高橋昭雄 (野球)

高橋 昭雄
基本情報
出身地 埼玉県
生年月日 (1948-06-08) 1948年6月8日
没年月日 (2022-09-07) 2022年9月7日(74歳没)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
ポジション 捕手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ・監督歴
  • 東洋大学

高橋 昭雄(たかはし あきお、1948年6月8日[1] - 2022年9月7日)は、埼玉県出身のアマチュア野球選手、野球指導者である。ポジションは捕手。旧姓は佐藤[2]

来歴・人物[編集]

大宮工業高校では、捕手として1965年秋季関東大会県予選決勝に進むが、大宮高に敗退。卒業後は東洋大学に入学。東都大学野球リーグでは優勝に届かず、3位2回が最高成績であった。大学1年上に会田照夫細川昌俊がいた。

大学卒業後に社会人野球の日産自動車に入社するが、僅か1年で退団した[1]

1972年から23歳という若さで母校の東洋大学の監督に就任した[1]1970年代駒澤大中央大が強く、東都大学野球リーグ戦では例年2位に甘んじていた。

1976年の秋季リーグで、松沼雅之投手 - 達川光男捕手のバッテリーで初の1部優勝を遂げた[3]。東都大学リーグ通算最多の542勝、リーグ優勝18回(春秋連覇も含む)、全日本大学野球選手権大会優勝4回、明治神宮野球大会優勝2回の成績を残し、達川光男、松沼博久・松沼雅之兄弟、清水隆行今岡真訪大野奨太鈴木大地らのプロ野球選手を育成した[1]。指導者人生で教え子が総勢979人いる。 1986年日米大学野球選手権では監督も務め[4]、第2回世界大学野球選手権大会でも監督を務めた[5]

2017年限りで退任した[3]

著書に「TOYOの熱血 "生涯青春"を貫く名将の軌跡」がある。著書では異体字の「髙橋 昭雄」名義。

2022年9月7日敗血症により前橋市の病院で死去[6][7]。74歳没。

脚注[編集]

関連項目[編集]