1987年の野球

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1987年の野球(1987ねんのやきゅう)では、1987年野球界における動向をまとめる。

競技結果[編集]

日本プロ野球[編集]

ペナントレース[編集]

1987年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 76 43 11 .639 優勝
2位 中日ドラゴンズ 68 51 11 .571 8.0
3位 広島東洋カープ 65 55 10 .542 11.5
4位 ヤクルトスワローズ 58 64 8 .475 19.5
5位 横浜大洋ホエールズ 56 68 6 .452 22.5
6位 阪神タイガース 41 83 6 .331 37.5
1987年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西武ライオンズ 71 45 14 .612 優勝
2位 阪急ブレーブス 64 56 10 .533 9.0
3位 日本ハムファイターズ 63 60 7 .512 11.5
4位 南海ホークス 57 63 10 .475 16.0
5位 ロッテオリオンズ 51 65 14 .440 20.0
6位 近鉄バファローズ 52 69 9 .430 21.5

日本シリーズ[編集]

1987年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月24日(土) 第1戦 雨天中止 西武ライオンズ球場
10月25日(日) 読売ジャイアンツ 7 - 3 西武ライオンズ
10月26日(月) 第2戦 読売ジャイアンツ 0 - 6 西武ライオンズ
10月27日(火) 移動日
10月28日(水) 第3戦 西武ライオンズ 2 - 1 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月29日(木) 第4戦 西武ライオンズ 0 - 4 読売ジャイアンツ
10月30日(金) 第5戦 西武ライオンズ 3 - 1 読売ジャイアンツ
10月31日(土) 移動日
11月1日(日) 第6戦 読売ジャイアンツ 1 - 3 西武ライオンズ 西武ライオンズ球場
優勝:西武ライオンズ(2年連続7回目)

個人タイトル[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 山倉和博 巨人   東尾修 西武  
最優秀新人 荒井幸雄 ヤクルト   阿波野秀幸 近鉄  
首位打者 篠塚利夫 巨人 .333 新井宏昌 近鉄 .366
正田耕三 広島
本塁打王 リチャード・ランス 広島 39本 秋山幸二 西武 43本
打点王 カルロス・ポンセ 大洋 98点 ブーマー・ウェルズ 阪急 119点
盗塁王 屋鋪要 大洋 48個 西村徳文 ロッテ 41個
大石第二朗 近鉄
最高出塁率 落合博満 中日 .435 門田博光 南海 .428
最優秀防御率 桑田真澄 巨人 2.17 工藤公康 西武 2.41
最多勝利 小松辰雄 中日 17勝 山沖之彦 阪急 19勝
最多奪三振 川口和久 広島 184個 阿波野秀幸 近鉄 201個
最高勝率 川端順 広島 .833 工藤公康 西武 .789
最優秀救援投手 郭源治 中日 30SP 牛島和彦 ロッテ 26SP

ベストナイン[編集]

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 桑田真澄 巨人 工藤公康 西武
捕手 山倉和博 巨人 伊東勤 西武
一塁手 ランディ・バース 阪神 ブーマー・ウェルズ 阪急
二塁手 篠塚利夫 巨人 白井一幸 日本ハム
三塁手 原辰徳 巨人 石毛宏典 西武
遊撃手 宇野勝 中日 水上善雄 ロッテ
外野手 ウォーレン・クロマティ 巨人 秋山幸二 西武
カルロス・ポンセ 大洋 新井宏昌 近鉄
吉村禎章 巨人 トニー・ブリューワ 日本ハム
指名打者   石嶺和彦 阪急

高校野球[編集]

PL学園が作新学院中京商業箕島に続く史上4校目の春夏連覇

大学野球[編集]

社会人野球[編集]

メジャーリーグ[編集]

できごと[編集]

1月[編集]

  • 1月22日 - 野球体育博物館に表彰掲載される競技者表彰委員会が開票され、該当者なしの結果に[1]
  • 1月27日 - プロ野球実行委員会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、日本シリーズは7戦まで延長18回まで、8戦以降を延長無制限。オープン戦での指名打者制は監督の同意があればセ・パ両リーグの本拠地球場での採用を可能とする、などを決定[2]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

