1985年の野球

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1985年の野球(1985ねんのやきゅう)では、1985年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1985年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪神タイガース 74 49 7 .602 優勝
2位 広島東洋カープ 68 57 5 .544 7.0
3位 読売ジャイアンツ 61 60 9 .504 12.0
4位 横浜大洋ホエールズ 57 61 12 .483 14.5
5位 中日ドラゴンズ 56 61 13 .479 15.0
6位 ヤクルトスワローズ 46 74 10 .383 26.5
1985年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 79 45 6 .637 優勝
2位 ロッテオリオンズ 64 60 6 .516 15.0
3位 近鉄バファローズ 63 60 7 .5122 15.5
4位 阪急ブレーブス 64 61 5 .5120 15.5
5位 日本ハムファイターズ 53 65 12 .449 23.0
6位 南海ホークス 44 76 10 .367 33.0

日本シリーズ[編集]

1985年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月26日(土) 第1戦 阪神タイガース 3 - 0 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
10月27日(日) 第2戦 阪神タイガース 2 - 1 西武ライオンズ
10月28日(月) 移動日
10月29日(火) 第3戦 西武ライオンズ 6 - 4 阪神タイガース 阪神甲子園球場
10月30日(水) 第4戦 西武ライオンズ 4 - 2 阪神タイガース
10月31日(木) 第5戦 西武ライオンズ 2 - 7 阪神タイガース
11月1日(金) 移動日
11月2日(土) 第6戦 阪神タイガース 9 - 3 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
優勝:阪神タイガース(初優勝)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 R.バース 阪神   落合博満 ロッテ  
最優秀新人 川端順 広島   熊野輝光 阪急  
首位打者 R.バース 阪神 .350 落合博満 ロッテ .367
本塁打王 R.バース 阪神 54本 落合博満 ロッテ 52本
打点王 R.バース 阪神 134点 落合博満 ロッテ 146点
盗塁王 高橋慶彦 広島 73個 松永浩美 阪急 38個
最高出塁率 R.バース 阪神 .428 落合博満 ロッテ .481
最優秀防御率 小松辰雄 中日 2.65 工藤公康 西武 2.76
最多勝利 小松辰雄 中日 17勝 佐藤義則 阪急 21勝
最多奪三振 小松辰雄 中日 172個 佐藤義則 阪急 188個
最高勝率 北別府学 広島 .727 石本貴昭 近鉄 .864
最優秀救援投手 中西清起 阪神 30SP 石本貴昭 近鉄 26SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 小松辰雄 中日 東尾修 西武
捕手 八重樫幸雄 ヤクルト 伊東勤 西武
一塁手 R.バース 阪神 R.デービス 近鉄
二塁手 岡田彰布 阪神 西村徳文 ロッテ
三塁手 掛布雅之 阪神 落合博満 ロッテ
遊撃手 高木豊 大洋 石毛宏典 西武
外野手 杉浦享 ヤクルト 金森永時 西武
真弓明信 阪神 熊野輝光 阪急
山崎隆造 広島 横田真之 ロッテ
指名打者   L.リー ロッテ

オールスターゲーム[編集]

高校野球[編集]

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

  • 5月5日 - 西武球場での西武対阪急5回戦で、阪急、西武ともに毎回安打。両チーム毎回安打は1954年8月15日西鉄対南海戦以来2度目[21]
  • 5月8日 - ヤクルトの若松勉が横浜スタジアムでの対横浜大洋ホエールズ4回戦で3号、4号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打[22]
  • 5月21日 - 近鉄の栗橋茂が大阪球場での対南海8回戦でサイクル安打を達成[23]
  • 5月22日
    • 西武の岡村隆則が平和台球場での対ロッテ8回戦でサイクル安打を達成[24]
    • 日本ハムの島田誠が西宮球場での対阪急6回戦の三回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[25]

6月[編集]

