1978年の読売ジャイアンツ

1978年の読売ジャイアンツ
成績
セントラル・リーグ2位
65勝49敗16分 勝率.570[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 正力亨
経営母体 読売新聞社
監督 長嶋茂雄
« 1977
1979 »

テンプレートを表示

1978年の読売ジャイアンツでは、1978年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、長嶋茂雄監督の4年目のシーズンである。

概要[編集]

2年続けて日本シリーズで敗れたチームはドラフト会議山倉和博を、さらに大洋からジョン・シピンを獲得し万全の戦力でシーズンに臨んだ。序盤は大洋と、6月にはヤクルトを加えた三つ巴の首位争いを展開。しかし7月に入ると、6日の広島戦では2回表に3投手で10四球のプロ野球ワースト記録で大敗、さらに10日のヤクルト戦では初回にシピンが死球に怒り鈴木康二朗に暴行を働き退場、さらに3回には降板を命じられた先発クライド・ライトが激昂し、試合中にもかかわらずシピンの車で帰宅しその後退団という騒動を起こした。それでもチームはそこから9連勝をマークし一気に首位浮上、8月下旬には2位ヤクルトに4.5ゲーム差を付けマジック点灯目前まで迫った。ところが直後の直接対決3連戦を2敗1分で終えるとそこからチームは失速、3試合連続サヨナラ勝ちで勢いづくヤクルトとは対照的に下位相手に取りこぼしが続き、ついにヤクルトにマジックが点灯。そのまま2度と首位に返り咲くことはなく10月4日にV逸が決定。投手陣はチーム防御率3.61でリーグ1位、29セーブもリーグ1位を記録したが、一方で打撃陣はベテラン陣の衰えもあり136本塁打でリーグ5位に転落し、世代交代の足音が聞こえ始めた。チームは2位で終えたものの10月1日には水原茂がテレビ番組で「巨人軍の敗因は長嶋の采配ミスにある。今年の長嶋の野球を見ていると彼は野球を知らないのではないかと思える」と発言し、圧倒的な戦力を有しながら優勝を逃した長嶋采配への批判が起こり始めた。そして11月21日、西武との交渉期限が切れた江川卓と入団契約を強行、江川事件の幕開けとなる。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 柴田勲
2 土井正三
3 張本勲
4 王貞治
5 柳田真宏
6 高田繁
7 河埜和正
8 山倉和博
9 堀内恒夫
1978年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- ヤクルト -- 巨人 -- 巨人 -- ヤクルト --
2位 大洋 0.0 大洋 0.5 巨人 2.5 ヤクルト 2.0 ヤクルト 1.5 巨人 3.0
3位 中日 3.0 ヤクルト 1.5 大洋 3.0 大洋 5.5 大洋 3.5 広島 5.0
4位 ヤクルト 3.5 中日 3.5 中日 5.5 中日 10.5 広島 5.5 大洋 7.5
5位 阪神 4.0 広島 9.0 広島 8.5 広島 11.0 中日 9.0 中日 20.0
6位 広島 4.5 阪神 12.5 阪神 19.5 阪神 22.0 阪神 25.5 阪神 30.5


1978年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 ヤクルトスワローズ 68 46 16 .596 優勝
2位 読売ジャイアンツ 65 49 16 .570 3.0
3位 広島東洋カープ 62 50 18 .554 5.0
4位 横浜大洋ホエールズ 64 57 9 .529 7.5
5位 中日ドラゴンズ 53 71 6 .427 20.0
6位 阪神タイガース 41 80 9 .339 30.5

オールスターゲーム1978[編集]

  • 監督
長嶋茂雄
  • ファン投票
王貞治
柴田勲
  • 監督推薦
小林繁
新浦寿夫
張本勲

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー[編集]

新人王
打点王(118打点、8年連続13度目)
最多出塁数(247個、12年連続12度目)
盗塁王(34盗塁、2年連続6度目)
最優秀防御率(2.81、2年連続2度目)
最優秀救援投手(25SP、初受賞)

ベストナイン[編集]

新浦寿夫(投手、初受賞)
王貞治(一塁手、17年連続17度目)
堀内恒夫(投手、7年連続7度目)
王貞治(一塁手、7年連続7度目)
土井正三(二塁手、初受賞)

ドラフト[編集]

いわゆる空白の一日により、ドラフト会議をボイコット

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 入団当初の背番号は11番だったが、シピンの入団で変更された。

出典[編集]