  • 6月2日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対大洋9回戦の七回裏に12号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成[34]
  • 6月5日 - 神宮球場にてヤクルト対中日5回戦で中日がヤクルトに9-6で勝利し、球団通算3000勝を達成[35]
  • 6月7日
    • 阪急の弓岡敬二郎が対ロッテ9回戦の七回表に犠打を決め、プロ通算200犠打を達成。パ・リーグの選手で史上初めて通算200犠打の達成者となった[36]
    • 阪神の竹之内雅史打撃コーチが札幌でチームの打撃不振を理由に球団に辞意を表明[37]
  • 6月11日
    • 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対大洋9回戦に出場し、メジャー・リーグのルー・ゲーリッグの記録と並ぶ2130試合連続出場を達成[38]
    • 藤崎台県営野球場で行われた巨人対中日12回戦で7回2死二塁の場面で、中日の宮下昌己の初球がウォーレン・クロマティのヘルメットに直撃し、これに激昂したクロマティが宮下に殴りかかり、両チーム入り乱れての乱闘となる。クロマティは退場処分を受け、殴られた宮下はその後の乱闘もあり、全治10日間のけが。試合は5-1で巨人が勝利[39][40]
  • 6月12日 - 巨人は11日の中日戦で乱闘騒ぎを起こしたウォーレン・クロマティに対し12日から謹慎5日間、罰金30万円の処分を課したと発表[41]
  • 6月13日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対中日10回戦に出場して2131試合連続出場を達成し、ルー・ゲーリッグの持つメジャー記録の2130試合連続試合出場の記録を更新[42]
  • 6月14日 - 広島の衣笠祥雄が徳山市野球場での対中日11回戦の4回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算2500安打を達成。史上4年目。また、20年連続2桁本塁打は王貞治野村克也の21年連続に次ぐもので、張本勲に並んだ[43]
  • 6月15日 - 政府は連続試合出場の新記録を達成した広島の衣笠祥雄に対し国民栄誉賞を贈ることを決定[44]
  • 6月16日
    • 南海の門田博光が前橋で行われた日本ハム対南海9回戦の七回表一塁走者として加藤英司の本塁打で生還し、プロ通算1000得点を達成[45]
    • 広島のリチャード・ランスが神宮球場での対ヤクルト8回戦の3回表に21号本塁打を放ち、6試合連続本塁打の球団タイ記録を達成[46]
    • 阪神の竹之内雅史打撃コーチが甲子園球場内の球団事務所で岡崎義人球団社長と会談し、正式に退団が決定した[47]
  • 6月19日 - 南海の山村善則が川崎球場での対ロッテ11回戦の一回表に3号満塁本塁打を放ち、これがパ・リーグ通算500満塁本塁打となる[48]
  • 6月23日 - 巨人の原辰徳が後楽園球場での対阪神10回戦の九回裏に16号2点本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[49]
  • 6月25日 - 広島の高橋慶彦が広島市民球場での対中日14回戦の五回裏に二盗を決め、プロ通算400盗塁を達成[50]

7月[編集]

  • 7月4日 - 巨人の篠塚利夫が甲子園球場での対阪神14回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[51]
  • 7月8日
    • 巨人の桑田真澄が札幌円山球場での対広島11回戦で勝利投手となってシーズン10勝目を挙げ、1967年の江夏豊堀内恒夫が記録して以来の20年ぶり10代での2ケタ勝利を記録[52]
    • 5月23日に柏崎で日没サスペンデッドゲームとなった南海対ロッテ7回戦の続きが、八回表ロッテの攻撃の一死無走者の場面で平和台球場にて再開される。試合は5対4で南海がサヨナラ勝ち[53]
  • 7月18日 - 阪神の掛布雅之が対中日16回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[54]

8月[編集]

  • 8月5日 - 第五十八回都市対抗野球大会が13時より後楽園球場で行われ、浜松市代表のヤマハが川崎市の東芝を4対3で破り優勝[55]
  • 8月8日 - 阪急のブーマー・ウェルズ藤井寺球場での対近鉄16回戦の三回表に20号本塁打を放ち、プロ野球通算150本塁打を達成[56]
  • 8月9日 - 中日の近藤真一がナゴヤ球場で対巨人19回戦に先発登板し、日本プロ野球史上初の公式戦初登板でのノーヒットノーランを達成[57][58]
  • 8月11日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対ヤクルト15回戦の4回裏に13号本塁打を放ち、プロ通算500本塁打を達成。史上5人目[59]
  • 8月21日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、大阪府代表のPL学園が茨城県代表の常総学院に5-2で勝利し、史上4校目の春夏連覇を達成。
  • 8月22日 - 大洋の斉藤明夫が横浜スタジアムでの対広島17回戦の八回表にリチャード・ランスから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[60]
  • 8月23日 - 巨人の山倉和博が神宮球場での対ヤクルト22回戦の七回表に16号2点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[61]
  • 8月24日 - 阪急の山田久志が西宮球場での対西武18回戦の四回表に清原和博から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[62]
  • 8月26日
    • 南海の門田博光が大阪球場での対西武18回戦の三回裏に二塁打を放ち、プロ通算2000安打を達成[63]
    • 中日の小松辰雄がナゴヤ球場での対ヤクルト15回戦の2回表に荒木大輔から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上73人目[64]
  • 8月27日 - 阪急の佐藤義則が西宮球場での対近鉄19回戦の八回表にベン・オグリビーから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を記録[65]
  • 8月29日 - 南海の加藤英司が大阪球場での対近鉄18回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[66]
  • 8月30日 - 横浜スタジアムでの大洋対ヤクルト21回戦にてヤクルトは七回表に荒井幸雄渋井敬一杉浦享によるセ・リーグ新記録の3者連続三塁打。1イニング3三塁打はセのタイ記録[67]