  • 6月2日 - ヤクルトのボビー・マルカーノ旭川スタルヒン球場での対広島8回戦の三回表に安打を放ち、与那嶺要の持つ外国人選手最多の通算1338安打を記録[26]
  • 6月4日
  • 6月6日 - 阪神の山本和行が甲子園球場での対巨人11回戦の7回からリリーフ登板して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[29]
  • 6月9日 - 日本ハムファイターズ田中幸雄が後楽園球場での対近鉄9回戦でノーヒットノーランを達成[30]
  • 6月12日
    • 阪急の福本豊が後楽園球場での対日本ハム11回戦にスタメンで出場し、プロ通算2000試合出場を達成[31]
    • 西武の東尾修が西武球場での対近鉄7回戦に先発し、プロ通算600試合登板を達成[32]
  • 6月13日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対阪神9回戦の三回裏に適時打を放ち、プロ通算4000塁打を達成[33]
  • 6月15日
    • ヤクルトの杉浦享がナゴヤ球場での対中日8回戦の四回表に安打を放ち、プロ通算1000本安打を達成[34]
    • ロッテのレロン・リーが松江での対阪急11回戦に出場し、プロ野球通算1000試合出場を達成[35]
  • 6月23日 - 阪神の掛布雅之が横浜スタジアムでの対大洋12回戦の七回表に17号本塁打を放ち、プロ通算300号本塁打を達成[36]
  • 6月26日 - 日本ハムの島田誠が藤井寺球場での対近鉄10回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[37]
  • 6月27日 - 巨人の西本聖が後楽園球場での対ヤクルト14回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[38]
  • 6月28日 - 巨人の槙原寛巳が甲子園球場での対阪神13回戦の七回表に1号本塁打を放ち、これが球団通算5000号本塁打となる[39]

7月[編集]

  • 7月4日 - 【MLB】アトランタフルトン・カウンティ・スタジアムで行われたアトランタ・ブレーブスニューヨーク・メッツは延長19回、16-13のスコアでメッツが勝ったが、試合終了は翌7月5日の午前3時15分。現時点でメジャー史上最も遅い試合終了時刻。
  • 7月5日 - 広島の衣笠祥雄が甲子園球場での対阪神10回戦の6回表に二塁打を放ち通算4001塁打、8回表に15号本塁打を放ちプロ通算450号本塁打を達成[40]
  • 7月6日 - 広島の高橋慶彦が甲子園球場での対阪神11回戦の8回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[41]
  • 7月10日
    • 阪急の山田久志が川崎球場での対ロッテ14回戦に先発して9勝目を挙げ、プロ通算250勝を達成[42]
    • 阪神の真弓明信が甲子園球場での対ヤクルト12回戦の1回裏に15号本塁打を放ち、プロ通算150号本塁打を達成[43]
    • 近鉄の鈴木啓示が球団代表の山崎弘海に対し現役引退を申し入れる[44]
  • 7月11日
  • 7月13日
    • 阪神の岡田彰布が後楽園球場での巨人戦で9回表に代打で出場して15号本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成[47]
    • 近鉄は引退を表明した鈴木啓示を球団事務所に呼び現役続行するよう慰留したが、鈴木が固辞したため、慰留を断念。鈴木はオールスター戦に監督推薦での出場が決定していたが、全パ監督の阪急の上田利治が住む大阪府豊中市の自宅を訪れ、出場辞退を申し入れた[48]
  • 7月15日 - 近鉄の鈴木啓示が大阪市の天王寺都ホテルにて記者会見を行い、引退を正式に表明。球団は鈴木の任意引退の手続きを行う。
  • 7月16日 - ロッテの西井哲夫が川崎球場での対日本ハム9回戦の9回表1イニングに登板し、プロ通算500試合登板を達成[49]
  • 7月17日 - 近鉄の羽田耕一が西武球場での対西武11回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[50]
  • 7月23日 - 藤井寺球場で史上初の開催となるオールスターゲームの第3戦が行われ、広島の山本浩二がオールスター新記録の通算14本塁打[51]
  • 7月26日
    • 広島の山本浩二がナゴヤ球場での対中日12回戦の2回表に15号本塁打を放ち、プロ通算500本塁打を達成[52]
    • 阪急の福本豊が西宮球場での対日本ハム17回戦の6回裏に三塁打を放ちこれでプロ通算107三塁打となり、毒島章一の持つプロ野球通算最多三塁打106本の記録を更新[53]
  • 7月27日 - 阪急の山田久志が西宮球場での対日本ハム18回戦に先発して完投して11勝目を挙げ、プロ通算250完投を達成[54]
  • 7月30日 - 巨人は広島球場での対広島12回戦で、登板した6投手で合計16四死球を記録し1試合のチーム最多与四球のワースト新記録[55]

8月[編集]

9月[編集]

