養福寺 (荒川区)

養福寺
所在地 東京都荒川区西日暮里3-3-8[1]
位置 北緯35度43分46.4秒 東経139度46分5.8秒 / 北緯35.729556度 東経139.768278度 / 35.729556; 139.768278 (養福寺 (荒川区))座標: 北緯35度43分46.4秒 東経139度46分5.8秒 / 北緯35.729556度 東経139.768278度 / 35.729556; 139.768278 (養福寺 (荒川区))
山号 補陀落山
院号 観音院[2]
宗旨 新義真言宗
宗派 真言宗豊山派[1]
本尊 如意輪観世音菩薩
創建年 元和6年(1620年[1]
開山 法印乗蓮
中興年 不詳
中興 木食義高[2][1]
札所等 荒川辺八十八ヶ所霊場7番札所、豊島八十八ヶ所霊場73番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場27番札所、東京三十三観音霊場28番札所
法人番号 5011505000355 ウィキデータを編集
養福寺 (荒川区)の位置(東京都区部内)
養福寺 (荒川区)
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養福寺(ようふくじ)は、東京都荒川区にある真言宗豊山派寺院

概要[編集]

1620年元和6年)、法印乗蓮によって開山された。その後木食義高によって中興したという[3]

江戸時代徳川将軍鷹狩のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、隣りの浄光寺は「御膳所」(休憩場所)に充てられた。その間、浄光寺の寺僧たちは同宗派寺院のよしみで当寺で控えていた[4]

この寺には宝永年間(1704年1711年)に建立された仁王門があり、中の仁王像運慶の作といわれている[4]

墓所[編集]

もとは「山崎三左衛門」という浪人で「自堕落先生」を称した。この養福寺で当時としては異例の生前葬を執り行った奇人でもある。墓石を建てたり墓碑銘を書いたのも自堕落先生本人である[4]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 荒川区公式サイト.
  2. ^ a b 新編武蔵風土記稿 新堀村.
  3. ^ 養福寺(ようふくじ)
  4. ^ a b c 高田隆成、荒川史談会 著『荒川区史跡散歩 (東京史跡ガイド18)』学生社、1992年、94-95p

参考文献[編集]

  • 高田隆成、荒川史談会 著『荒川区史跡散歩 (東京史跡ガイド18)』学生社、1992年
  • 「新堀村 養福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ18豊島郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/22 
  • 養福寺”. 荒川区公式サイト (2020年6月23日). 2020年10月26日閲覧。

関連項目[編集]