1920年アメリカ合衆国大統領選挙

1920年アメリカ合衆国大統領選挙
United States presidential election, 1920
アメリカ合衆国
1916年 ←
1920年11月2日
→ 1924年

投票率 49.2%[1] 減少 12.4%
 
候補者 ウォレン・ハーディング ジェイムズ・コックス
政党 共和党 民主党
出身地域 オハイオ州 オハイオ州
副大統領候補者
カルビン・クーリッジ

フランクリン・ルーズベルト
獲得選挙人 404 127
勝利地域数 37 11
得票数 16,144,093 9,139,661
得票率 60.3% 34.1%

州別獲得選挙人分布図
  ハーディング   コックス

選挙前大統領

ウッドロウ・ウィルソン
民主党

選出大統領

ウォレン・ハーディング
共和党

1920年アメリカ合衆国大統領選挙(1920ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1920)は、1920年11月2日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第34回)。第一次世界大戦の後始末と民主党現職大統領ウッドロウ・ウィルソンに対する敵対的反応が中心となった。

戦時の好景気は崩壊していた。政治家達は休戦条約と国際連盟にアメリカが加入すべきかについて議論していた。海外では戦争や革命が起こっていた。国内では1919年に食肉加工業や鉄鋼業で大きなストライキが起こり、シカゴなどの都市で大規模な人種暴動が起こっていた。テロリストによるウォール街の攻撃で過激派やテロに対する恐怖が生まれた。

現職大統領のウィルソンは次第に不人気となり、病身でもあったのでもはや彼のために弁護することはできなかった。経済は不況に入り、大衆は戦争と改革に疲れ、アイルランド系カトリック教徒とドイツ人の社会はウィルソンの政策に憤慨し、ウィルソンが国際連盟成立を推進したことも孤立主義の反応を生んだ。

元大統領のセオドア・ルーズベルト共和党の有力な大統領候補だったが、1918年に健康が悪化し、1919年1月に死んだ。その改革路線の明白な後継者はいなかった。

二大政党は共に選挙人の数が多いオハイオ州からダークホースの候補者を選んだ。民主党は新聞発行者で知事のジェイムズ・コックスを、共和党の上院議員ウォレン・ハーディングの対抗馬として指名した。ハーディングはいつもに戻ろう("A return to normalcy")をスローガンに、実質的にウィルソンに対する攻撃で選挙戦を行い、4対1に近い地滑り的大差でコックスを破った。これは一般投票の得票率でも60.3%対34.1%と26.2ポイント差となり、1820年以降現在までの記録となる大差になっている。

候補者の指名[編集]

共和党の指名[編集]

共和党の指名候補者

1920年の共和党全国大会6月8日からシカゴで開催された。指名競争は予測のつかないものであり、まもなくレナード・ウッド将軍とイリノイ州知事フランク・O・ローデンの間で行き詰まりとなった。

他にも候補に挙がっていたのはオハイオ州のウォレン・ハーディング、カリフォルニア州のハイラム・ジョンソン、ワシントン州のマイルス・ポインデクスター、およびマサチューセッツ州知事のカルビン・クーリッジ、カリフォルニア州のハーバート・フーヴァー、コロンビア大学学長のニコラス・バトラー等であった。ウィスコンシン州のロバート・M・ラフォレット・シニアは正式な候補者リストに入っていなかったが、それでも同州の代議員が投票した。10回目の投票の調整後で、ハーディングが大統領候補に指名された。10回の投票の内訳は下表の通りである。

