2001年の横浜ベイスターズ

2001年の横浜ベイスターズ
成績
セントラル・リーグ3位
69勝67敗4分 勝率.507[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市中区
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 中部慶次郎
経営母体 マルハ
監督 森祇晶
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2001年の横浜ベイスターズ(2001ねんのよこはまベイスターズ)では、2001年横浜ベイスターズの動向をまとめる。

この年の横浜ベイスターズは、森祇晶監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

1998年マシンガン打線を擁して優勝に導いた権藤博前監督の勇退を受け、森祇晶が後任の監督に就任。森新監督は機動力とサインプレー重視の野球でチーム再建を図り3年ぶりの優勝を狙うが、それまでの放任野球からの転換に選手が慣れず開幕ダッシュに失敗。それでもチームは6月に12勝9敗と勝ち越すと、7月には12勝4敗1分の貯金8で終了。8月以降は中日がAクラス争いから離脱し、広島との一騎打ちとなるが最終的に勝ち星で振り切り、勝率は4位の広島より7厘低いも関わらずこの年のみ勝ち数優先というルール恩恵を受け5年連続のAクラス、3年連続3位となった。投手陣は小宮山悟三浦大輔などが奮闘し、チーム防御率は3.75でリーグ3位とまずまずだった。打撃陣はマシンガン打線のメンバー駒田徳広が引退、ロバート・ローズも退団したことで打線に陰りが見え始めるが、それでも二塁打と盗塁、犠打はリーグ2位、チーム打率は.267で3年連続リーグ1位から4位まで落ち、チーム得点もリーグ4位だった。対戦成績ではAクラスを争った広島に18勝9敗1分と勝ち越したが、優勝のヤクルトや2位の巨人には負け越した。オフには1989年入団以来、正捕手として君臨した谷繁元信が森監督との確執で中日にFA移籍。高木豊内野守備走塁コーチは1年で退団した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 金城龍彦
2 石井琢朗
3 小川博文
4 鈴木尚典
5 中根仁
6 ドスター
7 佐伯貴弘
8 谷繁元信
9 小宮山悟
2001年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 17勝 -- 巨人 31勝 -- 巨人 42勝 -- ヤクルト 48勝 -- ヤクルト 63勝 -- ヤクルト 76勝 --
2位 ヤクルト 13勝 2.0 ヤクルト 27勝 1.0 ヤクルト 40勝 -2.5 巨人 48勝 5.0 巨人 62勝 7.5 巨人 75勝 3.0
3位 中日 13勝 4.0 中日 26勝 3.0 中日 33勝 7.0 横浜 41勝 8.0 横浜 51勝 13.5 横浜 69勝 8.0
4位 阪神 11勝 6.0 広島 22勝 5.0 広島 30勝 6.0 中日 41勝 9.0 中日 51勝 15.0 広島 68勝 7.5
5位 広島 10勝 5.0 阪神 19勝 10.0 横浜 29勝 10.0 阪神 39勝 12.5 広島 49勝 13.5 中日 62勝 15.0
6位 横浜 9勝 7.0 横浜 17勝 11.0 阪神 28勝 12.5 広島 36勝 10.5 阪神 47勝 14.5 阪神 57勝 20.5

※このシーズンは勝利数優先で順位を決定。


2001年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 ヤクルトスワローズ 76 58 6 .567 優勝
2位 読売ジャイアンツ 75 63 2 .543 3.0
3位 横浜ベイスターズ 69 67 4 .507 8.0
4位 広島東洋カープ 68 65 7 .511 7.5
5位 中日ドラゴンズ 62 74 4 .456 15.0
6位 阪神タイガース 57 80 3 .416 20.5

*順位は勝率に関係なく勝利数順で決定


オールスターゲーム2001[編集]

  • コーチ
森祇晶
  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
斎藤隆
谷繁元信
鈴木尚典
佐伯貴弘

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
石井琢朗 最多安打 174本 3年ぶり2度目
木塚敦志 最優秀中継ぎ投手 28.40RP 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
石井琢朗 遊撃手 5年連続5度目
ゴールデングラブ賞
選出なし

ドラフト[編集]

順位 選手名 守備 所属 結果
1巡目 秦裕二 投手 智辯学園高 入団
2巡目 (選択権なし)
3巡目 小田嶋正邦 捕手 東海大学 入団
4巡目 岡本直也 投手 岡山理科大学附属高 入団
5巡目 田崎昌弘 投手 JR九州 入団
6巡目 千葉英貴 投手 日本大学第三高 入団

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]