9月[編集]

  • 9月8日 - 南海の門田博光が西武球場での対西武20回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[68]
  • 9月10日 - 阪急の石嶺和彦が藤井寺球場での対近鉄22回戦の七回表に28号本塁打を放ち、パ・リーグ記録となる6試合連続本塁打を記録[69]
  • 9月11日 - ヤクルトの角富士夫が神宮球場での対巨人23回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[70]
  • 9月14日 - 初の開催となるジュニア日本選手権が平塚球場で行われ、巨人が、中日に9-0で勝利し、初の二軍日本一達成、MVPは加茂川重治[71]
  • 9月15日 - 近鉄の大石大二郎が登録名を「大石第二朗」に変更[72]
  • 9月17日 - 中日の大島康徳がナゴヤ球場での対大洋26回戦の六回裏に代打で出場して12号3点本塁打を放ち、これで通算代打本塁打が16となり淡口憲治の持つセ・リーグ最多代打本塁打15を更新[73]
  • 9月19日 - 阪神の永尾泰憲弘田澄男が球団と甲子園球場にて今後の進退について話会い、永尾、弘田ともに引退を申し入れ、球団は了承[74]
  • 9月20日 - ロッテの村田兆治が川崎球場での対西武22回戦の三回表に石毛宏典から三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[75]
  • 9月21日 - 広島の衣笠祥雄が広島市中央区の広島グランドホテルにて13時過ぎより記者会見し、現役引退を発表[76]
  • 9月29日 - 広島の北別府学が甲子園球場での対阪神25回戦に先発して勝利投手となって9勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[77]

10月[編集]

  • 10月1日 - 後楽園球場での日本ハム対西武25回戦で日本ハムが五回裏に一死後、田中幸雄から早川和夫まで9者連続安打のパ・リーグタイ記録[78]
  • 10月8日 - 中日の宇野勝が甲子園球場での対阪神26回戦の一回表に中前安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[79]
  • 10月9日 - ナゴヤ球場での中日対広島26回戦で中日が広島に0-2で敗れたため、巨人の4年ぶりセ・リーグ優勝が決まる[80]
  • 10月10日 - 藤井寺球場での近鉄対西武25回戦で西武が近鉄を9-7で破り、リーグ優勝決める[81]
  • 10月12日
    • 阪神は大阪市北区の阪神電鉄本社で9時半から役員会議を開き、監督の吉田義男を解任を決定。20時45分正式に発表[82]
    • ヤクルトの梶間健一がナゴヤ球場での対中日25回戦で平野謙から三振を奪いプロ通算1000奪三振[83]
  • 10月15日 - 南海の加藤英司が大阪球場内の会議室で記者会見し、現役引退を発表[84]
  • 10月16日
    • 阪神は新監督に村山実、ヘッドコーチに田宮謙次郎が就任したと発表[85]
    • ロッテの牛島和彦が大阪球場での対南海26回戦で24セーブ目をあげ、パ・リーグタイ記録の8試合連続セーブ[86]
  • 10月18日
    • 後楽園球場での公式戦通算7127試合目でセ・リーグ最後の公式戦となる巨人対広島戦が行われる。4回に吉村禎章の打席で球審の山本文男がカウントを間違え2ストライク4ボールから、吉村が30号本塁打を放つ[87]。この本塁打は球場シーズン公式戦史上10416本塁打目で最後の本塁打となった。試合は5-2で広島が勝利。
    • 南海の門田博光が西宮球場での対阪急26回戦で3四球、プロ通算1000四死球を達成[88]
  • 10月19日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースビリー・マーチンの監督就任を発表。マーチンはこれでヤンキースの監督に5度目の就任となる[89]
  • 10月22日
    • セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了、首位打者はセ・リーグ史上初めて同率で正田耕三と篠塚利夫が獲得[90]
    • 広島の衣笠祥雄が公式戦最終戦130試合目の横浜スタジアムでの対大洋26回戦に出場し、連続試合出場記録は2215試合となった[91]
    • 近鉄の監督の岡本伊三美が大阪市内の近鉄本社へ今シーズンの報告と監督辞任を申し出、了承される[92]
  • 10月23日 - 近鉄は天王寺区の都ホテルにて記者会見し、新監督にヘッドコーチの仰木彬が就任したと正式に発表[93]
  • 10月25日 - 【MLB】ワールドシリーズの第7戦が行われミネソタ・ツインズセントルイス・カージナルスを4-2で下し、球団創設初のワールドチャンピオンの座についた。シリーズMVPはフランク・バイオーラ[94]
  • 10月27日 - 沢村栄治賞の選考が12時からパレス・ホテルで行われ、巨人の桑田真澄が選出される[95]
  • 10月28日
    • ロッテはレロン・リーを自由契約にしたと発表、西新宿のロッテ本社でお別れ会見を開いた[96]
    • ヤクルトの渡辺進が球団に今季限りでの引退を申し入れ、了承される[97]
  • 10月30日 - この日の日本シリーズ第5戦が後楽園球場最後の日本プロ野球公式戦となる。

