三井電気軌道

三井電気軌道株式会社(みいでんききどう)は、大正時代に福岡県久留米市朝倉郡甘木町(現・朝倉市)および八女郡福島町(現・八女市)を結ぶ私鉄を建設・運営した鉄道事業者電気事業者である。

1912年(明治45年)設立で、1913年(大正2年)以降順次路線を建設した。1924年(大正13年)に西日本鉄道(西鉄)の前身の鉄道会社の一つである九州鉄道(2代目。以下同じ)に吸収合併された。路線は後の西鉄甘木線および西鉄福島線(1958年廃止)にあたる。

沿革[編集]

会社設立から全通まで[編集]

三井電気軌道は1912年(明治45年)4月23日、資本金100万円で福岡県三井郡北野町(2005年久留米市へ編入)に設立された[1]。初代社長となった北野町の素封家で北野町長を務めた鈴木利十が中心となって設立したもので、前年1911年(明治44年)8月10日付で北野町から久留米市内(久留米駅前)・朝倉郡甘木町(現・朝倉市)・佐賀県三養基郡鳥栖町(現・鳥栖市)の3方向へ至る軌道敷設特許を取得し、さらに同年10月4日付で久留米市から八女郡福島町(現・八女市)へ至る区間の特許も取得していた[1]。これらの路線は、計画当時に存在した国鉄二日市駅と甘木町を結ぶ朝倉軌道、羽犬塚駅と福島町を結ぶ南筑軌道とは別個に、筑後地方の中心都市である久留米市と甘木町・福島町を短距離で結ぶ電気鉄道を敷設することを目的としていた。

最初に着工されたのは福島線で、久留米市内の日吉町駅から福島駅までの7マイル56チェーン(12.39キロメートル)が1913年(大正2年)7月18日に開業した[1]。路線の規格は軌間1,435ミリメートル直流600ボルト電化である[1]。続いて北野線が着工され、1915年(大正4年)10月17日宮ノ陣駅から北野駅までの3マイル38チェーン(5.59キロメートル)も開業した[1]。開通当初、両線は離れて立地しており連絡はなかった[1]1916年(大正5年)9月27日、福島線が日吉町駅から先へ渕ノ上駅まで1マイル15チェーン(1.91キロメートル)延伸され[1]筑後川の南まで達した[2]

1915年2月、初期から計画されていた兼営の電気供給事業が開業した[1]。三井郡を中心に供給区域を広げ、短期間で発展、1917年ごろには先に開業した鉄道事業の収入に迫る収入をあげるようになった[1]

北野線を甘木駅まで延伸するに際しては、第一次世界大戦による資材価格高騰の影響を受け建設費節約を目的に1917年(大正6年)1月に軌間914ミリメートルの非電化(蒸気運転)へと規格を落とす許可を受けた[1]。しかし大戦後に他線区と同じ元の規格に戻し、1921年(大正10年)12月8日に北野・甘木間7マイル69チェーン(12.65キロメートル)の開業に漕ぎ着けた[1]。最後に開通したのは両線を繋ぐ宮ノ陣駅から渕ノ上駅までの15チェーン(0.30キロメートル)で、1924年(大正13年)3月13日に開業し、これにて甘木から福島まで全線開通に至った[3]。最後の区間は筑後川を渡る地点で、「新宮の陣橋」に併用軌道を敷設することで開業している。

九州鉄道への吸収合併[編集]

1924年4月12日、九州鉄道が後の西鉄天神大牟田線の一部にあたる福岡 - 久留米間を開通させた。このとき、九州鉄道線の宮ノ陣 - 久留米間にて三井電気軌道の路線との平面交差が生じた[4]。交差地点には連動装置が設置されたものの、九州鉄道では両路線の連絡をより円滑にするには合併が望ましいと判断[4]。これが理由の一つとなって1924年6月30日付(7月10日付合併登記)で九州鉄道は三井電気軌道を合併した[4]