  • 9月10日 - 阪神が横浜スタジアムでの対大洋21回戦でセ・リーグ新記録の1試合10二塁打を記録[68]
  • 9月11日
  • 9月17日 - 阪急の福本豊が後楽園球場での対日本ハム24回戦の一回表に10号本塁打を放ち、プロ通算1500得点を達成[70]
  • 9月18日 - 大阪球場での南海対近鉄25回戦で、南海がパ・リーグ新記録の25得点。南海は25対4で勝利[71]
  • 9月27日 - 広島の監督の古葉竹識が監督辞任を表明[72]
  • 9月29日 - 広島の監督の古葉竹識がオーナーの松田耕平に監督の辞任を申し出て了承される[73]

10月[編集]

  • 10月1日 - ロッテの落合博満が後楽園球場での対日本ハム19回戦で球団新記録となる44号本塁打を打つ。レロン・リーが5打数4安打を記録して通算打数が4002となり、通算打率でヤクルト・若松勉の3割2分2厘を抜いて3割2分4厘でトップに立つ[74]
  • 10月6日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースフィル・ニークロが通算300勝を達成。46歳での達成は史上最年長。
  • 10月8日 - 西武は監督の広岡達朗が痛風の治療のため監督を一時休養し、コーチの黒江透修が監督代行を務めることに[75]
  • 10月9日
    • 西武が藤井寺球場での対近鉄25回戦で近鉄を6対3と破り、2年ぶり3度目のリーグ優勝を達成[76]
    • ヤクルトの若松勉が甲子園球場での対阪神22回戦の5回表に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[77]
  • 10月10日 - 阪急はジョー・ヒックスの解雇を決定[78]
  • 10月12日 - 阪神のランディ・バースが広島市民球場での対広島25回戦で7回表に大野豊から49号本塁打を放ち、外国人選手のプロ野球シーズン最多本塁打の新記録[79]・阪神のシーズン最多本塁打[79]・セ・リーグ最多記録となる21勝利打点[79]・セ・リーグ新記録となる年間チーム最多本塁打206本を同時に達成[80]
  • 10月16日 - ヤクルト対阪神23回戦が神宮球場で行われ、延長10回5対5の時間切れ引き分けとなり、阪神が2リーグ制後で21年ぶり3度目、1リーグ時代から通算7回目のセ・リーグ優勝を達成[81]
  • 10月18日 - 阪急の水谷実雄が記者会見し、現役引退を表明[82]
  • 10月21日 - 南海はクリス・ナイマンを球団事務所に呼び、今季限りでの解雇を通告した[83]
  • 10月22日 - 後楽園球場での日本ハム対西武のダブルヘッダー25、26回戦が行われ、パ・リーグの全日程が終了。ロッテの落合博満が1982年以来自身2回目の三冠王を達成[84]
  • 10月23日
    • 中日の谷沢健一が広島市民球場での対広島24回戦の4回裏に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[85]
    • 広島の池谷公二郎が現役引退を表明[86]
  • 10月24日 - 中日の大島康徳が広島市民球場での対広島25回戦の三回表に池谷公二郎から23号本塁打を打ち、木俣達彦の持つ285本を更新する通算286号本塁打の球団新記録となった[87]
  • 10月27日
  • 10月28日 - 沢村栄治賞の選考委員会が東京・芝の東京グランドホテルで正午から開かれ、中日の小松辰雄を選出[88]
  • 10月31日 - 阪急は野球解説者の植村義信が一軍投手コーチ就任、また中沢伸二が現役を引退しバッテリーコーチに就任したと発表[89]

11月[編集]

