品川言氏

 
品川 言氏
時代 江戸時代
生誕 明和5年(1768年
死没 文化6年(1809年
改名 品川高美→言氏
別名 三四郎、新六郎、内膳(通称
墓所 万昌院
幕府 江戸幕府高家
氏族 清和源氏大給松平家(分家)
→清和源氏足利氏今川氏庶流品川家
父母 父:松平近朝 母:松平近貞の娘
養父:品川氏維
高尚
テンプレートを表示

品川 言氏(しながわ ことうじ)は、江戸時代後期の高家旗本。初名は高美(たかよし)。

生涯[編集]

500俵を支給される旗本松平近朝の次男として生まれる。高家旗本品川氏維の養子となり、寛政4年12月1日(1793年)、将軍徳川家斉御目見する。寛政5年(1793年)4月22日、氏維の隠居により、26歳で家督を相続する。

寛政10年(1798年)3月2日、氏維が病気のため寄寓していた実兄の屋敷から逐電するという事件を起こす。このことに対する処分として、同年4月10日、慎みを命じられる。同年12月29日、出仕をとどめられる。

寛政重修諸家譜』編纂時の当主であり、「高美」の名で記載されている。生涯高家職に就くことのないまま、文化6年(1809年)死去した。42歳。

参考文献[編集]

  • 『寛政重修諸家譜』巻第九十四