鉄道輸送上の理由以外にも、三井電気軌道が三井郡を中心に展開する電気事業関連の事柄も合併の理由となった[4]。その一つは、九州鉄道が不動産事業の展開を目指していた地域に三井電気軌道の供給区域があり、不動産業と電気事業の統一的運営が沿線開発の上で重要と考えたことによる[4]。さらにもう一つ、三井電気軌道が1920年2月に九州水力電気と受電契約を締結したため、同社と競合会社でなおかつ九州鉄道の親会社である東邦電力(旧・九州電灯鉄道、元々三井電気軌道への電力供給を担当)が競合会社の割り込み阻止を図ったという事情もあった[4]。合併比率は三井電気軌道(合併時資本金200万円)1に対して九州鉄道1.1で、合併の結果九州鉄道の資本金は220万円を加えて870万円となった[4]

年表[編集]

以下、いずれも『西日本鉄道百年史』(2008年)の巻末年表を出典とする。

  • 1911年(明治44年)
    • 8月10日 : 発起人に対し北野町から久留米市京町・甘木町・鳥栖町の3方向へ至る路線の軌道敷設特許が下付される。
    • 10月4日 : 発起人に対し久留米市通町 - 福島町間の軌道敷設特許が下付される。
  • 1912年(明治45年)
    • 4月23日 : 三井電気軌道株式会社設立。
    • 8月10日 : 山川町山川 - 御井町旗崎間(現在はいずれも久留米市)の特許を取得(1915年2月2日失効)。
  • 1913年(大正2年)
    • 4月23日 : 久留米市京町 - 同市洗町間の特許を取得(1915年4月22日失効)。
    • 7月18日 : 日吉町駅 - 福島駅間12.4キロメートルの運輸営業開始。
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)
    • 9月27日 : 日吉町駅 - 渕ノ上駅間1.9キロメートルの運輸営業開始。
  • 1917年(大正5年)
    • 12月26日 : 1911年8月特許区間のうち未開業の宮ノ陣 - 鳥栖町間の特許失効。
  • 1919年(大正8年)
    • 5月26日 : 国分村西久留米 - 鳥飼村梅満間の特許を再取得。
  • 1921年(大正10年)
  • 1922年(大正11年)
  • 1923年(大正12年)
    • 2月19日 : 福島町 - 水田村船小屋間の特許を取得(1934年6月30日起業廃止)。
  • 1924年(大正13年)

路線[編集]

開業線[編集]

三井電気軌道の路線は甘木駅から宮の陣駅(現・宮の陣駅)を経て福島駅までを結んだ。沿線市町村は、朝倉郡甘木町馬田村(現・朝倉市)、三井郡本郷村大堰村(現・大刀洗町)・金島村・大城村北野町宮ノ陣村(現・久留米市)、久留米市、三井郡国分村上津荒木村(現・久留米市)、八女郡中広川村(現・広川町)・長峰村・福島町(現・八女市[6]。三井電気軌道時代の設置駅は以下の通り[7]

甘木駅 - 牛木駅 - 馬田駅 - 上浦駅 - 下浦駅 - 井堰駅 - 本郷駅 - 下本郷駅 - 大堰駅 - 染駅 - 安永駅 - 金島駅 - 高島駅 - 鏡駅 - 大城駅 - 二王丸駅 - 陣屋駅 - 中村駅 - 北野駅 - 中北野駅 - 明善寺駅 - 郡農会前駅 - 十郎丸駅 - 古賀茶屋駅 - 恋ノ段駅 - 富安駅 - 宮ノ陣学校前駅 - 五郎丸駅 - 将軍梅前駅 - 宮ノ陣駅 - 渕ノ上駅 - 櫛原駅 - 南薫駅 - 通外町駅 - 国道駅 - 寺町駅 - 通三丁目駅 - 蛍川駅 - 通五丁目駅 - 日吉町駅 - 広又駅 - 花畑駅 - 六軒屋駅 - 一丁田駅 - 特科隊前駅 - 八軒屋駅 - 上津荒木駅 - 二軒茶屋駅 - 野添駅 - 湯ノ楚駅 - 中広川駅 - 川瀬駅 - 古賀駅 - 吉田駅 - 福島駅

