魚津水族館

魚津水族館
魚津水族館
UOZU AQUARIUM
施設情報
正式名称 魚津総合公園 魚津水族博物館[1]
前身 富山産業博覧会魚津会場
専門分野 総合
事業主体 魚津市
管理運営 魚津市
最大水槽容量 240t(富山湾大水槽)
水槽総容量 450t
開館 1981年4月10日
所在地 937-0857
富山県魚津市三ケ1390
位置 北緯36度47分54.2秒 東経137度23分17.34秒 / 北緯36.798389度 東経137.3881500度 / 36.798389; 137.3881500座標: 北緯36度47分54.2秒 東経137度23分17.34秒 / 北緯36.798389度 東経137.3881500度 / 36.798389; 137.3881500
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魚津水族館(うおづすいぞくかん、: UOZU AQUARIUM)は、富山県魚津市三ケにある魚津市立の水族館である。魚津総合公園の中に位置している。日本動物園水族館協会日本博物館協会、富山県博物館協会会員。

概要[編集]

北アルプス渓流から日本海の深海まで」「日本海を科学する」「泳ぐ百科事典」をテーマに、地元の水生生物の飼育に重点を置いた特徴ある展示をしている。初代が1913年大正2年)に創立され、日本海側では初めて開館し[2]現存する日本の水族館としては最も歴史が長い[3]。外壁には数多くのやペンギンが描かれている(こちらは1996年の3代目水族館開園から15周年の節目に合わせた外壁塗り替えの際に描かれたものである)[4]

ホタルイカの生態研究では世界トップクラスで、ホタルイカのリアルなフィギュアを製作し土産物として限定販売をした。

歴史[編集]

20世紀戦前[編集]

初代の魚津水族館
  • 1913年
    • 9月1日 - 一府八県連合共進会の第2会場として下新川郡魚津町大町(現・魚津市新角川一丁目[5])に創設。総経費12,708円(うち建築費9,090円)掛けて[6]1,837坪の敷地に[7]本館44坪[6](別館と合わせて68坪[7])の洋館建築として建設された[6]。水槽9か所、魚介類など100種類を展示と、開業当時は日本海側最大で日本の水族館の5指に入るほど有名だった[8]
    • 9月21日 - 正式に開館。3日後の9月24日には夜間営業も開始[6]
  • 1914年5月 - 魚津町に払い下げられ、同年6月1日、町立水族館として開館式を挙行[9]
  • 1916年 - 。東京帝国大学の水産動物研究所を併置[10]。この頃、多くの国内外の学者が訪れた。
  • 1918年 - 民間による運営に移行[10]
  • 1936年5月10日 - 日満産業大博覧会開催を機に大幅な増改築を実施[11][12]。同時に運営が町営に戻る[10]
  • 1941年 - 電気料の国家管理強化に伴い、有料となる[12]
  • 1942年 - 灯火管制の影響で夜間開場を中止[10]
  • 1944年3月 - 太平洋戦争の影響で閉館。以降は漁業会の加工場として使用される[10]。なお、初代水族館の施設の一部は20世紀末頃まで残っていた[13]

20世紀戦後[編集]

