1952年の松竹ロビンス

1952年の松竹ロビンス
成績
セントラル・リーグ7位
34勝84敗2分 勝率.288[1]
本拠地
都市 京都府京都市
衣笠球場
球団組織
オーナー 田村駒治郎
経営母体 田村駒(スポンサー:松竹
監督 新田恭一
« 1951

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1952年の松竹ロビンスでは、1952年シーズンの松竹ロビンスの動向をまとめる。

この年の松竹ロビンスは、新田恭一監督の2年目のシーズンであり、このシーズン終了後、大洋ホエールズと合併したため、松竹ロビンスとしての最後のシーズンである。

概要[編集]

シーズン開幕前、リーグは代表者会議で勝率3割を切ったチームには処罰を与えることを決定した。これは、1950年オフに西日本西鉄と合併して以来、セントラル・リーグ所属チームが奇数となり、日程が組みにくかったことから、チームを減らすべきであるという論調が強く、弱いチームを排除することにより、チーム数を偶数に戻すことを念頭に置いた決定であったと考えられている[2]。シーズンが開幕すると、松竹は勝率3割前後の成績ではあったが、広島が5月終了時点で勝率3割を大きく割り込み、広島が処罰によって消滅することが有力視されていた。しかし、7月に松竹が大きく負け越し、シーズン終盤は広島と最下位争いをすることになった。9月に入って、勝率3割に復帰した広島に対し、松竹は勝率3割を維持することができず、勝率2割8分8厘の最下位でシーズンを終えることとなった。

シーズン終了後、松竹への処罰の履行が問題となり、様々なチームとの合併案が持ち上がったが、最終的に松竹は大洋との対等合併を合意し、翌年から「大洋松竹ロビンス」と名称変更することとなった。形式的には対等合併であるものの、1955年シーズンから松竹が球団経営から撤退し、「大洋ホエールズ」に名称を戻していることから、実質的には吸収合併であり、セントラル・リーグ初代優勝からわずか2年で球団が消滅することとなった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 金山次郎
2 綱島新八
3 小鶴誠
4 三村勲
5 吉田和生
6 小林章良
7 宮崎仁郎
8 目時春雄
9 荻原隆
1952年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 名古屋 2.5 大洋 3.0 大阪 5.5 大阪 3.0 大阪 6.0 大阪 5.5 大阪 3.5
3位 大洋 4.0 大阪 3.0 名古屋 5.5 名古屋 6.5 名古屋 7.0 名古屋 7.0 名古屋 7.0
4位 大阪 4.5 名古屋 5.0 大洋 12.5 大洋 12.5 大洋 18.5 大洋 21.5 大洋 25.0
5位 国鉄 8.0 松竹 18.0 国鉄 21.0 国鉄 25.0 国鉄 31.5 国鉄 31.5 国鉄 33.0
6位 松竹 9.0 国鉄 18.5 松竹 24.5 松竹 29.0 広島 37.5 広島 43.5 広島 44.5
7位 広島 10.5 広島 19.0 広島 25.5 広島 29.5 松竹 39.5 松竹 44.0 松竹 48.0


1952年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 83 37 0 .692 ---
2位 大阪タイガース 79 40 1 .664 3.5
3位 名古屋ドラゴンズ 75 43 2 .636 7.0
4位 大洋ホエールズ 58 62 0 .483 25.0
5位 国鉄スワローズ 50 70 0 .417 33.0
6位 広島カープ 37 80 3 .316 44.5
7位 松竹ロビンス 34 84 2 .288 48.0

[1]

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

オールスターゲーム1952[編集]

この年の松竹ロビンスから選出された選手はなかった。

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
金山次郎 盗塁王 63個 2年ぶり2度目
ベストナイン
選出なし

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1952年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年6月21日閲覧。
  2. ^ 鈴木龍二『プロ野球と共に五十年 : 私のプロ野球回顧録(下)』恒文社、1984年、P56-57頁。ISBN 4770405944