11月[編集]

  • 11月1日 - 日本シリーズの第6戦が西武球場で行われ、西武が巨人を3-1と下し、対戦成績を4勝2敗として巨人を破り、2年連続の日本一[98]。シリーズMVPは2年連続で工藤公康
  • 11月2日
  • 11月3日 - この日から6日間にわたり後楽園球場で「さようなら後楽園球場」と題した閉場記念イベントが開催された。
  • 11月4日
    • プロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決定する記者投票の開票が行われ、最優秀選手にパ・リーグは西武の東尾修、セ・リーグは巨人の山倉和博。最優秀新人にパ・リーグは近鉄の阿波野秀幸、セ・リーグはヤクルトの荒井幸雄が選出される[101]
    • 日本ハムはパット・パットナムを自由契約にしたと発表[102]
  • 11月5日 - 広島は木下富雄新美敏が現役引退し、それぞれ一軍守備走塁コーチ、投手コーチ補佐に就任したと発表[103]
  • 11月6日 - 日本ハムの岡部憲章と阪神の藤原仁のトレードが成立したと日本ハム・阪神両球団が発表[104]
  • 11月8日 - 「読売巨人軍ファン感謝デー」開催をもって後楽園球場が閉場した。
  • 11月9日 - 正力松太郎賞の選考が都内のホテルで行われ、西武の工藤公康を選出[105]
  • 11月10日 - 大洋は二軍投手チーフコーチに山根俊英、一軍投手コーチに前阪神コーチの野村収が就任したと発表[106]
  • 11月12日
    • 巨人は東京・紀尾井町のホテル・ニューオータニ「鶴東の間」にて15時より記者会見し、江川卓の現役引退を正式に発表[107][108]
    • プロ野球協約専門委員会が開かれ、来年より延長戦についてこれまでの時間制(セ・リーグ3時間20分、パ・リーグ3時間)からセは延長12回、パは12回か4時間の早い方で打ち切りと決定[109]
    • ロッテは二軍投手コーチの若生智男の退団を認める。若生は阪神一軍投手コーチ就任へ[110]
  • 11月18日
    • 1987年度のプロ野球新人選択会議が11時から東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、立教大学の長嶋一茂はヤクルト、PL学園の立浪和義が独占交渉権を獲得[111]
    • 巨人は東京・大手町の球団事務所にて松本匡史の今季限りでの現役引退を正式に発表[112]
    • 【MLB】米国野球記者協会はナ・リーグの最優秀選手にカブスのアンドレ・ドーソンを選出したと発表。この年カブスは東地区最下位であり、史上初めて最下位チームからの選出となった[113]
  • 11月20日 - 大洋の平田薫とヤクルトの岩下正明のトレードが成立したと大洋、ヤクルト両球団が発表[114]
  • 11月21日
  • 11月26日 - 阪急は取締役会を開き、オーナーの柴谷貞雄、球団社長の岡田栄の退任、後任にそれぞれ本社社長の小林公平、阪急電鉄事業部長の土田善久の就任を決定[117]

12月[編集]