大統領候補指名投票(1920年共和党)
投票回 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 調整前 10 調整後
ウォレン・ハーディング 65.5 59 58.5 61.5 78 89 105 133 374.5 644.7 692.2
レナード・ウッド 287.5 289.5 303 314.5 299 311.5 312 299 249 181.5 156
フランク・O・ローデン 211.5 259.5 282.5 289 303 311.5 311.5 307 121.5 28 11
ハイラム・ジョンソン 133.5 146 148 140.5 133.5 110 99.5 87 82 80.8 80.8
ウィリアム・C・スプロール 84 78.5 79.5 79.5 82.5 77 76 76 78 0 0
ニコラス・バトラー 69.5 41 25 20 4 4 2 2 2 2 2
カルビン・クーリッジ 34 32 27 25 29 28 28 30 28 5 5
ロバート・M・ラフォレット・シニア 24 24 24 22 24 24 24 24 24 24 24
ジーター・C・プリチャード 21 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0
マイルス・ポインデクスター 20 15 15 15 15 15 15 15 14 2 0
ハワード・サザランド 17 15 9 3 1 0 0 0 0 0 0
ハーバート・フーヴァー 5.5 5.5 5.5 5 6 5 4 5 6 10.5 9.5
その他 11 9 7 9 9 9 6 6 5 5.5 3.5

ハーディングの指名は、ハーディングの政治秘書ハリー・M・ドーアティによって細工された「紫煙に満ちた部屋」での党ボス達との交渉で確保されたと言われた。ドーアティはハーディング当選した後に司法長官になった。ドーアティは集会の前に、「私はハーディング上院議員が1回目、2回目あるいは3回目の投票で選ばれるとは思わないが、集会の金曜日の朝2時11分ころに15人から20人の疲れきった男達がテーブルの周りに座っているとして、誰かが『誰を指名するだろう?』と言うだろう。その決定的な瞬間にハーディングの友人がハーディングを示唆すれば、結果がうまくついて来るものだ」と言ったと言われている。ドーアティの予言は実際に起こったことを言い当てているが、歴史家のリチャード・C・ベインとジュディス・H・パリスは、ドーアティの予言が集会での体験談に多くを基づいていると指摘した。

大統領候補の指名が決着すると、党のボス達とハーディング上院議員は、代議員達に向かってウィスコンシン州の上院議員アービン・レンルートを副大統領候補に推薦したが、代議員達が反抗し、その年前半にボストン警官ストライキを処理して人気の高かったクーリッジを指名した。副大統領候補の指名投票結果は下表の通りである。

副大統領候補指名投票(1920年共和党)
カルビン・クーリッジ 674.5
アービン・レンルート 146.5
ヘンリー・J・アレン 68.5
ヘンリー・アンダーソン 28
エイスル・J・グロンナ 24
ハイラム・ジョンソン 22.5
ジーター・C・プリチャード 11
棄権 9

[2]

民主党の指名[編集]

民主党の指名候補者

ウィリアム・マカドゥー(ウィルソンの義理の息子で元財務長官)が最も有力な指名候補だったが、ウィルソンは、行き詰まった集会がウィルソンに3期目を要求することになると期待して、マカドゥーの指名を阻止した(ウィルソンは身体的に動けない状態であり隔離されていた)。サンフランシスコで開催された民主党全国大会では、オハイオ州の新聞発行者で知事のジェイムズ・コックスを大統領候補に指名し、38歳の海軍次官補であり、大統領セオドア・ルーズベルトとは5代離れた従弟であるフランクリン・ルーズベルトを副大統領候補に指名した。

集会初期の有力候補はマカドゥーと司法長官アレクサンダー・M・パーマーだった。他にもニューヨーク州知事のアル・スミスやニュージャージー州知事のエドワード・I・エドワーズ、元訴訟長官のジョン・W・デイビスの名前が浮かんだ。

一般選挙[編集]

「いつもに戻ろう」[編集]

ウォレン・ハーディングの主たる選挙スローガンはいつもに戻ろう("A return to normalcy")であり、進歩主義時代の社会的混乱の後で疲れきっていたアメリカ大衆に訴えるものがあった。さらに第一次世界大戦とヴェルサイユ条約は全く不人気であり、特にヴェルサイユ条約の調印を熱心に推進したウィルソンに対する反抗を生じさせた。

民族問題[編集]