12月[編集]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

  ※以上2名は日本航空123便墜落事故の犠牲者

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞1985年1月9日19面「ブロックとウィルヘルムが殿堂入り」読売新聞縮刷版1985年1月p299
  2. ^ 読売新聞1985年1月10日19面「選手会が新交渉団体 待遇改善を要求のため」読売新聞縮刷版1985年1月p347
  3. ^ 朝日新聞東京版1985年1月20日21面「大リーグ江夏 日本の別れは一本杉球場 一万六千人が激励」朝日新聞縮刷版1985年1月p697
  4. ^ 読売新聞1985年1月24日17面「『野球殿堂』へ三氏 フォークの杉下氏 逆シングル白石 火の玉投手荒巻」読売新聞縮刷版1985年1月p299
  5. ^ 読売新聞1985年1月25日17面「田尾、西武へトレード 杉本・大石と1対2交換」読売新聞縮刷版1985年1月p949
  6. ^ 読売新聞1985年1月29日19面「野球記録の先駆者 "和製ルース" 故山内、田中両氏殿堂入り」読売新聞縮刷版1985年1月p1103
  7. ^ 毎日新聞1985年3月14日19面「下田コミッショナー会見 『外部の批判に耳を』 プロ野球実行委、勇退了承」毎日新聞縮刷版1985年3月p439
  8. ^ 読売新聞1985年3月17日17面「阪神・益山が現役復帰」読売新聞縮刷版1985年3月p711
  9. ^ 読売新聞1985年3月19日17面「巨人・西本和とハム・山本交換」読売新聞縮刷版1985年3月p791
  10. ^ 読売新聞1985年3月31日17面「大洋球団代表、塩谷氏が兼務」読売新聞縮刷版1985年3月p1289
  11. ^ 毎日新聞1985年4月6日夕刊6面「おまたせ"パ"満開 ファンうずうず・・・2泊し一番乗りも」毎日新聞縮刷版1985年4月p202
  12. ^ 毎日新聞1985年4月7日17面「150本塁打」毎日新聞縮刷版1985年4月p221
  13. ^ 毎日新聞1985年4月8日1面「センバツ 初陣・伊野商に栄冠 帝京健闘 準優勝飾る」毎日新聞縮刷版1985年4月p229
  14. ^ 毎日新聞1985年4月10日19面「1000本安打」毎日新聞縮刷版1985年4月p305
  15. ^ 毎日新聞1985年4月11日15面「今井100勝 『完投せんと・・・・』反省にも風格」毎日新聞縮刷版1985年4月p333
  16. ^ 毎日新聞1985年4月11日15面「ヤクルト球団社長に相馬氏」毎日新聞縮刷版1985年4月p333
  17. ^ 毎日新聞1985年4月13日15面「セ・リーグ アラシの予感 開幕大雨流れ」毎日新聞縮刷版1985年4月p407
  18. ^ 毎日新聞1985年4月15日15面「マサカリ復活 男だ!!村田だ!!3年ぶり完投勝利 」毎日新聞縮刷版1985年4月p459
  19. ^ 毎日新聞1985年4月18日15面「トラトラトラ バース掛布岡田3連発 またも二死からバックスクリーン競演放り込み」毎日新聞縮刷版1985年4月p549
  20. ^ 毎日新聞1985年4月24日19面「50000本目アーチ近鉄仲根 ジャンボ君『知らなかった 球史に残るんですね』」毎日新聞縮刷版1985年4月p749
  21. ^ 毎日新聞1985年5月6日19面「乱戦に逆転サヨナラ 金森3ラン歓喜 両チーム、毎回の33安打」毎日新聞縮刷版1985年5月p159
  22. ^ 毎日新聞1985年5月9日19面「若松連発200号 杉浦も2発」毎日新聞縮刷版1985年5月p225
  23. ^ 毎日新聞1985年5月22日19面「栗橋サイクル打」毎日新聞縮刷版1985年5月p649
  24. ^ 毎日新聞1985年5月23日15面「秋山、4試合連続16号 岡村はサイクル安打」毎日新聞縮刷版1985年5月p681
  25. ^ 毎日新聞1985年5月23日15面「通算1000本安打」毎日新聞縮刷版1985年5月p681
  26. ^ 毎日新聞1985年6月3日17面「マルカーノが外人最多安打」毎日新聞縮刷版1985年6月p69
  27. ^ 毎日新聞1985年6月5日19面「西武・郭 でっかい仕事 日本ハムをノーヒットノーラン」毎日新聞縮刷版1985年6月p129
  28. ^ 毎日新聞1985年6月5日19面「江川よれよれ100勝目 巨人先勝、阪神”特急”ストップ」毎日新聞縮刷版1985年6月p129
  29. ^ 毎日新聞1985年6月6日19面「好救援・山本100勝目 西本お預け」毎日新聞縮刷版1985年6月p165
