ネイロス

ネイロス
Νειλος
河神
ローマカンプス・マルティウスから発見されたナイル川の擬人像。ヴァチカン美術館所蔵
住処 ナイル川
オーケアノステーテュース
兄弟 ポタモイアルペイオスエーリダノスアケローオスシモエイスペーネイオスラードーンスカマンドロス)、オーケアニデス
子供 メムピスアンキノエーアニッペーエウリュッロエーエウローペー
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アスワン近くのナイル川。

ネイロス古希: Νειλος, Neilos, : Nilus)は、ギリシア神話の神である。エジプトを流れるナイル川河神で、大洋神オーケアノステーテュースの3000の子供の1人[1][2]。娘メムピスアンキノエー[3]アニッペー[4]エウリュッロエーエウローペーの父[5]

概要[編集]

ナイル川について最初に言及した古代ギリシアの詩人はホメーロスである[6][7]。ネイロスはヘーシオドスの『神統記』の中でオーケアノスの子供である諸河の中で最初に名前が挙げられている[1]ヒュギーヌスではトラーキア地方の河神ストリューモーンに次いで挙げられている[2]シケリアのディオドーロスによると川の名前はエジプト王ネイレウスに由来する[8]

古代ではナイル川について様々な言説があった。アトラース山の麓には3つの泉があり、その水は川とならずに砂の中に消えるが[9]、この水が再び現れてナイル川になるとか[10]メソポタミア地方のエウフラテス川が再び地上に現れてナイル川になり、さらにその水がアポローンの聖地デーロス島に現れてイノーポス川になると考えられた[11]。あるいはナイル川は大陸を取り巻くオーケアノスから流れ出ており、それゆえ増水するという[12]。もっとも、エジプト人によればオーケアノスとはナイル川のことに他ならなず[13][14][15]、神々が誕生したのもこの川の近くであった[13]。ナイル川を増水させるのはオシリスの死を悲しむ女神イシスの涙であるとも言われた[16]

娘のうちメムピスはイーオーゼウスの子エパポスと結婚し、リビュエーを生んだ。リビュエーはポセイドーンとの間に双生児アゲーノールベーロスを生み、ベーロスとアンキノエーから双生児ダナオスアイギュプトス[3]ケーペウスピーネウスが生まれた[17]。一説によると、アイギュプトスはネイロスの娘エウリュッロエーとの間に50人の息子を、ダナオスはエウローペーとの間に50人の娘をもうけた[5]。さらに一説によるとアニッペーはポセイドーンとの間に暴虐なエジプト王ブーシーリスを生んだ[4]

シケリアのディオドーロスによると、エジプトのある王が自分の娘の名前にちなんだ都市メムピスを創建したが、ナイルの河神は王の娘に恋して牡牛となり、彼女との間にアイギュプトスをもうけた[18]

ナイル川の河神は古代から神像が作られていたが、パウサニアースによると他の河神は白い大理石で像が制作されたのに対して、ナイル川はエティオピアを流れるために、黒い石で神像が制作されたと述べている[19]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b ヘーシオドス『神統記』377行-378行。
  2. ^ a b ヒュギーヌス、序文。
  3. ^ a b アポロドーロス、2巻1・4。
  4. ^ a b プルタルコス『対比小話集』38”. Perseus Digital Library. 2022年6月25日閲覧。
  5. ^ a b ヨハネス・ツェツェース『キリアデス』7巻37”. Theoi Project. 2022年6月25日閲覧。
  6. ^ 『オデュッセイアー』4巻581行。
  7. ^ 『オデュッセイアー』14巻257行-258行。
  8. ^ シケリアのディオドーロス、1巻36・1。
  9. ^ パウサニアース、1巻33・5。
  10. ^ パウサニアース、1巻33・6。
  11. ^ パウサニアース、2巻5・3。
  12. ^ ヘーロドトス、2巻21。
  13. ^ a b シケリアのディオドーロス、1巻12・6。
  14. ^ シケリアのディオドーロス、1巻19・4。
  15. ^ シケリアのディオドーロス、1巻96・7。
  16. ^ パウサニアース、10巻32・18。
  17. ^ エウリーピデース断片(アポロドーロス、2巻1・4による引用)。
  18. ^ シケリアのディオドーロス、1巻51・3。
  19. ^ パウサニアース、8巻24・12。

参考文献[編集]