

 (心理学・認知科学) [編集]

 (民俗学・社会学) [編集]

 (博物館・資料館教授) [編集]

 法曹 [編集]

 エンジニア [編集]

 建築家 [編集]

 軍人 [編集]

 (特攻戦歿者) [編集]

 (陸軍) [編集]

 (海軍) [編集]

 社会事業 [編集]

 実業家 [編集]

 行政 [編集]

 外交 [編集]

 政治 [編集]

 (静岡) [編集]

 作家・評論家 [編集]

 宗教家 [編集]

 芸術家 [編集]

 音楽家 [編集]

 映画監督・プロデューサー [編集]

 出版 [編集]

 ジャーナリスト [編集]

 活動家 [編集]

 メディア [編集]

 (プロデューサー) [編集]

 (アナウンサー) [編集]

 俳優・声優・芸人 [編集]

 その他 文化 [編集]

 スポーツ [編集]

 (野球) [編集]

 (サッカー) [編集]

 (バスケットボール) [編集]

 (競泳) [編集]

 (ヨット) [編集]

  • 村田和雄(70歳処女航海で太平洋単独横断、実業家)

 (ハンドボール) [編集]

 (ボディビル) [編集]

学校長・教職員・関係者[編集]

 学校長 [編集]

 教員 [編集]

 校医 [編集]

 関係者 [編集]

アクセス[編集]

出版[編集]

  • 『写真集「高きを仰ぐ 静中静高125年の歩み」』
  • 『静中静高史』 2003.11
  • 『卬高七七 : 静岡県立静岡高等学校七七期卒業生還暦記念誌』 静岡高校七七期卒業生 2003.7 
  • 『回想 静岡中學校 戦中戦後の激動期を生きて』
  • 『静中静高創立25年、50年、75年記念誌 復刻版』
  • 『静中静高百年史 上』 静岡県立静岡高等学校同窓会 1978.10 
  • 『静中静高百年史 下』 静岡県立静岡高等学校同窓会 1978.10

静高を題材にした作品[編集]

漫画[編集]

  • 東大リベンジャーズ[16](作者:船津紳平)…週刊少年マガジン連載『東京卍リベンジャーズ』のパロディギャグ漫画。静高から東大に現役合格したが卒業後フリーター生活を送る主人公 井丁道武が、タイムリープして大学生活をやり直し、意中の早瀬ユウキ(静高卒、東大同級生)と結ばれるために奮闘する。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』には記載がない。
  2. ^ 『日本陸海軍総合事典 第2版』16頁では、静岡中学出身。『静中・静高同窓会会員名簿』には「池谷半二郎」の名では記載がない。
  3. ^ キム・ヒョジュンは芸名。静岡県出身の日本人。
  4. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版34頁 旧職員氏名欄には「バーソン ロバート・M」とあるが、誤記されたものと考えられる。
  5. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』には記載がない。

出典及び注記[編集]

  1. ^ 小川龍彦『写真集明治大正昭和静岡』国書刊行会〈ふるさとの想い出 13〉、1978年。doi:10.11501/9537793全国書誌番号:79006886https://dl.ndl.go.jp/pid/9537793/1/1 
  2. ^ 卬高碑の由来
  3. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、92頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  4. ^ 1936年1939年,1943年1955年
  5. ^ 静高1回、静商2回(1967年,1976年,1977年
  6. ^ 2020年(令和2年)第62回。新型コロナウイルス蔓延防止措置のため
  7. ^ (付属資料3)学校裁量枠において重視する観点及び選抜方法の概要等(静岡県)
  8. ^ 【座談会】創設期の頃の思い出-床並繁先生を偲んで-
  9. ^ 慶應義塾 『慶應義塾百年史』 別巻(大学編)、1962年、445頁
  10. ^ 神戸寅次郎先生略歴」『法學研究 : 法律・政治・社会』第38巻第1号、慶應義塾大学法学研究会、1965年1月、261-262頁、CRID 1050001339063654144ISSN 0389-0538 
  11. ^ 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 河合文庫
  12. ^ 河合文庫 韓国典籍 『泰東古典研究』第10集、翰林大學校附設泰東古典研究所。1993年12月。
  13. ^ 関西学院事典 アームストロング, R. C.
  14. ^ 小川正孝─新元素「ニッポニウム」の発見者
  15. ^ 愛媛県総合科学博物館, 久松洋二『小川正孝 : アジア人初の新元素発見者』愛媛県総合科学博物館、2020年。 NCID BC04610930全国書誌番号:23457331https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I030684316-00 
  16. ^ 東大卒たちから絶賛の声続々…! 発売即大重版の『東リベ』公式パロディギャグ『東大リベンジャーズ』話題沸騰のワケ 週刊少年マガジン編集部 2022.03.08

関連項目[編集]

外部リンク[編集]