1959年の中日ドラゴンズ

1959年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
64勝61敗5分 勝率.512[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 小山龍三
経営母体 中日新聞社
監督 杉下茂(選手兼任)
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1960 »

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1959年の中日ドラゴンズでは、1959年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、杉下茂選手兼任監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

1958年限りで西沢道夫服部受弘といった往年の名選手が相次いで引退し、杉山悟河合保彦などの主力選手が移籍したチームは新たに江藤慎一河村保彦板東英二水谷寿伸など13名の選手を入団させ、また投手陣の大黒柱だった杉下茂は名目上の選手兼任監督に就任したが、1試合も投げなかった。杉下監督1年目のチームは吉沢岳男前田益穂などの若手をスタメンで起用。4月は首位の巨人と4ゲーム差ながらも2位につける好スタートだったが、ベテラン引退のツケが一気に出て6月に4勝14敗と負け越して最下位の大洋と0.5ゲーム差の5位に転落すると、「杉下監督がベテランを切ったからこんなことになった」と世間から不満が続出。8月と9月にそれぞれ5連勝するなど夏場以降は持ち直して阪神国鉄と2位争いを演じたが、5連覇の巨人に13ゲームも付けられ阪神と同率の2位となった。投手陣は中山俊丈伊奈努などがローテーションを守ってチーム防御率2.77と健闘し、打撃陣でもルーキーの江藤は勝負強い打撃でチームのAクラス入りに貢献し、森徹中利夫岡嶋博治などもそれなりの成績を収めてチーム本塁打は2位の106本を記録したほか、岡嶋・中などが走りまくってリーグ1位の131盗塁を記録した。タイトルでは森は本塁打と打点の二冠、岡嶋は2年連続で盗塁王を獲得するなどチームの顔となっていった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 岡嶋博治
2 中利夫
3 井上登
4 森徹
5 江藤慎一
6 本多逸郎
7 前田益穂
8 吉沢岳男
9 伊奈努
1959年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 中日 4.0 国鉄 4.5 国鉄 9.5 大阪 10.5 大阪 12.0 中日 13.5 大阪 13.0
3位 国鉄 5.5 中日 8.5 大阪 11.0 国鉄 12.5 中日 13.5 大阪 13.5 中日
4位 広島 8.0 大阪 9.5 広島 15.0 中日 17.0 国鉄 14.0 国鉄 14.5 国鉄 15.5
5位 大阪 8.5 大洋 10.5 中日 18.0 広島 17.5 広島 16.0 広島 16.5 広島 17.0
6位 大洋 10.0 広島 12.0 大洋 18.5 大洋 20.5 大洋 22.5 大洋 26.0 大洋 28.5
1959年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 77 48 5 .616 優勝
2位 大阪タイガース 62 59 9 .512 13.0
2位 中日ドラゴンズ 64 61 5 .512 13.0
4位 国鉄スワローズ 63 65 2 .492 15.5
5位 広島カープ 59 64 7 .480 17.0
6位 大洋ホエールズ 49 77 4 .389 28.5

[1]

オールスターゲーム1959[編集]

ファン投票 井上登
監督推薦 大矢根博臣

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2][3]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
森徹 本塁打王 31本 初受賞
打点王 87打点 初受賞
岡嶋博治 盗塁王 41個 2年連続2度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
森徹 外野手 2年連続2度目

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1959年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月2日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 108 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7