  • 1953年6月25日 - 富山産業大博覧会を機に初代水族館隣接地に水族館の建設を決定。会場予定地を使用している水産加工業者や定置網組合からの反対の声もあったが、地元が一丸となって誘致活動を行っていたことから、建設が決定された。建設候補地は、前述の他は下中島地区、道下地区、経田地区も誘致に名乗りを上げていた[14]
  • 1953年9月 - 2代目の水族館が着工[15]
  • 1954年
    • 4月11日 - 富山産業博覧会の魚津会場として[16]、2代目の水族館(市立)が初代水族館跡の隣接地(現在の本町一丁目、個人宅跡[14][5]に開館。広さ3,300㎡、建坪660㎡木造モルタル2階建て(一部3階建て、1階が日本海の魚を展示する海水槽、2階が熱帯魚の水槽や標本室や会議室、3階が展示室と会議室)[11][14]で、展示生物は150種400体、標本1500種、海獣剥製、海藻類標本などで、当時は日本海側最大の水族館であった。なお、飼育海水の水温調節の設備が無かったため、12月から3月は冬季休館となっていた[11]。博覧会開催中は市道の向かい側の海浜地に蜃気楼館、ホタルイカ館、遊園地、動物園も設置されていて、水族館とは道路を跨ぐ大桟橋で結ばれていた[14]
    • 11月 - 魚津市役所商工水産課が水族館内に移転した[17]
  • 1955年4月 - ホタルイカとマツサカウオを展示する施設として、龍宮城を模したホタルイカ館を建設、5月9日完成[17]
  • 1961年10月14日 - 皇太子(現・明仁上皇)夫妻が来館[15]
  • 1965年 - 地元の漁業協同組合からの援助も得て、当時の日本の水族館では珍しい『水産種苗飼育試験室』を設置(1980年まで)[15]
  • 1973年 - 水族館審議委員会により、3代目水族館に関する協議が1976年までに行われる[18]。なお、この年の8月19日には、同日の閉館後に魚類標本展示室(旧・ほたるいか館)が老朽化のため崩落している[19]
  • 1975年 - 1977年度 - 1978年度から2か年計画で新水族館を建設する基本構想が纏められる。しかし、後に用地交渉が紛糾し、建物本体の建設予定地の変更もあったため、事業が少し遅れることになった[19]
  • 1977年 - 魚津市議会に水族館建設特別委員会を設置。1981年4月まで度々開かれ、基本構想、基本計画、実施計画などの協議が1981年4月まで行われる[18]
  • 1979年
    • 4月 - 水族館建設事務所を設置[18]
    • 9月14日 - 社会教育施設補助金(国庫補助金1億3千万円、富山県補助金1億円)を得て、3代目水族館着工[18][20]
  • 1980年
    • 8月 - 3代目水族館完成[18]
    • 10月31日 - 2代目水族館閉館。10月25日から同31日まで無料開放された[21](跡地は1982年1月12日に大町公民館〔2021年度から大町コミュニティセンター[22]〕が竣工[23]、同年4月24日にこばと児童センター[24]がオープンした[25])。
    • 11月7日 - 展示生物を3代目水族館に移転する作業を開始[21]
  • 1981年
    • 4月9日 - 3代目水族館落成式[26]
    • 4月10日 - 3代目の水族館が現在地の三ケ(魚津総合公園敷地内)に開館。世界で初めてのアクリルでできたトンネルのある水槽や[27]、当時としては珍しかった波の出る水槽を取り入れた[28]。施設も冷暖房完備となり、飼育設備も集中管理方式となった。約66㎡のレストハウスや約200㎡の休憩所も完備された[18]。この他、入り口には龍宮城をイメージした門があった[5]。同時に民生経済部から教育委員会の所管となった[19]
  • 1983年7月1日 - 国鉄周遊指定地となる[29]
  • 1991年4月13日 - ペンギン島が完成[30]
  • 1996年 - 3代目開館15周年に合わせて、外壁塗装を塗り替える[4]
  • 2000年3月11日 - 開館20周年を記念して、波の水槽をリニューアル。背景は北アルプスの山並みと、魚津沖合から見た水族館やミラージュランドの観覧車、街並みなどが描かれたものとなる[31]

21世紀[編集]

  • 2008年11月4日 - トンネル水槽とショー用の実験水槽を改修(2009年3月中旬まで)[32]
  • 2013年
    • 1月7日 - リニューアル工事に伴い一時休館[33]
    • 3月16日 - 開館100周年に合わせリニューアル開館[34]。ジャングル水槽が廃止され、跡地に田んぼの生物多様性コーナーを設置した[35]。また、電気ウナギの水槽を廃止し、新たに富山湾大水槽の裏側を見学出来る『バックヤードコーナー』を設けた[36]
  • 2021年1月28日 - 3代目水族館開館以来40年間稼働し続けた波の出る水槽の造波装置が、故障により稼働停止[28]
  • 2022年3月5日 - 富山湾大水槽の上部にネット遊具を、キッズコーナーに水流水槽やバーズアイ水槽などをそれぞれ設置[37]

備考[編集]

マツカサウオが発光することは、1914年に停電となった時、偶然見つけられた[38]。また、これは世界で初めて魚津水族館で発見された[2]

魚津市は富山産業大博覧会の準備段階で既に数年先には水族館を市の観光の目玉として恒久的な建物に建て替える構想もあったが、魚津大火とその後の復興のため財政危機に陥ったため、2代目の建物を修繕しながら開館を続けていた[39]。しかしその間にも高度経済成長によるマイカー普及により、自家用車での来館を想定していなかった2代目水族館では正面前のスペースに自家用車約10台分しか駐車出来ないといった問題が生じる様になっていた[40]

