1901年セオドア・ルーズベルト大統領就任式

セオドア・ルーズベルトの1回目の大統領就任式
就任宣誓をするルーズベルト
日付1901年9月14日 (122年前) (1901-09-14)
場所ニューヨーク州バッファロー アンスリー・ウィルコックス邸英語版
関係者セオドア・ルーズベルト
第26代アメリカ合衆国大統領
— 就任者

ジョン・R・ヘイゼル英語版
ニューヨーク州西部地区連邦地方裁判所英語版判事
— 宣誓挙行者

第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの1回目の就任式は、前任のウィリアム・マッキンリーの翌日の1901年9月14日土曜にニューヨーク州バッファローの641デラウェア・アベニューにあるアンスリー・ウィルコックス邸英語版で行われた。これは史上5度目かつ20世紀最初の臨時の就任式であり、ルーズベルトの最初の大統領任期(3年171日)の始まりであった。大統領就任宣誓ニューヨーク州西部地区連邦地方裁判所英語版判事のジョン・R・ヘイゼル英語版により執り行われた[1]

背景[編集]

1901年9月6日、ルーズベルト副大統領はシャンプレーン湖で開かれたバーモント州魚類狩猟連盟の昼食会に出席していたところ、マッキンリーが銃撃されたという知らせを聞いた。ルーズベルトはバッファローにかけつけたが、マッキンリーの回復を確認すると、彼は予定していたアディンロンダックマーシー山英語版へのキャンプとハイキング旅行へ家族と共に出かけた。銃撃事件から1週間後、ルーズベルトは山頂でマッキンリーが死の淵にあることを伝令から聞かされた。ルーズベルトは妻のイーディス英語版と対応策を考え、バッファローでマッキンリーの死を待つことは望まなかった。ルーズベルトは何台もの駅馬車英語版を乗り継いでノースクリーク駅英語版に急いだ。駅でルーズベルトはマッキンリーがその日(9月14日)の午前2時15分に亡くなったという電報を手渡された。ルーズベルトはノースクリーク英語版からバッファローまで列車で移動した。バッファローに到着したルーズベルトは1880年代初頭にニューヨーク州知事グロバー・クリーブランドと共に公務員改革に密接に協力して以来の友人で著名な弁護士であるアンスリー・ウィルコックス英語版の家に招かれた。

式典[編集]

ルーズベルトの宣誓が行われたウィルコックス邸の部屋の内部。

9月14日午後3時、マッキンリー政権英語版の閣僚であるエリフ・ルート陸軍長官、ジョン・D・ロング海軍長官フィランダー・C・ノックス英語版司法長官イーサン・A・ヒッチコック英語版内務長官チャールズ・エモリー・スミス英語版郵政長官ジェイムズ・ウィルソン農務長官がウィルコックス邸(現在はセオドア・ルーズベルト国立史跡英語版として知られる)に到着した。さらに彼らにヘイゼル判事、ニューヨーク州控訴裁判所英語版アルバート・ハイト英語版判事、チョーンシー・デピュー英語版上院議員らが同行した。ルーズベルトは図書館で非公式に彼らと会談し、さらに新聞記者も入れたが、写真撮影は禁じられた。そしてルーズベルトは宣誓の準備はできているかという質問に対し、「私は宣誓する。そしてこの深く恐ろしい国家的な傷心の時に、愛する国の平和と名誉のためにマッキンリー大統領の政策を絶対に変えることなく継続することが私の目的であると述べたいと思っている」と答えた。彼の返答の後にヘイゼル判事は宣誓を執り行った[2]

反応[編集]

上院議員のマーク・ハンナは「あの忌まわしいカウボーイが大統領になってしまった」と述べて旧来の共和党員の多くが抱いていた不安を表現した[3]

参考文献[編集]

  1. ^ The swearing in of Theodore Roosevelt, September 14, 1901”. United States Senate. 2020年4月9日閲覧。
  2. ^ Wilcox, Ansley (1902年). “Theodore Roosevelt, President”. National Park Service, United States Department of the Interior. 2017年1月23日閲覧。
  3. ^ Theodore Roosevelt”. 2021年7月22日閲覧。

関連項目[編集]