  • 12月4日 - 巨人は大阪・北区の読売新聞大阪本社会議室にて阪急の簑田浩二を金銭トレードで獲得したと正式に発表[118]
  • 12月10日 - 阪神の長崎啓二の任意引退が決定[119]
  • 12月14日 - 西武の東尾修がさる8月6日に港区麻布のマンションにてマージャン賭博に参加していた疑いで警視庁捜査四課と大崎警察署に書類送検されていたことが明らかになる[120]
  • 12月21日 - 西武はマージャン賭博に参加していた東尾修に対し、12月21日から来年6月20日までの謹慎6カ月、減俸2500万円。球団代表の坂井保之と管理部長の根本陸夫に対し管理不行き届きで今月から1年間10%の減俸を科したと発表[121]

誕生[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

死去[編集]

その他[編集]

テレビゲーム

出典[編集]

  1. ^ 読売新聞1987年1月23日17面「金田・長島の野球殿堂入りまた見送り」読売新聞縮刷版1987年1月p869
  2. ^ 読売新聞1987年1月28日17面「オープン戦DH採用もOK プロ野球実行委」読売新聞縮刷版1987年1月p1079
  3. ^ 読売新聞1987年3月23日夕刊19面「掛布選手、飲酒運転で逮捕」読売新聞縮刷版1987年3月p949
  4. ^ 読売新聞1987年3月24日17面「来季は4月6日開幕」読売新聞縮刷版1987年3月p967
  5. ^ 読売新聞1987年3月28日28面「阪神主砲"連続アウト" バース 飛ばし過ぎ」読売新聞縮刷版1987年3月p1165
  6. ^ 読売新聞1987年4月2日夕刊15面「パ・リーグ会長 元共同通信社長 福島慎太郎氏が死去」読売新聞縮刷版1987年4月p89
  7. ^ a b 読売新聞1987年4月10日17面「プロ野球 開幕前日の衝撃 高橋(広島)2週間謹慎、欠場 激励会、練習ボイコット」読売新聞縮刷版1987年4月p413
  8. ^ 【4月8日】1987年(昭62) 開幕2日前 広島“内乱”オーナー代行激怒「出なくていい」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月11日). 2015年12月24日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ 読売新聞1987年4月13日8面「阪急が2500勝」読売新聞縮刷版1987年4月p524
  10. ^ 「通算100号本塁打」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月15日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  11. ^ 「1000試合出場」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月15日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  12. ^ 読売新聞1987年4月16日17面「ホーナー、ヤクルトと正式契約」読売新聞縮刷版1987年4月p661
  13. ^ 「巨人600勝は2球団目」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月25日付朝刊、19面(スポーツ面)。
  14. ^ 読売新聞1987年4月26日17面「田島の現役登録抹消 コーチに暴言」読売新聞縮刷版1987年4月p1125
  15. ^ 「田島投手、三日間謹慎」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月26日付朝刊、23面(スポーツ面)。
  16. ^ 「1000試合出場」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月26日付朝刊、22面(スポーツ面)。
  17. ^ 「門田が3500塁打」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月26日付朝刊、23面(スポーツ面)。
  18. ^ 読売新聞1987年4月27日8面「広島まさかの連敗 角が決勝の100号」読売新聞縮刷版1987年4月p1148
  19. ^ 読売新聞1987年4月30日17面「巨人・篠塚が1000本安打」読売新聞縮刷版1987年4月p1261
  20. ^ 読売新聞1987年5月3日17面「星野監督"暴力"退場 タッチめぐり伊勢コーチも 杉本沈着、初完投」読売新聞縮刷版1987年5月p101
  21. ^ 読売新聞1987年5月3日16面「南海・門田が300二塁打」読売新聞縮刷版1987年5月p100
  22. ^ 読売新聞1987年5月3日17面「大洋も14安打 阪神8連敗」読売新聞縮刷版1987年5月p101
  23. ^ 読売新聞1987年5月5日17面「阪神・真弓明信外野手(三三)が通算200号本塁打」読売新聞縮刷版1987年5月p157
  24. ^ 読売新聞1987年5月8日16面「加藤英2000本安打を達成 旧友・山田から記念アーチ」読売新聞縮刷版1987年5月p254
  25. ^ 【5月7日】1987年(昭62) 渡り歩いて5球団…加藤英司、古巣の同期から2000本安打”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年5月11日). 2015年12月24日閲覧。
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  27. ^ 読売新聞1987年5月16日15面「リー、1500本安打 ハムは5連勝」読売新聞縮刷版1987年5月p603
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