妙義山

妙義山
標高 1,103.8 m
所在地 群馬県甘楽郡下仁田町富岡市安中市
位置 北緯36度17分55秒 東経138度44分56秒 / 北緯36.29861度 東経138.74889度 / 36.29861; 138.74889座標: 北緯36度17分55秒 東経138度44分56秒 / 北緯36.29861度 東経138.74889度 / 36.29861; 138.74889
妙義山の位置(日本内)
妙義山
妙義山の位置
プロジェクト 山
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妙義山(中央)の地形図

妙義山(みょうぎさん)は、群馬県甘楽郡下仁田町富岡市安中市の境界に位置する日本三大奇景の一つとされるである。いくつものピークから成り、最高峰は表妙義稜線上の相馬岳 (1,103.8m) で、また妙義山系全体の最高峰は裏妙義に聳える谷急山 (1,162.1m) となっている。

概要[編集]

赤城山榛名山と共に上毛三山の一つに数えられる妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称で、南側の表妙義と北側の裏妙義に分かれている。特に下仁田側から眺望できる金洞山 (1,094m) は別名中之嶽と呼ばれ、親しまれてきた。奇岩がいたるところに見られる妙義山の中でも中之嶽の景色は、中腹を巡る第1石門から第4石門を始め、ロウソク岩・大砲岩・筆頭岩・ユルギ岩・虚無僧岩といったユニークな名前の岩石群は日本屈指の山岳美と讃えられている。石門巡りコースは中之嶽神社が発着点となっている。妙義山東面中腹には、白雲山を御神体とする荘厳な妙義神社が建立されている。江戸時代には火伏せや雷除けの霊験があると信じられていた。白雲山の北東に妙義富士がある。

妙義山はデイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で出来ている。いまから300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動があり、南西側にある荒船山と同時期に形成した溶岩体である。その後周囲の柔らかい堆積層が浸食され溶岩の岩体が露出したと考えられている。この険しい岩峰の尖った荒々しい山容の奇観から日本三大奇景の一つに数えられており、また国の名勝に指定され、日本百景にも選定されている。「上毛かるた」では、「も」の札に「紅葉に映える 妙義山」として採録されている。1984年には山岳関係の作品で有名な作家である深田久弥のファンクラブが制定した日本二百名山の中に加えられた[注釈 1]

登山[編集]

表妙義縦走路は岩稜帯が連続し、こぶ岩・鷹戻し・奥の院の鎖場等で多数の死亡・重傷等遭難が繰り返し起こっており、昭文社が作成する『山と高原地図』では難路の登山道(初級・中級・上級の分類の中で分類外の最上級)に分類[1]、富岡市作成の『妙義山登山まっぷ』では上級登山道[2]、と紹介されている。

この遭難の多さのため、2010年1月、群馬県・地元自治体・警察・消防・山岳会で妙義山系山岳遭難防止対策会議が発足し対策を話し合った。しかし登山を禁止し責任から免れたい行政と、登山を続けたい地元山岳会との間で対策法について意見が対立し、結局、鎖の増設と改良のみにとどまった[注釈 2][3]

2019年5月13日、プロアドヴェンチャーレーサー田中陽希は、「グレートトラバース3 日本三百名山 全山人力踏破」158座目に、妙義山の表妙義、白雲山(相馬岳)・金洞山(中之岳)に登頂している[4]

観光[編集]

妙義山の縦走路は上記のように危険個所が多く、遭難も多発しているので富岡市などから注意喚起がなされているが、その山麓では道路整備が行われ、通年での観光が一般客でも可能となっている。そもそも、妙義山は古代から続く山岳信仰の対象であり、宣化天皇2年(537年)創建と伝わる妙義神社は妙義山東側の白雲山を神体とし、その中腹に立地している。また、妙義神社の一の鳥居の近くには2000年に道の駅みょうぎが開業し、妙義山観光案内所やみょうぎ物産センターが併設されている。この道の駅が開業した当時はこの地域は甘楽郡妙義町だったが、2006年に(旧)富岡市と合併して改めて新設された富岡市の一部となった。