民主党の選挙ポスター

アイルランド系アメリカ人は民主党内に力を持っており、その敵であるイギリスと共に戦争に突入することに反対し、特に1916年イースター蜂起の激しい抑圧のあとはひどかった。1917年、ウィルソンはイギリスにアイルランドの独立を認めるよう要求すると約束してこの問題を処理した。しかし、ヴェルサイユでは約束を破棄し、アイルランド系アメリカ人社会は猛烈にウィルソンを非難した。ウィルソンは逆に、国際連盟を大衆が支持しないことについてアイルランド系アメリカ人とドイツ系アメリカ人を非難し、「国際連盟に反対する組織的な宣伝活動があり、およびその組織的な宣伝活動と全く同じ情報源から交渉中の条約に対する反対がある。そこからこの国のここかしこに国に対する不忠の怖れを与えている。私は言いたい、私は度々言うことができないから、身の回りにハイフンを持つ者(外国系アメリカ人)は誰でも用意があるときはいつもこの共和国の生命に突き刺すことのできる短剣を持っているということを。」と言った[3]

これに反応したアイルランド系アメリカ人の都市組織は選挙の間もやる気が出ず、共和党があらゆる主要大都市で前例のない地滑り的勝利を掴むことを許した。多くのドイツ系アメリカ人の民主党員は共和党に投票するか棄権し、中西部の田舎でも共和党に大勝利を得させた。

選挙運動[編集]

選挙運動中のルーズベルトとコックス
アル・ジョルソンによるハーディング陣営支持を訴えるキャンペーンソング

ウィルソンは国際連盟について「厳粛な国民投票」を期待していたが、それはならなかった。ハーディングは国際連盟については口を噤み、それによって協調するウィリアム・E・ボラー上院議員と同様に「相容れないもの」という姿勢を保った。コックスもこの問題は回避した。コックスはウィルソンの支援を求めてホワイトハウスに行き、明らかに国際連盟を支持したが、民主党員の中でもその不人気さを見出して、特に国際連盟の規定第10条、すなわちアメリカ合衆国が連盟の宣言する如何なる戦争にも参戦を求められるという条項に保留をつけて、連盟成立を望むと言った(すなわちコックスは共和党の上院指導者ヘンリー・カボット・ロッジと同じ立場を採った)。記者のブランド・ホィットロックが指摘するように、連盟は政府周辺の重要な問題だが、選挙民にとっては瑣末なことだった。さらに選挙運動はこの問題に関わっていないとし、「民衆は実際にハーディングやコックスがどのような考えを持っているかしらないし、ハーディングとコックスも同様である。偉大なのは民主主義だ」と述べた[4]。ハーディングには「黒人の血が混じっている」という醜い(誤った)噂が流布したが、これはハーディングの選挙運動を大きく傷つけることはなかった。

コックスは集会、鉄道駅での演説会および正式な講演会など目まぐるしい選挙運動を展開し、おそらく200万人の聴衆の前に現れた。ハーディングは1896年ウィリアム・マッキンリーの例に倣い、「玄関前演説会」に頼った。オハイオ州マリオンの自宅には数千の有権者が訪れ、その前で演説を行った。共和党の選挙対策委員長ウィル・ヘイズはコックスが遣った金の4倍近くにあたる810万ドルを費やした。ヘイズは主要な方法として全国的な広告を使った(広告業者アルバート・ラスカーの助言に従った)。その主題はハーディング自身のスローガン「アメリカを第一に」(America First)だった。「クーリエズ・マガジン」1920年10月30日号の共和党広告は「揺れて揺らいで対処しよう」と要求した。この広告に表されたイメージは「アメリカ合衆国によるアメリカ合衆国の絶対的支配」、「独立は1776年と同様な独立を意味する」、「この国はアメリカ人のためにある。次の大統領は我々の祖国のためにある」および「我々は随分前に我々を支配する外国の政府に反抗すると決めた」というようなキャッチコピーを使い、民族主義的なものであった[5]

1920年11月2日の投票日に合わせ、ウェスティングハウス電気製造会社の副社長は、社内で無線の実験を行っていたフランク・コンラッドのチームに開票速報のラジオ放送を要請、放送用送信機の開発やスタジオ建設が行われた。当日は東ピッツバーグにある会社の工場に特設された放送局KDKAでは新聞社から届けられた数字を会社の広報部が読み上げ、次の情報が届く間にはレコードで音楽を鳴らし、真夜中過ぎまで放送を続けた。これは世界初の本格的な商業ラジオ放送であり、同時に初めての選挙開票速報である。

