TK state

TK state」(ティーケーステート)とは1994年から2000年まで運営されていた小室哲哉の個人事務所である。正式名称は「TETSUYA KOMURO state」である。小室の実父が代表取締役を務め、小室も取締役に名を連ねていた[1]。専務取締役として、TM NETWORKデビュー時からの付き合いであり、ヤマハの渋谷の営業部に配属していた道免友彦の名もある[2][3]

来歴[編集]

1992年に前進となる「OPERA GIG」が設立され[4]、1994年に「TK state」に改名[5]

系列事務所[編集]

TK MUSEUM[編集]

MUSEUM
出身地 日本の旗 日本
ジャンル テクノ
レイヴ
ラップ
ドラムンベース
活動期間 1998年
レーベル ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ
事務所 TK state
共同作業者 原田大三郎VJ
メンバー 小室哲哉シンセサイザー
マーク・パンサーボーカル
OLIVIA (ボーカル)
DJ DRAGON (DJ)
  • 中日邦交正常化25周年記念ライブツアー「TK Presents GROOVE MUSEUM」では音楽ユニットMUSEUM」としての側面もあった[6]。最初は小室、マーク・パンサーOLIVIADJ DRAGONの4人からなる構成[7]であり、その後原田大三郎を加えその5人を固定メンバーとして、中国・香港の現地歌手との流動的なコラボレーションを中心にした世界展開プロジェクトを行う音楽ユニットを「MUSEUM project」名義で継続・兼任する企画もあった(この企画は諸事情で中止になるが、後にGABALLTKCOMで結実する)。

TK state America MUSEUM[編集]

TK SEQUENCE[編集]

  • 正式名称は「tetsuya komuro SEQUENCE 1101〜5」である。「True Kiss Disc Studios 1101〜5」とも表記された。
  • 主に小室個人所有のレコーディングスタジオの運営・管理・機材購入を行っていた。DJ KOOも設営・機材の選別に関わっていた[8]
  • 東京のマンションのフロアを5部屋借り切る形で設立され、トイレ・エレベーターを含む各階・各部屋全てにテレビモニターをつけて、どこからでもボーカル・コーラスを録れる様にした[9]
  • 小室の「東京のスタジオのレンタル料金は世界一高い。1時間5万円はかかる。6時間借りて、且つエンジニアへのギャランティ・機材のレンタル料金・スタッフの食事代も入れると1日50万円はすぐに超えてしまう。だから私有スタジオを作った方が結果的にリーズナブル」という経験が本格的にプライベートスタジオを所有する切っ掛けになった。機材・設備も小室の自費で揃え、設立するための初期投資の総経費は2億5千万~2億7千万円はかかっている[10]
  • 1997年に以前から存在していた「TK Sequence 1103」が小室の助力もあり、久保こーじ専用のプライベートスタジオとして運営されていた[11]

TK SEQUENCE America[編集]

  • Kiss Destinationのレコーディングスタジオとして使用していた。

TK ENTERTAINMENT SERVE[編集]

  • TK E SERVE」と略することもあった。
  • 小室プロデュース作品のプロモーションビデオ・CMの制作とプロデュースを取り仕切っていた[3]
  • イベント限定音楽ユニットであったtk-trapのプロデュースを行っていた。
  • 華原朋美のヒストリービデオ「HOW TO MAKE TOMOMI KAHALA 華原朋美はいかにして華原朋美となり得たか」の制作を行った。

Prime Direction TK Room[編集]

  • 当時の小室の本所属先であるアンティノス・マネジメントからの業務委託で、1996年以降のエイベックス発の小室プロデュース作品の原盤・映像制作、小室の周囲の予算・情報・版権の管理を担当していた[3]

tetsuya komuro rise[編集]

  • TK rise」と略することもあった。
  • 1995年3月に設立[3]
  • 主に華原朋美・木根尚登・久保こーじ[3]・阿部薫[12]のプロデュース・マネジメント・コーディネート業務を行っていた。
  • 華原に関しては「Prime Direction TK Room」に業務委託し、エイベックスと共同で行っていた[3]

かつて所属していたアーティスト[編集]

出典[編集]

  1. ^ 文藝春秋刊 『週刊文春』 1998年6月25日号「小室哲哉が"新居予定地"を3億3千万円で売却した! 華原朋美との関係に終止符?」pp.195-197より。
  2. ^ 講談社刊「Views」1995年6月号「小室哲哉の『ミラクル』全角度研究」pp.64-65より。
  3. ^ a b c d e f 講談社刊『Views』1996年8月号「“小室哲哉利権” 500億円に食らいついた音楽ビジネスの『巨人』」28P-35Pより。
  4. ^ a b リットーミュージック刊『ギター・マガジン』2019年11月号『Special Interview 小室サウンドを一手に担ったスゴ腕職人 松尾和博』120Pより。
  5. ^ a b ソニー・マガジンズ刊『ギターブック』1996年2月号「小室哲哉&久保こーじ 音楽工房の頭脳と心臓」p.13より。
  6. ^ ソニー・マガジンズ刊小室哲哉「first step in asia」より。
  7. ^ SPG-What's New? Artist Informationより。
  8. ^ “DJ KOOインタビュー#2 伝説の“小室スタジオ”では「TRFがレコーディングする側で、篠原涼子ちゃんや安室奈美恵ちゃんが…」”. ザテレビジョン. (2020年3月8日). https://thetv.jp/news/detail/225905/1414256/ 2020年5月12日閲覧。 
  9. ^ 角川書店刊『月刊カドカワ』1994年12月号「小室哲哉 疾走するヴィジョン」114Pより。
  10. ^ 集英社刊「Bart」1995年3月13日号「小室哲哉 『今は、勝てる勝負しかしていない』」36P-41Pより。
  11. ^ “「1997年 10大ニュース」”. BUZZ LEAGUE. (1998年2月8日). https://web.archive.org/web/19980705153200/http://www.komuro.org/bl/arst/cozy/980209-j.htm 2020年5月23日閲覧。 
  12. ^ a b ソニー・マガジンズ刊「ギターブック」1997年8月号「GB CHANNEL 1997」p.171より。
  13. ^ a b c 日経BP刊『日経エンタテインメント!』1998年8月号「小室哲哉通信 第7回 フジ月9&TBS金ドラ主題歌音楽界初の同時提供へ」pp.156-157より。
  14. ^ クレタパブリッシング刊「昭和50年男」May Vol.004「シーンを刷新し続けたエピック・ソニーとブームへの布石を築きはじめた小室哲哉」16Pより。
  15. ^ PlayStation用ソフト「GABALL SCREEN」説明書より。

外部リンク[編集]