一の鳥居近くの三叉路はそれぞれ群馬県道である191号妙義山線196号上小坂四ツ家妙義線213号磯部停車場妙義山線の各終点となっており、近隣市町の中心市街地からつながっている他、東側では51号松井田下仁田線も通っている。この中で196号線は下仁田から妙義山南西側の中之嶽神社を通って妙義神社へ至る道で、富岡市では「妙義紅葉ライン」の愛称で紹介している。また、51号線は安中市内にある上信越自動車道松井田妙義インターチェンジに接続し、広域観光での妙義山への主要ルートとなっているほか、上信越自動車道自体も表妙義の南東から裏妙義の西へと妙義山の北側を回り込むようなルートで1993年に開通している。

妙義山に因む名称[編集]

  • 群馬県内の小学校では、運動会の組分けを上毛三山の名前を用いて、「赤城団」「榛名団」「妙義団」の3組とし、対抗させる例が多数存在する[注釈 3]
  • 妙義山北麓を流れる中木川に建設された中木ダムダム湖は、妙義山にちなみ妙義湖と名付けられた。

ギャラリー[編集]

妙義山に関する作品[編集]

  • 狩野芳崖の≪悲母観音≫は主要モチーフを「天空の雲上に立つ観音、子宮を暗示する球体の中の人間の赤ん坊が、峨々とした山塊の屹立する下界に降りて行く」とする作品であるが、芳崖は「下界の厳しさの実感を得るため」明治20年3月に妙義山写生旅行に出かけている[5]
  • 1932年堀辰雄による随筆エトランジェ』- 軽井沢町に向かう西洋人の間では、妙義山がスイスユングフラウによく似ていると言われる、と記されている。
  • 1974年映画男はつらいよ 寅次郎子守唄』 - オープニングの歌のシーンで妙義山をバックにススキが揺れている中、車寅次郎が旅をしている。
  • 頭文字D - 主要キャラクターの含まれるチーム「妙義ナイトキッズ」のホームグラウンド、およびバトルステージとして登場。
  • 鉄道唱歌 - 北陸篇第16・17番に「高崎いでゝ安中の (中略) まへに立てるは妙義山 鉾か劍か鋸か 獅子か猛虎か荒鷲か 虚空に立てる岩のさま 石門たかく雲をつく」と歌われている。
  • 瀧澤馬琴の『南総里見八犬伝』 において、妖犬八房に与えられた伏姫を母とする八犬士は、別々の時と場所に生まれるが、後に八犬士全員が一堂に会する。しかし、まず五犬士だけが偶然につどう。その場所が妙義山となっている[6]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 上毛三山では、深田自身が1964年に制定した日本百名山に赤城山が選ばれたのに続き、この日本二百名山で残る妙義山と榛名山が選ばれ、荒船山も加えられた。
  2. ^ この決定に対し、登山専門誌である『山と渓谷』は2010年6月号の記事で「責任を放置する方向に結論は導かれてしまった」と批判する記事を掲載した。
  3. ^ 地域によって異なり、また人数が少ないと紅組、白組とする場合もある。

出典[編集]

  1. ^ 山と高原地図 21.西上州 妙義山・荒船山 2013 昭文社
  2. ^ 妙義山登山まっぷ - コンテンツ - パンフレット - 富岡市役所
  3. ^ 山と渓谷山と渓谷社、2010年6月、162-167頁。 
  4. ^ NHK BSプレミアム2021年7月16日(金)6 :00-6 :14(前編)、6 :15-6 :30(後編)放送。
  5. ^ 新関公子「 美術学校の精神的象徴としてなかば公開制作された≪悲母観音≫」(東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤―8)岩波書店『図書』2023年8月号、35-41頁、引用は38頁。
  6. ^ 関川夏央『「解説」する文学』岩波書店 2011年 (ISBN 978-4-00-025824-1) 309頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]