1967年の近鉄バファローズ

1967年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ6位
59勝71敗2分 勝率.454[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 日本生命球場
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 小玉明利
« 1966
1968 »

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1967年の近鉄バファローズでは、1967年の近鉄バファローズの動向をまとめる。

この年の近鉄バファローズは、小玉明利が1年だけ、選手兼任で監督を務めたシーズンである。

概要[編集]

1955年以降13年連続のBクラスに加えて1964年から3年連続で最下位に低迷するチームの切り札として、近鉄最初期に入団した小玉明利がこの年から選手兼任で監督に就任。小玉新監督は主に6番を打つかたわら開幕投手に前年10勝の鈴木啓示を指名するなど、若い選手を積極的に起用。チームはBクラスながらも過去3年間と違ってそれなりの成績を残し10月になって最下位脱出の機会が訪れたが、東京との直接対決で痛恨の敗戦を喫し、最下位脱出はならなかった。投手陣は鈴木がプロ入り初の20勝を挙げ(最終的に21勝)、佐々木宏一郎が14勝を挙げたが被本塁打が多く、特に鈴木はリーグ最多の36被本塁打を記録した。打撃陣は円熟期の土井正博東映張本勲と最後まで首位打者を争い、来日2年目のカール・ボレスはチームトップの31本塁打を放つなどの活躍でチーム打率はリーグ2位を記録したものの、盗塁数は最下位に終わった。選手兼任の小玉監督はわずか1年で辞任し自身も阪神に一選手として移籍した。佐伯オーナーはこの年まで大洋の監督だった三原脩を招聘し、再建を図ることになる。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 安井俊憲
2 鎌田実
3 ボレス
4 土井正博
5 高木喬
6 小玉明利
7 北川公一
8 吉沢岳男
9 鈴木啓示
1967年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 西鉄 西鉄 1.5 東映 5.5 東映 6.5 東映 11.0 東映 9.5 西鉄 9.0
3位 東映 3.0 東映 3.0 西鉄 8.0 南海 9.0 南海 西鉄 11.0 東映 10.0
4位 南海 3.5 近鉄 5.0 南海 9.0 西鉄 9.0 東京 12.0 南海 12.0 南海 11.0
5位 近鉄 3.5 東京 5.5 東京 10.5 東京 9.5 西鉄 12.5 東京 15.0 東京 14,0
6位 東京 5.0 南海 6.0 近鉄 12.0 近鉄 14.0 近鉄 19.5 近鉄 18.5 近鉄 16.0


1967年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 75 55 4 .577 優勝
2位 西鉄ライオンズ 66 64 10 .508 9.0
3位 東映フライヤーズ 65 65 4 .500 10.0
4位 南海ホークス 64 66 3 .492 11.0
5位 東京オリオンズ 61 69 7 .469 14.0
6位 近鉄バファローズ 59 71 2 .454 16.0

[1]

オールスターゲーム1967[編集]

ファン投票 鈴木啓示 土井正博
監督推薦 高木喬 ボレス

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2][3]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
土井正博 最多安打 147本 3年ぶり2度目
鈴木啓示 最多奪三振 222個 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
土井正博 外野手 初受賞

ドラフト[編集]

順位 選手名 守備位置 所属 結果
1位 三輪田勝利 投手 早稲田大学 拒否・大昭和製紙入社
2位 永淵洋三 投手 東芝 入団
3位 小川亨 外野手 立教大学 入団
4位 石井久至 内野手 日本大学 拒否・松下電器入社
5位 松下芳夫 捕手 電電近畿 入団
6位 川口忠 内野手 サッポロビール 拒否
7位 五十嵐英夫 投手 神奈川大学 入団
8位 太田進 外野手 日産自動車 拒否
9位 枝松道輝 内野手 日本石油 拒否

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1967年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 139 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7