1951年の東急フライヤーズ

1951年の東急フライヤーズ
成績
パシフィック・リーグ6位
38勝56敗8分 勝率.404[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 大川博
経営母体 東京急行電鉄
監督 安藤忍
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1951年の東急フライヤーズでは、1951年の東急フライヤーズの動向をまとめる。

この年の東急フライヤーズは、安藤忍監督の2年目のシーズンである。

概要[編集]

前年加盟の近鉄の最下位に助けられ、安藤監督の1年目は7位で終了。成績上昇が期待されたものの、この年は鶴岡一人監督率いる南海の独走を許し、5月の3位を境にチームも勢いが低下。最後は大映阪急に抜かれて7球団中6位に沈んだ。投手陣は米川泰夫が奮闘したものの、それに続く投手が不在でチーム防御率3.64はリーグ最下位に終わった。打撃陣は大下弘が.383の高打率で首位打者を、26本塁打で本塁打王を獲得した。シーズン終了後、1946年の入団以来4番として活躍していた大下と球団の契約交渉が決裂。最後は契約交渉が決着したものの、大下は翌年、深見安博との交換トレードで西鉄へ移籍。西鉄移籍後も若い選手の多かったチームの精神的支柱として4度の優勝に貢献し、その後1968年に東映の監督として復帰することになる。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 浜田義雄
2 皆川定之
3 原田清
4 常見昇
5 斎藤宏
6 片岡照七
7 鈴木圭一郎
8 鍋島鉱次郎
9 米川泰夫
1951年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 --
2位 東急 1.5 西鉄 3.0 毎日 9.0 毎日 13.0 毎日 14.5 西鉄 18.5
3位 西鉄 3.5 東急 6.0 西鉄 9.5 西鉄 14.5 西鉄 18.5 毎日 22.5
4位 近鉄 4.0 毎日 7.0 阪急 15.0 東急 17.0 阪急 23.5 大映 29.5
5位 毎日 4.5 近鉄 8.5 東急 16.0 大映 18.0 東急 24.5 阪急 31.0
6位 阪急 4.5 大映 9.5 大映 17.0 阪急 18.5 大映 24.5 東急 33.0
7位 大映 6.5 阪急 11.5 近鉄 17.5 近鉄 24.0 近鉄 31.0 近鉄 33.5


1951年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 南海ホークス 72 24 8 .750 ---
2位 西鉄ライオンズ 53 42 10 .558 18.5
3位 毎日オリオンズ 54 51 5 .514 22.5
4位 大映スターズ 41 52 8 .441 29.5
5位 阪急ブレーブス 37 51 8 .420 31.0
6位 東急フライヤーズ 38 56 8 .404 33.0
7位 近鉄パールス 37 56 5 .398 33.5

[1]

オールスターゲーム1951[編集]

ファン投票 大下弘
監督推薦 米川泰夫 浜田義雄

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2][3]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
大下弘 首位打者 .383 2年連続3度目
本塁打王 26本 4年ぶり3度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
大下弘 外野手 3年連続4度目

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1951年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月5日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 123 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7