  30. ^ 読売新聞1985年6月10日夕刊12面「田中幸(日ハム)が無安打無得点 プロ初完封、史上55人目」読売新聞縮刷版1985年6月p362
  31. ^ 毎日新聞1985年6月13日19面「2000試合出場」毎日新聞縮刷版1985年6月p371
  32. ^ 毎日新聞1985年6月13日19面「600試合登板」毎日新聞縮刷版1985年6月p371
  33. ^ 毎日新聞1985年6月14日19面「迫るコイ 逆転1差 山本浩また勲章の4000塁打」毎日新聞縮刷版1985年6月p415
  34. ^ 毎日新聞1985年6月16日19面「1000本安打」毎日新聞縮刷版1985年6月p477
  35. ^ 毎日新聞1985年6月16日19面「1000試合出場」毎日新聞縮刷版1985年6月p477
  36. ^ 毎日新聞1985年6月24日19面「掛布(通算)300号 阪神(7日ぶり)首位奪回」毎日新聞縮刷版1985年6月p737
  37. ^ 毎日新聞1985年6月27日19面「1000試合出場」毎日新聞縮刷版1985年6月p849
  38. ^ 読売新聞1985年6月27日17面「西本、待望の100勝 巨人4連勝 11年目、苦難の末の"勲章"」読売新聞縮刷版1985年6月p1119
  39. ^ 読売新聞1985年6月29日17面「巨人・槙原が球団通算5000本塁打」読売新聞縮刷版1985年6月p1163
  40. ^ 読売新聞1985年7月6日17面「衣笠450号"両手に花"4000塁打も達成 川口完投 広島首位」読売新聞縮刷版1985年7月p247
  41. ^ 読売新聞1985年7月7日17面「広島・高橋慶彦内野手(二八)が通算300盗塁」読売新聞縮刷版1985年7月p295
  42. ^ 読売新聞1985年7月11日16面「山田、9人目の250勝 阪急連敗脱出 有藤は2000本安打『王手』」読売新聞縮刷版1985年7月p462
  43. ^ 読売新聞1985年7月11日17面「阪神・真弓が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1985年7月p463
  44. ^ 読売新聞1985年7月11日夕刊14面「近鉄・鈴木投手引退へ」読売新聞縮刷版1985年7月p484
  45. ^ 読売新聞1985年7月6日17面「有藤、2000本安打 大卒3人目」読売新聞縮刷版1985年7月p503
  46. ^ 読売新聞1985年7月12日17面「『草魂20年、吐き尽くした』引退決意の鈴木啓 317勝、節制ひと筋 KO続き限界痛感」読売新聞縮刷版1985年7月p503
  47. ^ 読売新聞1985年7月14日17面「阪神・岡田が通算100号本塁打」読売新聞縮刷版1985年7月p591
  48. ^ 読売新聞1985年7月14日16面「鈴木啓、慰留を固辞 あす引退発表、球宴欠場」読売新聞縮刷版1985年7月p590
  49. ^ 読売新聞1985年7月17日17面「ロッテ西井が500試合登板」読売新聞縮刷版1985年7月p715
  50. ^ 読売新聞1985年7月18日17面「近鉄・羽田耕一内野手(三二)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1985年7月p763
  51. ^ 読売新聞1985年7月23日17面「山本浩14号新記録 王を抜く」読売新聞縮刷版1985年7月p993
  52. ^ 読売新聞1985年7月27日16面「山本浩、4人目の500号 17年目、大卒では初」読売新聞縮刷版1985年7月p1120
  53. ^ 読売新聞1985年7月27日17面「阪急福本が三塁打日本新」読売新聞縮刷版1985年7月p1121
  54. ^ 読売新聞1985年7月28日16面「山田、250完投で11勝」読売新聞縮刷版1985年7月p1156
  55. ^ 読売新聞1985年7月31日17面「巨人、広島に逆転負け お粗末16四死球 セ・新」読売新聞縮刷版1985年7月p1271
  56. ^ 読売新聞1985年8月5日夕刊13面「広島・北別府が通算1000奪三振」読売新聞縮刷版1985年8月p157
  57. ^ 読売新聞1985年8月6日17面「井原コミッショナー事務局長が辞意」読売新聞縮刷版1985年8月p177
  58. ^ 読売新聞1985年8月9日17面「近鉄のデービスが6試合連続本塁打」読売新聞縮刷版1985年8月p307
  59. ^ 読売新聞1985年8月11日17面「レオン3連発、10打点 広島大敗」読売新聞縮刷版1985年8月p379