ハーディングの地滑り的勝利は深南部を除くあらゆる地域で現れた。1916年にウィルソンとその平和を支持したアイルランド系アメリカ人とドイツ系アメリカ人有権者はこのときウィルソンとヴェルサイユに反対する投票をおこなった。ドイツ語新聞は「ハーディングに投票することは、戦時中にドイツ系アメリカ人が味わった迫害に対抗して投票することだ」と伝えた。主要ドイツ語新聞の中でコックスを支持したものは無かった[6]。ヴェルサイユでアイルランドを助けることを拒んだウィルソンに激しく怒ったアイルランド系アメリカ人は棄権した。彼等がほとんどの大都市における民主党を支配していたので、このことが共和党に少数民族票を動員させ、ハーディングが大都市を席捲した。

この選挙は、1920年8月に成立したアメリカ合衆国憲法修正第19条に従って、全州で女性が投票を認められた最初の選挙だった(しかし、一般選挙のときだけだった)。

テネシー州がハーディングを選んだことは、レコンストラクションの終結以来、アメリカ連合国加盟の11州の中で共和党候補を選んだ初めての機会となった。

コックスが大敗したという事実にも拘らず、その副大統領候補だったフランクリン・ルーズベルトは、その活動的で精力的な選挙運動のために政治的な知名度が上がった。1928年、ルーズベルトはニューヨーク州知事となり、1932年には大統領に選ばれて、1945年のその死まで権力の座に留まり、最も長期間大統領を務めた者となった。

その他の候補者[編集]

ユージン・V・デブスの刑務所からの選挙運動を描く風刺漫画

アメリカ社会党の候補者ユージン・V・デブスは、戦時の徴兵拒否を提唱した廉で当時刑務所に入っていた事実にも拘らず、一般選挙で913,664票(3.4%)を獲得した。デブスは後にハーディング大統領から恩赦を受けた。これはアメリカ社会党の候補者が受けた最大得票だったが、得票率は最大ではなかった(修正第19条によって著しく有権者の数が増えた)。

農業労働者党のパーリー・P・クリステンセンは265,411票(1.0%)を獲得し、一方禁酒党候補者アーロン・S・ワトキンスは5位で189,339票(0.7%)となり、1884年以来の悪い結果になった。禁酒法を始める修正第18条が前年に成立したばかりであり、単一問題政党は時代遅れになりつつあった。

結果[編集]

大統領選の結果
大統領候補者
出身州 
党   得票数 得票率 選挙人得票数 副大統領候補者
出身州
選挙人得票数 
ウォレン・ハーディング
オハイオ州
共和党 16,144,093 60.3% 404 カルビン・クーリッジ
マサチューセッツ州
404
ジェイムズ・コックス
オハイオ州
民主党 9,139,661 34.1% 127 フランクリン・ルーズベルト
ニューヨーク州
127
ユージーン・デブス
インディアナ州
アメリカ社会党 913,693 3.4% 0 セイモア・ステッドマン
イリノイ州
0
パーリー・P・クリステンセン
イリノイ州
農業労働者党 265,411 1.0% 0 マクシミリアン・S・ヘイズ
オハイオ州
0
アーロン・S・ワトキンス
インディアナ州
禁酒党 188,787 0.7% 0 D・リー・コルビン
ニューヨーク州
0
ジェイムズ・F・ファーガソン
テキサス州
アメリカ党 47,968 0.2% 0 ウィリアム・J・ヒュー
ニューヨーク州
0
ウィリアム・W・コックス
ミズーリ州
社会主義労働者党 31,716 0.1% 0 オーガスト・ジルハウス
ニューヨーク州
0
ロバート・C・マコーリー
ペンシルベニア州
単一税党 5,750 0.0% 0 リチャード・C・バーナム
0
その他 - 27,746 0.1% 0 - 0
合計 26,765,180 100% 531 - 531
選出必要数 266 - 266