建築概要[編集]

  • 竣工 - 1981年4月9日
  • 規模 - 鉄筋造地上3階建て塔屋2階建て、4,034㎡[11][18]
  • 所在地 - 〒937-0857 富山県魚津市三ケ1390
  • 第12回(昭和56年度)富山県建築賞一般の部入賞[41]

主な施設[編集]

  • 富山の河川コーナー
  • 田んぼの生物多様性コーナー[42]
  • 波の水槽
  • 海洋の生物コーナー
  • 深海生物コーナー
  • 表層生物コーナー
  • 富山湾大水槽(海洋水槽)〔水中トンネル〕[43]
  • 富山のトピックスコーナー
  • ドチザメ水槽
  • アマモ場コーナー
  • ジャングルコーナー
  • サンゴ礁コーナー
  • バックヤードコーナー
  • キッズコーナー
  • 実験水槽
  • ピラルク水槽
  • 写真水槽
  • ウミガメ水槽
  • ガラエステコーナー
  • ふれあい水槽
  • アザラシプール
  • 富山湾海底模型
  • 特別展示室
  • ホタルイカ解説コーナー(水槽展示は3月中旬 - 5月末まで)
  • レクチャーホール
  • ペンギンプール(外)
  • 屋外円形水槽(外)
  • レストハウス
    • レストラン「スワン」 - レストハウスの2階にある。
    • 軽食「浜屋」 - レストハウスの1階にある。
    • 売店「あかね屋」「真珠コーナー」 - 同上。

世界初のアクリル製水中トンネル[編集]

1981年昭和56年)4月10日 、現(三代目)水族館の水量約240トンの富山湾大水槽に設置されたアクリル製水中トンネルは日本初のもので[2]、水圧に耐えるため鉄骨の支えがある。また、窒息防止のための換気用ダクトが備え付けられている[44]。しかし実際は鉄骨も、換気用ダクトも無くても大丈夫なように設計施工されている[45]。作られた当時はまだ珍しく、なかなか許可が下りなかったというエピソードが存在する[46]

100周年を迎えた2013年(平成25年)4月25日にはトンネルの両入り口に世界初のアクリル製トンネルであり、世界中の水族館のアクリル製トンネルのルーツであることなどを表記した縦17cm、横22.5cmのプレートを設置した[27][47]

主な来館者[編集]

出典→[15]

マーク[編集]

マークは一般公募された217点の中から選ばれたもので、4匹の魚を使用しており、1匹は魚津の「う」を、3匹で水族館の「水」を表現している[48]