  60. ^ a b 【8月17日】1985年(昭60) 肝心なときに…中田良弘 4年越しの連勝記録止まった”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2010年8月12日). 2015年12月22日閲覧。
  61. ^ 読売新聞1985年8月16日17面「高木由通算100号 大洋、中日破る」読売新聞縮刷版1985年8月p563
  62. ^ 読売新聞1985年8月17日17面「大洋の田代が通算250号ホーマー」読売新聞縮刷版1985年8月p599
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  84. ^ 読売新聞1985年10月23日17面「パ・リーグ全日程終了 落合 王と並んだ!2度目の三冠王」読売新聞縮刷版1985年10月p983
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  88. ^ 読売新聞1985年10月29日17面「小松、初の沢村賞 中日で5人目 二冠、三振奪取王評価」読売新聞縮刷版1985年10月p1227
  89. ^ 読売新聞1985年11月1日17面「阪急コーチに植村氏」読売新聞縮刷版1985年11月p17
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  92. ^ 読売新聞1985年11月4日17面「プロ野球短信 広島の阿南新監督が誕生」読売新聞縮刷版1985年11月p137
  93. ^ 毎日新聞1985年11月6日19面「落合パ MVP セ バース 文句なし"三冠同士"」毎日新聞縮刷版1985年11月p163
  94. ^ 読売新聞1985年11月6日17面「プロ野球短信 阪神球団社長に岡崎氏」読売新聞縮刷版1985年11月p209
  95. ^ 毎日新聞1985年11月8日夕刊9面「引き際 あっさり 辞任の広岡監督 『4年間 悔いなし 痛風、続けては迷惑』」毎日新聞縮刷版1985年11月p253
  96. ^ 読売新聞1985年11月9日17面「巨人・定岡の任意引退決まる」読売新聞縮刷版1985年11月p341
  97. ^ 読売新聞1985年11月13日17面「プロ野球短信 西武・井上が任意引退」読売新聞縮刷版1985年11月p481
  98. ^ 読売新聞1985年11月14日17面「吉田監督に『正力松太郎賞』 『阪神日本一』へ快手腕」読売新聞縮刷版1985年11月p521
  99. ^ 読売新聞1985年11月15日17面「プロ野球 選手会、正式労組に 申請、『都地労委』が認定」読売新聞縮刷版1985年11月p565
  100. ^ 読売新聞1985年11月15日17面「『パ』1シーズン制へ 開幕『セ』と同時4月4日」読売新聞縮刷版1985年11月p565
  101. ^ 毎日新聞1985年11月20日夕刊11面「六球団で"清原どり" プロ野球ドラフト会議 西武が交渉権 意外、巨人は桑田が」毎日新聞縮刷版1985年11月p623
  102. ^ 読売新聞1985年11月24日17面「プロ野球短信 堂上、任意引退」読売新聞縮刷版1985年11月p965
  103. ^ 読売新聞1985年11月26日17面「プロ野球短信 ロッテの田村、南海へ」読売新聞縮刷版1985年11月p1047
  104. ^ 毎日新聞1985年11月27日19面「石渡が引退」毎日新聞縮刷版1985年11月p845
  105. ^ 読売新聞1985年11月29日17面「巨人、有田(近鉄)を獲得 厚み増す投手陣 交換に淡口と山岡」読売新聞縮刷版1985年11月p1187
  106. ^ 毎日新聞1985年11月29日19面「黒江コーチ退団」毎日新聞縮刷版1985年11月p925
  107. ^ 読売新聞1985年12月6日17面「高橋直 巨人入り 『不惑、まだイケる』 西武から金銭で」読売新聞縮刷版1985年12月p235
  108. ^ 毎日新聞1985年12月6日19面「西武・森監督が誕生 2年契約『若手の飛躍を』」毎日新聞縮刷版1985年12月p191
  109. ^ 毎日新聞1985年12月8日19面「吉沢と中出トレード」毎日新聞縮刷版1985年12月p265
  110. ^ 毎日新聞1985年12月11日15面「プロ野球だより」毎日新聞縮刷版1985年12月p349
  111. ^ 読売新聞1985年12月24日17面「日本ハムのコーチに村上氏」読売新聞縮刷版1985年12月p963
  112. ^ 読売新聞1985年12月27日17面「加藤英が巨人入り 金銭トレード 『夢実現、全力尽くす』」読売新聞縮刷版1985年12月p1066