州ごとの結果[編集]

[7]

ハーディング/クーリッジが勝利した州
コックス/ルーズベルトが勝利した州
ウォレン・ハーディング
共和党
ジェイムズ・コックス
民主党
ユージン・デブス
アメリカ社会党
パーリー・クリステンセン
農業労働者党
アーロン・ワトキンス
禁酒党
ジェイムズ・ファーガソン
アメリカ党
ウィリアム・コックス
社会主義労働者党
票差 州計
選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % 選挙人数 # % #
アラバマ州 12 74,556 31.37 - 159,965 67.31 12 2,369 1.00 - - - - 748 0.31 - - - - - - - -85,409 -35.94 237,638 AL
アリゾナ州 3 37,016 55.61 3 29,546 44.39 - - - - - - - - - - - - - - - - 7,470 11.22 66,562 AZ
アーカンソー州 9 71,117 38.73 - 107,409 58.49 9 5,111 2.78 - - - - - - - - - - - - - -36,292 -19.76 183,637 AR
カリフォルニア州 13 624,992 66.20 13 229,191 24.28 - 64,076 6.79 - - - - 25,204 2.67 - - - - - - - 395,801 41.93 944,050 CA
コロラド州 6 173,248 59.32 6 104,936 35.93 - 8,046 2.75 - 3,016 1.03 - 2,807 0.96 - - - - - - - 68,312 23.39 292,053 CO
コネチカット州 7 229,238 62.72 7 120,721 33.03 - 10,350 2.83 - 1,947 0.53 - 1,771 0.48 - - - - 1,491 0.41 - 108,517 29.69 365,518 CT
デラウェア州 3 52,858 55.71 3 39,911 42.07 - 988 1.04 - 93 0.10 - 986 1.04 - - - - - - - 12,947 13.65 94,875 DE
フロリダ州 6 44,853 30.79 - 90,515 62.13 6 5,189 3.56 - - - - 5,124 3.52 - - - - - - - -45,662 -31.34 145,681 FL
ジョージア州 14 41,089 27.72 - 107,162 72.28 14 - - - - - - - - - - - - - - - -66,073 -44.57 148,251 GA
アイダホ州 4 88,975 65.60 4 46,579 34.34 - 38 0.03 - - - - 32 0.02 - - - - - - - 42,396 31.26 135,624 ID
イリノイ州 29 1,420,480 67.81 29 534,395 25.51 - 74,747 3.57 - 49,630 2.37 - 11,216 0.54 - - - - 3,471 0.17 - 886,085 42.30 2,094,714 IL
インディアナ州 15 696,370 55.14 15 511,364 40.49 - 24,703 1.96 - 16,499 1.31 - 13,462 1.07 - - - - - - - 185,006 14.65 1,262,964 IN
アイオワ州 13 634,674 70.91 13 227,921 25.46 - 16,981 1.90 - 10,321 1.15 - 4,197 0.47 - - - - 982 0.11 - 406,753 45.44 895,082 IA
カンザス州 10 369,268 64.75 10 185,464 32.52 - 15,511 2.72 - - - - - - - - - - - - - 183,804 32.23 570,318 KS
ケンタッキー州 13 452,480 49.25 - 456,497 49.69 13 6,409 0.70 - - - - 3,322 0.36 - - - - - - - -4,017 -0.44 918,708 KY
ルイジアナ州 10 38,538 30.49 - 87,519 69.24 10 - - - - - - - - - - - - - - - -48,981 -38.75 126,396 LA
メイン州 6 136,355 68.92 6 58,961 29.80 - 2,214 1.12 - - - - - - - - - - - - - 77,394 39.12 197,840 ME
メリーランド州 8 236,117 55.11 8 180,626 42.16 - 8,876 2.07 - 1,645 0.38 - - - - - - - 1,178 0.27 - 55,491 12.95 428,443 MD
マサチューセッツ州 18 681,153 68.55 18 276,691 27.84 - 32,267 3.25 - - - - - - - - - - 3,583 0.36 - 404,462 40.70 993,718 MA
ミシガン州 15 762,865 72.76 15 233,450 22.27 - 28,947 2.76 - 10,480 1.00 - 9,646 0.92 - - - - 2,539 0.24 - 529,415 50.50 1,048,411 MI
ミネソタ州 12 519,421 70.59 12 142,994 19.43 - 56,106 7.62 - - - - 11,489 1.56 - - - - 5,828 0.79 - 376,427 51.16 735,838 MN
ミシシッピ州 10 11,576 14.03 - 69,277 83.98 10 1,639 1.99 - - - - - - - - - - - - - -57,701 -69.95 82,492 MS
ミズーリ州 18 727,162 54.56 18 574,799 43.13 - 20,242 1.52 - 3,291 0.25 - 5,142 0.39 - - - - 2,164 0.16 - 152,363 11.43 1,332,800 MO
