1798年の相撲

1798年の相撲(1798ねんのすもう)は、1798年の相撲関係のできごとについて述べる。

できごと[編集]

前年末限りで小野川喜三郎が引退、横綱不在となる。以降の土俵は雷電為右衛門の天下となるが、対抗馬となる力士が現れず、寛政前期の江戸の相撲人気は徐々に衰えてゆく[1]

興行[編集]

  • 3月場所(江戸相撲)[2]
    • 興行場所:芝神明社内
    • 4月21日(旧3月6日)より晴天10日間興行
  • 7月場所(大坂相撲)[3]
    • 興行場所:難波新地
    • 8月28日(旧7月17日)より晴天10日間興行
  • 10月場所(江戸相撲)[4]
    • 興行場所:本所回向院
    • 12月1日(旧10月24日)より晴天10日間興行

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 酒井, p. 196-197.
  2. ^ 酒井, pp. 195–196.
  3. ^ 酒井, p. 196.
  4. ^ 酒井, p. 198.

参考文献[編集]

  • 酒井忠正『日本相撲史 上巻』ベースボール・マガジン社、1956年6月1日。