1965年の読売ジャイアンツ

1965年の読売ジャイアンツ
成績
日本一
日本S 4勝1敗(対南海
セントラル・リーグ優勝
91勝47敗2分 勝率.659[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 正力亨
経営母体 読売新聞社
監督 川上哲治
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1965年の読売ジャイアンツでは、1965年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の5年目のシーズンであり、V9の1年目のシーズンである。

概要[編集]

球団創設30周年の1964年を優勝で飾れなかったチームはオフに金田正一関根潤三など他球団の主力や、土井正三末次利光などのちのV9戦士が加入してシーズンが開幕。また川上監督も背番号を77に変更するなど、心機一転をはかった(「サンセット77」由来説もある)。2年ぶりのリーグ制覇が期待されたが、国鉄から移籍の金田が左ひじ痛で離脱し、近鉄から移籍の関根は年齢もあってスタメンから外れ、代打での起用が中心となるなどベテラン組が苦戦。この年から柴田勲が1番を打ち、それまで二塁のレギュラーだった須藤豊に代わって5月から土井がスタメンに入るとチームは首位に立ち、阪神中日大洋といったライバルを突き放し、10月14日に中日が負けたため2年ぶりのリーグ優勝を果たし祝勝会場で川上監督が胴上げされた。打線の活躍に隠れがちの投手陣は金田がケガの影響もあって20勝が途切れたが、城之内邦雄中村稔などが金田をカバーし、リリーフ転向の宮田征典も抑えながら20勝をあげる活躍でチーム防御率2.54はリーグ2位。打撃陣でも柴田やルーキー土井、長嶋茂雄王貞治が活躍して他球団を圧倒し、チーム本塁打106本はリーグ2位、チーム打率も.246とリーグ2位に滑り込んだ。日本シリーズは4勝1敗で南海を破って、2年ぶりに日本一奪回も果たした。シーズン終了後、初の優勝を経験した関根がこの年限りで引退し16年間の現役生活に終止符を打った。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー[2]
1 柴田勲
2 国松彰
3 王貞治
4 長嶋茂雄
5 吉田勝豊
6 森昌彦
7 須藤豊
8 広岡達朗
9 金田正一
1965年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 大洋 -- 大洋 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 巨人 0.5 阪神 4.0 阪神 2.5 阪神 5.5 中日 7.5 中日 13.0
3位 阪神 1.0 阪神 2.0 大洋 4.5 大洋 5.0 中日 6.5 阪神 10.5 阪神 19.5
4位 巨人 1.0 中日 4.0 中日 6.0 中日 9.0 大洋 10.0 大洋 17.5 大洋 23.0
5位 中日 5.0 広島 5.0 広島 11.0 広島 10.5 広島 16.5 広島 25.0 広島 31.0
6位 サンケイ 7.5 サンケイ 9.5 サンケイ 11.5 サンケイ 24.0 サンケイ 30.5 サンケイ 38.5 サンケイ 45.5


1965年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 91 47 2 .659 優勝
2位 中日ドラゴンズ 77 59 4 .566 13.0
3位 阪神タイガース 71 66 3 .518 19.5
4位 大洋ホエールズ 68 70 2 .493 23.0
5位 広島カープ 59 77 4 .434 31.0
6位 サンケイスワローズ 44 91 5 .326 45.5

[1]

日本シリーズ[編集]

1965年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月30日(土) 第1戦 読売ジャイアンツ 4 - 2 南海ホークス 大阪球場
10月31日(日) 第2戦 読売ジャイアンツ 6 - 4 南海ホークス
11月1日(月) 移動日
11月2日(火) 第3戦 雨天中止 後楽園球場
11月3日(水) 南海ホークス 3 - 9 読売ジャイアンツ
11月4日(木) 第4戦 南海ホークス 4 - 2 読売ジャイアンツ
11月5日(金) 第5戦 南海ホークス 2 - 3 読売ジャイアンツ
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり7回目)

オールスターゲーム1965[編集]

  • 選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
コーチ 川上哲治
投手 宮田征典
金田正一 15
中村稔 2
捕手 森昌彦 6
一塁手 王貞治 6
三塁手 長嶋茂雄 8
遊撃手 広岡達朗 8
外野手 吉田勝豊 3
柴田勲 3
  • 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退、▲は出場辞退選手発生による補充。

できごと[編集]

  • 1月18日
  • 監督・川上哲治の背番号がこれまでの「16」から「77」へ変更されることが発表される。背番号「16」は球団では3例目となる永久欠番となった。
  • 球団初代マスコットキャラクター・「ミスタージャイアンツ」が発表される。

選手・スタッフ[編集]

[3]

表彰選手[編集]

森昌彦(捕手、5年連続5度目)
王貞治(一塁手、4年連続4度目)
長嶋茂雄(三塁手、8年連続8度目)

ドラフト[編集]

順位 選手名 守備位置 所属 結果
1位 堀内恒夫 投手 甲府商業高 入団
2位 林千代作 外野手 鎌倉学園高 入団
3位 江藤省三 内野手 慶應義塾大学 入団
4位 広瀬邦敏 外野手 大竹高 拒否・芝浦工業大学進学
5位 才所俊郎 外野手 河合楽器 入団
6位 宇佐美敏晴 投手 西条高 入団
7位 西山敏明 外野手 津山商業高 拒否・駒澤大学進学
8位 深津修司 内野手 中京商業高 拒否・北海道拓殖銀行入行

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1965年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月13日閲覧。
  2. ^ 『読売新聞』1965年4月11日付朝刊、14版、8面
  3. ^ 読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月13日閲覧。