モンタナ州 4 109,430 61.13 4 57,372 32.05 - - - - 12,204 6.82 - - - - - - - - - - 52,058 29.08 179,006 MT
ネブラスカ州 8 247,498 64.66 8 119,608 31.25 - 9,600 2.51 - - - - 5,947 1.55 - - - - - - - 127,890 33.41 382,743 NE
ネバダ州 3 15,479 56.92 3 9,851 36.22 - 1,864 6.85 - - - - - - - - - - - - - 5,628 20.70 27,194 NV
ニューハンプシャー州 4 95,196 59.84 4 62,662 39.39 - 1,234 0.78 - - - - - - - - - - - - - 32,534 20.45 159,092 NH
ニュージャージー州 14 611,541 67.65 14 256,887 28.42 - 27,141 3.00 - 2,200 0.24 - 4,734 0.52 - - - - 923 0.10 - 354,654 39.23 903,943 NJ
ニューメキシコ州 3 57,634 54.68 3 46,668 44.27 - - - - 1,104 1.05 - - - - - - - - - - 10,966 10.40 105,406 NM
ニューヨーク州 45 1,871,167 64.56 45 781,238 26.95 - 203,201 7.01 - 18,413 0.64 - 19,653 0.68 - - - - 4,841 0.17 - 1,089,929 37.60 2,898,513 NY
ノースカロライナ州 12 232,848 43.22 - 305,447 56.70 12 446 0.08 - - - - - - - - - - - - - -72,599 -13.48 538,741 NC
ノースダコタ州 5 160,072 77.79 5 37,422 18.19 - 8,282 4.02 - - - - - - - - - - - - - 122,650 59.60 205,776 ND
オハイオ州 24 1,182,022 58.47 24 780,037 38.58 - 57,147 2.83 - - - - - - - - - - - - - 401,985 19.88 2,021,653 OH
オクラホマ州 10 243,831 50.11 10 217,053 44.61 - 25,726 5.29 - - - - - - - - - - - - - 26,778 5.50 486,610 OK
オレゴン州 5 143,592 60.20 5 80,019 33.55 - 9,801 4.11 - - - - 3,595 1.51 - - - - 1,515 0.64 - 63,573 26.65 238,522 OR
ペンシルベニア州 38 1,218,216 65.76 38 503,843 27.20 - 70,571 3.81 - 15,704 0.85 - 42,696 2.30 - - - - 753 0.04 - 714,373 38.56 1,852,616 PA
ロードアイランド州 5 107,463 63.97 5 55,062 32.78 - 4,351 2.59 - - - - 510 0.30 - - - - 495 0.29 - 52,401 31.19 167,981 RI
サウスカロライナ州 9 2,610 3.91 - 64,170 96.05 9 28 0.04 - - - - - - - - - - - - - -61,560 -92.14 66,808 SC
サウスダコタ州 5 110,692 60.74 5 35,938 19.72 - - - - 34,707 19.04 - 900 0.49 - - - - - - - 74,754 41.02 182,237 SD
テネシー州 12 219,829 51.29 12 206,558 48.19 - 2,239 0.52 - - - - - - - - - - - - - 13,271 3.10 428,626 TN
テキサス州 20 114,538 23.54 - 288,767 59.34 20 8,121 1.67 - - - - - - - 47,968 9.86 - - - - -174,229 -35.80 486,641 TX
ユタ州 4 81,555 55.93 4 56,639 38.84 - 3,159 2.17 - 4,475 3.07 - - - - - - - - - - 24,916 17.09 145,828 UT
バーモント州 4 68,212 75.82 4 20,919 23.25 - - - - - - - 774 0.86 - - - - - - - 47,293 52.57 89,961 VT
バージニア州 12 87,456 37.85 - 141,670 61.32 12 807 0.35 - 243 0.11 - 857 0.37 - - - - - - - -54,214 -23.47 231,033 VA
ワシントン州 7 223,137 55.96 7 84,298 21.14 - 8,913 2.24 - 77,246 19.37 - 3,800 0.95 - - - - 1,321 0.33 - 138,839 34.82 398,715 WA
ウェストバージニア州 8 282,007 55.30 8 220,789 43.30 - 5,618 1.10 - - - - 1,528 0.30 - - - - - - - 61,218 12.00 509,942 WV
ウィスコンシン州 13 498,576 71.10 13 113,422 16.17 - 80,635 11.50 - - - - 8,647 1.23 - - - - - - - 385,154 54.92 701,280 WI
ワイオミング州 3 35,091 64.15 3 17,429 31.86 - - - - 2,180 3.99 - - - - - - - - - - 17,662 32.29 54,700 WY
合計: 531 16,144,093 60.32 404 9,139,661 34.15 127 913,693 3.41 - 265,398 0.99 - 188,787 0.71 - 47,968 0.18 - 31,084 0.12 - 7,004,432 26.17 26,765,180 US