九州鉄道との合併により三井電気軌道の路線は同社の三井線となり、さらに1942年(昭和17年)の西鉄成立により西鉄三井線となったのち、1948年(昭和23年)に宮の陣 - 日吉町間が休止され(1952年廃止)路線が分断された。甘木 - 宮の陣間は甘木線に改称され現存する。日吉町 - 福島間は福島線に改称されたのち、1958年(昭和33年)に廃止された。

未成線[編集]

三井電気軌道では北野 - 鳥栖間のほか、久留米市周辺部に複数の路線の特許を有していたが、1917年(大正6年)までに失効した。また福島 - 水田村(現・筑後市)間および福島 - 光友村(現・八女市)間の路線の特許も取得していたが、九州鉄道合併後にいずれも失効している。特許取得線のうち合併後建設に至った区間として1919年(大正8年)に久留米市西部への延伸のため取得していた久留米市西町(旧三井郡国分村)から同市梅満へ至る区間があり、これは後に大川鉄道津福駅に接続するよう改められ、久留米 - 津福間(1932年12月開業)の建設に活用された[8]

このほか、三井電気軌道時代には甘木 - 上伊田(現・田川市)間や大隈町(現・嘉麻市) - 飯塚間に路線を建設する構想があり、並行路線となる両筑軌道との間で路線の買収契約も結んだが、いずれも九州鉄道への合併で実現せずに終わった[4]。加えて九州鉄道は三井電気軌道の合併にあたって北野 - 端間間に軌道路線を建設するかバスを運行することと、九州鉄道が大牟田へ延伸する際に福島経由とすることを条件に掲示していたが、これもすべて実現していない[4]

電気供給事業[編集]

三井電気軌道の電気供給事業は、1912年(明治45年)5月に事業経営許可を受け、1915年(大正4年)2月27日に開業した[5]1921年(大正10年)6月末時点での供給区域は以下の通り[5]

この供給事業は九州鉄道に引き継がれたのち、さらに西鉄に引き継がれたが、1943年(昭和18年)2月1日付で九州配電九州電力の前身)へ譲渡されている[9]

輸送・収支実績[編集]

年度 乗客
(人)
貨物量
(トン)
営業収入
(円)
営業費
(円)
益金
(円)
その他益金
(円)
その他損金
(円)
支払利子
(円)
1913 258,786 245 11,364 7,748 3,616
1914 454,714 1,748 37,012 15,304 21,708 利子918 2,379
1915 463,152 1,684 36,359 23,353 13,006 電気供給8,150利子1,286 電気供給4,118
1916 603,408 2,354 48,043 30,781 17,262 副業35,770利子2,797 副業9,743
1917 823,171 2,735 65,644 39,737 25,907 電気供給土地経営176,742 副業23,450
1918 894,863 2,593 79,355 46,747 32,608 69,740 37,566
1919 805,642 3,491 110,360 58,857 51,503 82,288 50,971
1920 924,313 2,321 145,533 84,013 61,520 120,228 53,746
1921 997,033 2,183 161,934 117,426 44,508
1922 1,554,557 17,758 268,140 133,955 134,185
1923 1,545,264 10,543 259,653 154,437 105,216 160,504 45,338 8,158
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『西日本鉄道百年史』23-24頁・巻末年表
  2. ^ 「久留米市街図」(駸々堂旅行案内部・1920年発行、福岡県立図書館デジタルライブラリ)より
  3. ^ 『西日本鉄道百年史』巻末年表
  4. ^ a b c d e f g h i 『西日本鉄道百年史』43-44頁
  5. ^ a b c 『電気事業要覧』第13回194-195頁。NDLJP:975006/127
  6. ^ 「福岡県管内図」(福岡県議会史編集室・1919年発行、福岡県立図書館デジタルライブラリ)より
  7. ^ 『日本鉄道旅行地図帳』12号39-40頁
  8. ^ 『西日本鉄道百年史』45頁
  9. ^ 『西日本鉄道百年史』105頁

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

  • 本邦道路橋輯覧 福岡県宮ノ陣橋を渡る電車(国立国会図書館デジタルコレクション)