1984年の中日ドラゴンズ

1984年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
73勝49敗8分 勝率.598[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
ナゴヤ球場
球団組織
オーナー 加藤巳一郎
経営母体 中日新聞社
監督 山内一弘
選手会長 田尾安志
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1984年の中日ドラゴンズ(1984ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1984年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、山内一弘監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

地元出身の山内監督が就任したこの年、チームは前年優勝の巨人が開幕ダッシュに失敗し代わって前年2位の広島が12連勝でスタートダッシュに成功すると、それを追いかける展開が続いた。5月以降は鈴木孝政小松辰雄など投手陣の健闘、前年本塁打王の大島康徳や3割常連の田尾安志、4番のベテラン谷沢健一など打撃陣が打ちまくって広島とのゲーム差を詰めていき、6月29日の大洋戦では毎回得点の22対7で勝つなど打線好調で6月下旬から7連勝し、前半戦の後半で広島から首位を奪取。巨人には第2戦から同一カードで14連勝(最終的に17勝8敗1分)するなど、ペナント前半を首位で折り返したチームだが、9月に入ると2番の平野謙が死球を受けて離脱し小松も不調、さらにエースの郭源治が9月は1勝もできないなど誤算が続出。結局カモにしたはずの巨人には後半から負けが込み、投打のバランスが取れた広島に首位を奪われたチームは僅差の争いを制すことができず直接対決を8勝15敗3分と負け越し、1975年以来の2位に終わった。投手陣はこの年から先発に専念した小松や鈴木や郭、都裕次郎が2ケタ勝利をあげ守護神の牛島和彦も健在だった。打撃陣は遊撃手の宇野勝が8月に月間15本塁打の荒稼ぎで阪神掛布雅之と本塁打王を分け合ったほか、大島・田尾・谷沢やケン・モッカなどもそれなりの成績を残しチーム本塁打は191本で1位だったが、失策も多く目立ちリーグ最下位の107失策を記録した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

1984年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 広島 -- 広島 -- 広島 -- 中日 -- 中日 -- 広島 --
2位 中日 5.0 中日 0.5 中日 0.5 広島 1.0 広島 1.0 中日 3.0
3位 阪神 6.0 阪神 5.5 巨人 9.5 巨人 9.0 巨人 9.5 巨人 8.5
4位 大洋 7.5 大洋 8.0 阪神 10.5 阪神 11.0 阪神 18.5 阪神 23.0
5位 巨人 8.5 巨人 8.0 大洋 14.5 大洋 20.0 ヤクルト 21.5 ヤクルト 25.0
6位 ヤクルト 9.0 ヤクルト 14.0 ヤクルト 19.0 ヤクルト 22.0 大洋 24.5 大洋 30.5


1984年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 広島東洋カープ 75 45 10 .625 優勝
2位 中日ドラゴンズ 73 49 8 .598 3.0
3位 読売ジャイアンツ 67 54 9 .554 8.5
4位 阪神タイガース 53 69 8 .434 23.0
5位 ヤクルトスワローズ 51 71 8 .418 25.0
6位 横浜大洋ホエールズ 46 77 7 .374 30.5

オールスターゲーム[編集]

選出選手
ポジション 名前 選出回数
投手 鈴木孝政 5
投手 郭源治 2
捕手 中尾孝義 2
内野手 谷沢健一 9
外野手 田尾安志 5

できごと[編集]

4月[編集]

6月[編集]

  • 6月21日 - 大島康徳が対ヤクルト戦(ナゴヤ)で通算250号本塁打[2]

8月[編集]

10月[編集]

  • 10月3日5日 - 本塁打王を争う宇野勝と阪神の掛布雅之に対し、3日ナゴヤと5日甲子園の2試合に渡り敬遠合戦を展開、両者とも10打席連続敬遠を記録。

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
宇野勝 本塁打王 37本 初受賞
谷沢健一 最多安打 166本 初受賞
最多出塁数 231個 初受賞
田尾安志 最多安打 166本 3年連続3度目
その他
選手名 タイトル
鈴木孝政 カムバック賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
谷沢健一 一塁手 3年連続4度目[注 1]
宇野勝 遊撃手 2年ぶり2度目
ダイヤモンドクラブ賞
選出なし

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 中村武志 捕手 京都・花園高 入団
2位 川畑泰博 投手 洲本高 入団
3位 古川利行 投手 日本鋼管 入団
4位 江本晃一 投手 上宮高 入団
5位 米村明 投手 河合楽器 入団
6位 神山一義 外野手 横浜高 入団
  • 後に正捕手となりチームを支えることとなる中村武志を獲得した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1976年に外野手部門で受賞しており、通算5度目。

出典[編集]

  1. ^ 年度別成績 1984年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年5月19日閲覧。
  2. ^ a b c d 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」95ページ