このマークは、北陸自動車道の魚津市のカントリーサインにも使われている。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 魚津市都市公園条例
  2. ^ a b c “人気は深海魚コーナーの水族館!しかし、31年ぶりに富山湾で捕獲された「アカナマダ」からはプラスチックゴミが…【富山発】”. FNNプライムオンライン. (2019年8月19日). https://www.fnn.jp/articles/-/15157 
  3. ^ マリンピア松島水族館の概略史 (PDF) (2007年12月12日時点のアーカイブ
  4. ^ a b 『北日本新聞』1996年12月15日付朝刊24面『壁面"泳ぐ"魚たち 魚津水族館 イラストお目見え』より。
  5. ^ a b c 『北日本新聞』2021年1月10日付12面『懐かしの写真公募 3代目魚津水族館40年』より。
  6. ^ a b c d 『図説 魚津の歴史』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)217ページ
  7. ^ a b 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月20日、魚津市役所発行)593頁。
  8. ^ 魚津水族館年報 第1報1990(1991年3月1日、魚津水族館発行)、2ページ。
  9. ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)161頁。
  10. ^ a b c d e 『図説 魚津の歴史』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)218ページ
  11. ^ a b c d 富山大百科事典 上巻(北日本新聞社発行)176ページ
  12. ^ a b 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)596ページ
  13. ^ 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)484ページより。
  14. ^ a b c d 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)493 - 494ページより。
  15. ^ a b c d 魚津水族館年報 第1報1990(1991年3月1日、魚津水族館発行)、3ページ。
  16. ^ 北日本新聞』1954年4月11日付朝刊1面『富山博ひらく きょう華やかに』より。
  17. ^ a b 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)500ページより。
  18. ^ a b c d e f g 魚津水族館年報 第1報1990(1991年3月1日、魚津水族館発行)、4ページ。
  19. ^ a b c d 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)502ページより。
  20. ^ 『広報うおづ』79年10月号(通巻407号、魚津市役所発行)4頁『新水族館の新築起工 "五十六年四月オープン"』より。
  21. ^ a b 『北日本新聞』1980年10月31日付朝刊16面より。
  22. ^ 『広報うおづ』2024年1月号(No.939)、4頁『【POINT2】コミュニティセンター施設一覧(令和6年4月1日~)』より。
  23. ^ 『北日本新聞』1982年1月13日付朝刊15面『待望の大町公民館完成 魚津』より。
  24. ^ 『北日本新聞』1982年4月25日付朝刊5面『こばと児童センター オープン 魚津』より。
  25. ^ 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)454ページ。
  26. ^ 魚津水族館年報 第1報1990(1991年3月1日、魚津水族館発行)、7ページ。
  27. ^ a b “世界初知ってた? 魚津水族館アクリル製水中トンネル GW前に解説板設置”. 北日本新聞 (北日本新聞社): 30面. (2013年4月26日) 
  28. ^ a b 北日本新聞』2021年2月5日付28面『40年続いた波止まる 魚津水族館 水槽の造波装置 修理困難』より。
  29. ^ 『金太郎温泉30年のあゆみ』(1995年8月24日発行)94ページ。
  30. ^ 『広報うおづ』平成4年1月号(No.554)、13頁『1991年の主なできごと【1月~7月】』より。
  31. ^ 『北日本新聞』2000年3月11日付夕刊3面『波ゆらゆら 春の海 水槽をリニューアル 魚津水族館 オープンにぎわう』より。
  32. ^ 『北日本新聞』2008年10月30日付朝刊29面『海洋水槽 化粧直し 魚津水族館』より。
  33. ^ 『北日本新聞』2013年1月6日付朝刊22面『魚津水族館 古代魚見納め 臨時休館最後の週末』より。
  34. ^ 『北日本新聞』2013年3月14日付朝刊1面『魚津水族館 100周年 内見会 水槽一新 魅力いっぱい』より。
  35. ^ 『北日本新聞』2021年2月7日付12面『魚津水族館 3代目40年物語<3> 光る河川 植物・昆虫も仲間入り』より。
  36. ^ 『北日本新聞』2021年2月10日付18面『魚津水族館 3代目40年物語<6> 大水槽(下) 裏側公開 より身近に』より。
  37. ^ 『北日本新聞』2022年3月4日付18面『泳ぐ魚 水面間近で観察 魚津水族館 富山湾大水槽にネット遊具 あすから キッズコーナーも改修』より。
  38. ^ マツサカウオ
  39. ^ 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)501ページ。
  40. ^ 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)501 - 502ージより。
  41. ^ 昭和56年度 第12回富山県建築賞受賞作品名簿(富山県建築士会、2012年8月18日投稿、2023年8月8日閲覧)
  42. ^ 『全館訪問取材 中村元の全国水族館ガイド125』(2019年6月4日、中村元著、講談社発行)103ページ。
  43. ^ “大水槽にブリ65匹 魚津水族館”. webun(北日本新聞) (北日本新聞社). (2013年2月26日). オリジナルの2013年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130302034749/http://webun.jp/news/A210/knpnews/20130226/75842 2013年3月2日閲覧。 
  44. ^ 『全館訪問取材 中村元の全国水族館ガイド125』(2019年6月4日、中村元著、講談社発行)102ページ。
  45. ^ 『魚津水族館 3代目40年物語<5> 大水槽(上)夢支えた苦節の日々』北日本新聞 2021年2月9日16面
  46. ^ 『丸ごと全国水族館ガイド』(2008年7月10日、枻出版社発行)52ページ。
  47. ^ “【富山】魚津水族館・アクリル製トンネル 歴史紹介の解説板設置”. 中日新聞 CHUNICHI Web (中日新聞社). (2013年4月26日). オリジナルの2013年5月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130510173156/http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20130426/CK2013042602000034.html 2013年4月26日閲覧。 
  48. ^ 『広報うおづ』80年5月号(通巻414号、魚津市役所発行)3頁『新魚津水族館「シンボルマーク」決定』より。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]