接戦だった州[編集]

青字は民主党、赤字は共和党が勝利したことを示す。数字は得票率の差。

得票率差1%未満 (選挙人数13):

  1. ケンタッキー州, 0.44%

得票率差5%未満 (選挙人数12):

  1. テネシー州, 3.10%

得票率差5%以上10%未満 (選挙人数):

  1. オクラホマ州, 5.50%

脚注[編集]

  1. ^ Voter Turnout in Presidential Elections
  2. ^ Source for convention coverage: Richard C. Bain and Judith H. Parris, Convention Decisions and Voting Records (Washington DC: Brookings Institution, 1973), pp. 200-208.
  3. ^ American Rhetoric, "Final Address in Support of the League of Nations", Woodrow Wilson, delivered 25 September 1919 in Pueblo, CO.
  4. ^ Sinclair, p. 168
  5. ^ Sinclair, p. 162
  6. ^ Sinclair, p. 163
  7. ^ 1920 Presidential General Election Data – National”. Uselectionatlas.org. 2013年3月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • Bagby, Wesley M. (1968). The Road to Normalcy: The Presidential Campaign and Election of 1920 
  • Boller, Paul F., Jr. (2004). Presidential Campaigns: From George Washington to George W. Bush. Oxford: Oxford University Press. pp. 212–217. ISBN 0-19-516716-3 
  • John Milton Cooper. Breaking the Heart of the World: Woodrow Wilson and the Fight for the League of Nations (2001)
  • John B. Duff, "German-Americans and the Peace, 1918-1920" American Jewish Historical Quarterly 1970 59(4): 424-459.
  • John B. Duff, "The Versailles Treaty and the Irish-Americans" Journal of American History 1968 55(3): 582-598. ISSN 0021-8723
  • Donald R. McCoy, "The Election of 1920," in History of American Presidential Elections, ed Arthur M. Schlesinger Jr. and Fred L. Israel, (1971),
  • John A Morello. Selling the President, 1920: Albert D. Lasker, Advertising, and the Election of Warren G. Harding (2001)
    • Sinclair, Andrew (1965). The Available Man: The Life behind the Masks of Warren Gamaliel Harding 
ウェブサイト

外部リンク[編集]