1969年の大洋ホエールズでは、1969年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、別当薫監督の2年目のシーズンである。
チームは5月に巨人と同率ながら阪神に次ぐ2位とまずまずの滑り出しだったが、巨人が独走した6月以降はゲーム差が開き、7月以降は中日やアトムズと3位争いを展開。9月終了時点で2位の阪神に0.5ゲーム差と接近するが、終盤は一進一退の試合が続いて波に乗れず巨人の5連覇を許した。それでもシーズン勝ち越しは果たせなかったが、三原脩監督時代の1964年以来5年ぶりのAクラスとなった。チームは優勝の巨人に11勝13敗2分と健闘し、2位阪神には14勝12敗と勝ち越したものの、5位のアトムズには9勝16敗1分と相性が悪く5割越えはならなかった。投手陣では3年目の平松政次と山下律夫が2ケタ勝利をあげ、高橋重行・森中千香良などもローテーションを守ってチーム防御率リーグ3位の3.19を記録した。打撃陣では4番の松原誠が奮闘し、近藤和彦・江尻亮などもそれなりの成績を残してチーム本塁打125本はリーグ4位と健闘した。後年、プロ野球史上初となる12球団勝利を達成した野村収がこの年のドラフト1位入団だったが、シーズン終盤の1試合登板にとどまった。
チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1969年セントラル・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 広島 | --- | 阪神 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- |
2位 | 阪神 | 1.0 | 巨人 | 1.0 | 阪神 | 3.0 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 4.0 | 阪神 | 9.0 | 阪神 | 6.5 |
3位 | 巨人 | 1.0 | 大洋 | 中日 | 3.5 | 中日 | 7.0 | 大洋 | 7.5 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 11.0 |
4位 | 大洋 | 1.5 | 広島 | 3.0 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 7.5 | アトムズ | 8.0 | 中日 | 11.0 | 中日 | 14.0 |
5位 | アトムズ | 中日 | 4.0 | 広島 | 7.5 | アトムズ | 10.0 | 中日 | 12.5 | アトムズ | 14.5 | アトムズ | 16.5 |
6位 | 中日 | 4.0 | アトムズ | 6.0 | アトムズ | 10.0 | 広島 | 10.0 | 広島 | 13.0 | 広島 | 18.0 | 広島 | 18.0 |
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オールスターゲーム[編集]
できごと[編集]
選手・スタッフ[編集]
表彰選手[編集]
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |